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人が人を判別する材料~マスク暮らしで気づいたこと

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世間はコロナだ時短だまん防だヤン坊マー坊天気予報だって騒がしいですが、変なの混じってるのはさらっと流していただくとして、引っかかったあなたはお年が近いかもね、毎度ばかばかしいお話を。

 

 

かれこれコロナ騒ぎが始まって1年以上が経つわけだが、相変わらず不快なのはマスク。

もはやないと外出できないくらいに馴染みこそしたが、できるならしたくない。

 

 

まず耳が痛い。

布マスクは比較的耳に優しかったが、客商売に移ってからは不織布にしている。

自身がうつしにくいうつされにくいのはもちろん、お客さんから見ても布マスクじゃイヤな気分になる人もいるだろうということで、やむなくそうした。

あれだけ効果の差のほどを連日テレビで特集組まれちゃ、不織布以外はよほどシーンを選ばないと使いにくいよな。

これが最初のひと月くらいは実につらかった。耳のうしろが痛てーのなんのって。

はむぺむは当初の頃から不織布使いの大先輩なので、耳の痛みをどうしているか尋ねると「慣れるよ」。

うーんためにならーん。

でも実際ひと月でなんとか慣れた。

ときどき思い出したように「あっ、耳痛い」ってなるときはあるけど、以前ほどの痛みはまったくなくなった。

つけてることを忘れることはあり得ないけど、慣れるもんだ。

耳のうしろってのも、鍛えることが可能なんだね!(違

 

 

いまひとつマスクの嫌いな理由は、言わずもがな言葉が聞き取りにくい。

わたしはあんまり耳がよくないから、滑舌のよくない人や声の小さい人などの話はもともとマスクがなくても聞き取れず、何度も聞き返したりしていた。

ただでさえ聞こえないのに、マスク越しじゃなおさら何言ってんだかわからん。

そして自分が聞き取り能力の低いわたしのような人は、自分の発言も相手に届きにくいと思い込んでいる。

つまり、よりはっきりでかい声でしゃべらないといけないって思ってるってこと。

そういうわけで、飲食業に戻るにあたり実はいちばんネックだったのがマスクだった。

マスクして接客すんの、やだなぁって思ってたから。

世の中は変わり、もはや今時マスクしないで接客なんてしたらサンドバッグ並みにぼっこぼこに叩かれちゃうけどね。

くわばらくわばら。せちがれえせちがれえ。

 

 

さてそのマスクだが。

よくひと昔まえに、芸能人が帽子にマスクにサングラスっていでたちで週刊誌の直撃とか受けてたじゃない。

つまりマスクって、風邪とかのほかに、「変装用小道具」として使われてたよね、って話。

 

 

実はこれコロナ関係なく、おもに前職レタス屋のときに考えていたこと。

レタス屋は工場だったので、当然帽子とマスクに白衣または防護服着用。

場内でしか会わないような人も多かったため、「帽子とマスクを着けた姿しか見たことない」くらいのこともあった。

 

でも、何度か会ってるとその人だってわかるんだよね、これが不思議なことに。

露出してる部分なんて目元だけ。誰が誰やら見分けなんてつきゃしない、はずなのに、ちゃんとあれが誰々さんでこっちが誰それさんってわかる。

 

そして面白いことに、その人たちと帽子マスクを取って会うと、うっかり誰だかわかんない。

 

わたしは他人を判別するとき、意識的無意識ともにその人の顔や髪型、体形、服装、その他いろんな要素でもって行っていると思っていたのだが、この工場での経験でその要素がひとつ上積みされた。

あんまうまいこと言えないんだが、つまり「見慣れた姿を基本として判断している」ってこと。

ちょっと強めの表現だが、先入観って言い換えてもいいかもしれん。

 

 

その先入観には、当然「その人がそこにいるであろう」という予測も含まれる。

見慣れた完全防備の格好でも、それが誰かわかるのは「何度か見た/会ったことがある」ことが条件で、たとえそれが安倍元総理だろうが木村拓哉だろうが、初見ではまず判別できないだろう。

だってそこにいるわけないもん。想像の範疇を出過ぎてる。

いや、余人はどうか知らんが少なくともわたしはできない自信があるってことね。

いばって言うことじゃないな。

 

 

いまの職場に移ってから一度、職場の人に

「いま、たるたるさんに似た人が店の前を通った」

って言われたことがあって。

まだ移って間もないし、店の前を通りかかっただけじゃ顔もよく見えやしない。ましてマスクのご時世だ、何をもってして似てると判定したのかと問うたら

 

「フォルムが似ていた」。

 

このセリフが、今回の話につながったわけ。

 

 

なるほど人を判別するのに重要な要素のひとつだ、フォルム。

体形って意味合いだけじゃなくて、たぶん歩き方とか動き方とか、全体の雰囲気ってやつなんだろうね。

ものすごいふわっとしてるけど、なんとなくわかる。

 

 

マスクが当たり前になって、もはやマスク顔しか見たことないような人も増えてきたが、その人たちがプライベートで全然関係ない場所でマスクなしで歩いていてもわたしはまず絶対気づけないだろう。

マスク姿のほうが見慣れた姿としてインプットされているから、マスクなしの顔はわたしにとっては知らない人なのだ。

 

なんかそれって、おもしろい。

 

