女ってやつぁ

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女性は綺麗なのが当たり前、って意識はいったいどこから来たものなのかね。

 

いや、もうちょっと違う言い方をすれば女はなぜ着飾ることが好きなのか。

すべての女性がそれに当てはまるとは言わないが(わたし自身あまりあてはまるほうではないし)、それでもやはり男という性別に比べれば顔かたち、髪型に化粧、スタイル、持ちもの、衣服、アクセサリーとはるかに気を配ることが多い。

 

というよりすべからく女という性別は自分を綺麗に見せることやキレイ、カワイイと言われることが本質的に「好き」「キライじゃない」んだよね。

じゃなきゃ現代の結婚式というビッグビジネスが成立するはずがない。

 

 

たとえば鳥なんかは雄のほうが綺麗なことが多いってのは周知のことだと思うんだが、求愛のためにそうなってるわけだ。雌は実に地味。

この場合必要があってそうなってるわけで、果たして人間にそれって必要なのか。

 

 

人間の長い歴史を少ない知識でちと振り返ってみれば、平安時代とかにはすでに女は着飾るイキモノだったわけで(あくまで上流階級の話で庶民農民はそんなことなかったっていうかそれどころじゃなかったとは思うけど)。

でも当時のことを考えれば相手の容姿も知らずに歌を送ったりしてすでに求愛を終了した状態であっても、女性は相変らず豪華で重苦しい着物を着たりしてたんだろうと思う。

機能的でないうえに必要性も少ないのになんで女は飾るのか、というか飾るのが好きなのかということをふと疑問に思うわけだよ。

 

 

また「キレイ」とか「カワイイ」とかってのは時代ごとに変遷していく非常に不安定な要素でしかも多分に見る人の主観に左右される事項でもあるため、比較対象によってそれを判断して飾っていくことになる。

相対的にしか良し悪しを感じられないからね。

自分の感性ではたいしてキレイな人だと思えなくても大多数がそう思えばそれがきれいなんだろうし、じゃあそれに近いように飾っていけば自分もキレイということになる、といったかたちの方程式でしか測れないというか。

 

そうして誰かと鏡の中の自分を見比べて悦に入ったりさまざまな衣服装飾化粧品を買い集めたりするのがおおむね現代の女性と言っていいだろう。

もはや飾ることキレイでいる事は必要事項でも殿方のためでもなく、大部分は自分自身のためなんだろうな。

 

 

また女性というのは3人集まれば姦しいとはよく言ったもので、そういった種類の会話を女同士でするわけだ。

何がきれいとか誰がかわいいとか、あの人よりあの人のほうがすてき、とかさ。

口じゃ謙遜する女性が多いがみんな内心じゃわたしが一番きれいくらいに思ってる。

ちょっと極端ではあるが、感覚的にはそういうもんだ。

多かれ少なかれ自分に自信がなければそういう話題を振ることはないし、少しでも自分を飾る意識があるってことは優越感持ってるといって差し支えないだろう。

 

 

悪いことにこの「比較」という習慣だけは(ちょっとヒドイ表現だが)女が女じゃなくなってきてからも根強く残る。

これがいわゆるおばさまおばあさまたちの悪口という習慣に変わっていくのだよね。

なんでも比べて上を見てはグチをこぼし、下を見てはくだらん優越感からキツイ言葉を吐きまくる。

 

 

こうして考えると女ってやつは「絶対的な定規」を持つことが難しい性別なのかもしれないね。

幸せってなんだっけ、生きるって死ぬってなんだっけ、とか考えているよりも人よりキレイに人より裕福に人より幸福に「見える」ように日々を生きたい、誰もにうらやまれる人になりたい。

「人の目を気にしない」なんてのは所詮ホント建前で、本当にそれができてんならお釈迦様とおんなじ境地にあると言えるかも。

 

 

人ってやつぁ、女ってやつぁ、なんともどうにも哀しいイキモノですなあ。

 

 

 

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