グレートサスケがマスクで免許を通すのが、デーモン小暮がメイク顔を素顔だと言い張るのが、とっても自然な気がしてくる。

結局顔なんてのは、その人を判別するためのたくさんある要素のうちのひとつにすぎないのだ。

そうさ、化粧なんてしてもしなくても…(強引すぎる唐突な自己弁護

 

 

いやそんな結論に至りたかったわけじゃないんだが。

人を判別する要素ってのをあまり意識したことはなかったけど、マスク強要のご時世でそんなことを深く考えることができましたとさ。

 

 

早くマスクなしでめいっぱいしゃべったり笑ったりしたいですが、実際問題、仮にコロナ騒動が去っても衛生面で考えれば飲食店スタッフはマスク必須、って流れになっちゃう気はしています。

 

 

 

似たような話

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コロナの真の怖さを垣間見た話

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*本記事はあくまでいち素人の感想記事で、医療的科学的観点から正しいことはたぶんまるで書いておりません。そんなやつはいないでしょうがこれをもって安易にご自分の病状を判断したりするのは絶対おやめください。

*病気に関する内容のため直截的にお見苦しい表現もございます。お食事のお供にはおススメしません、食い終わったら来てくだされ。

 

 

新型コロナが蔓延してはや1年が過ぎた。

マスク外出、アルコール消毒が当たり前の日常の風景になり、やれ緊急事態だ解除だマンボウだ時短だと繰り返しているうちに、なんだか慣れてきた、って人も少なくなかろう。

かくいうわたしもそのひとりだった。

 

 

今日は300人?フーン増えたねえ。五輪できんのかねえ。飲み屋とかどうなんのかねえ。夜の街に人がいなくて笑っちゃうねえ。

コロナ怖いねえ。気をつけなくちゃねえ。

なんて言いながら、どこか対岸の火事的意識になりつつあった。

 

だって、身近な人に感染者出てないしさ。

誰々さんのお子さんの通う学校で出たとか、誰それさんの会社の取引先の人のご家族の通う会社で出たとか、つまりそのくらいの距離。

そりゃ対岸だよな。

 

 

とある日、仕事を終えて帰宅した昼過ぎ。

ゆったりスマホゲームなんぞしていたらどうも鼻がぐすぐすしだした。

やだなぁ、こんな時期に花粉かな。それとも自律神経でも乱れてんのかね。

時間を追うごとに鼻水は止まらなくなり、頭も痛み出した。

んー、これ風邪かね。なんか久しぶりだなぁ。

 

そういえばコロナ騒ぎになってからこっち、体調を大きく崩すことがなかった。

世間的にもインフルエンザの罹患数がものすごく少なかったことでもはや周知の事実だろうが、「感染」するものは「気を付ける」ことでこんなに防げる、という証明になったはず。

根治法のないいわゆる「風邪」自体も、感染予防を施していたことで防げていたわけだ。

 

とはいえ現時点では鼻水と頭痛のみ。心配したもんじゃない。ひと晩寝りゃ治るだろ。

ところが翌朝、症状は悪くなっていた。

止まらない鼻水と頭痛に加え、妙な悪心。

むかむかする。ゆうべろくにものも食べていないが気持ち悪い。吐きそうだ。

食中毒以外で吐き気を催すことは滅多にないので少し動揺した。

 

 

どうやら風邪だろうと思ったので、早い段階で医者にかかっておこうと近所の内科に電話を入れた。

すると症状を詳しく聞かれ、院先にあるテントでの診療になりますが、との返答。

野戦病院みたいだなと見かけるたびに思っていたアレによもや自分が入ることになるとは。

 

気になってほかの病院も検索をかけると、「新型コロナの疑いがある症状の患者さんはしてあげられることがないから来ないでくれ」とハッキリ書いている病院もあった。

なるほど確かに検査薬が行き渡ってるわけでもなし、ワクチンもなけりゃ薬もない。おまけに来られたら院内に感染が広がる。だから来るな、道理は道理だ。

それはつまり「いつもの風邪みたいな症状=咳、発熱が出たから病院行ってお薬もらってこよ」ってのができない、ってことだ。

なんかその事実にちょっと怖さを覚えた。

 

 

ともあれわたし自身はその時点で発熱もなく、テントで無事診療を受けることになった。

電話をもらってから自宅を出発するスタイルでお願いしますとのことで、なんだか変な気持ちになる。30分ほどで電話がかかり、さあ出かけようとまさに玄関で靴を履いた瞬間にとんでもないレベルの吐き気が襲ってきて慌ててトイレへ駆け込みしこたま吐いた。吐くものもろくになかったがひとまずはスッキリした。

 

 

テントで待つこと数分、お医者は完全防備で現れ診察をしながら「のどがちょっと赤くなってるけど腫れてはいない。インフルやコロナではなさそうだね。胃をやられちゃったのかな」と所見を述べた。

こんなご時世「風邪ですね」とも言いにくいだろうなぁ、もはや区別も難しいだろうしなぁ。

お薬をもらい退散。テントで診療を受けるなんて体験もたぶん初めてで、妙な気分だった。

 

 

自宅に帰り薬を飲みとりあえず寝た。薬が効けば明日にゃ通常営業に戻れるだろう。

だが思うように回復は進まず、いやな汗をかくようになった。

足がだるい。悪寒らしきものもある。

イヤな予感がして熱を測ると37.4度。

うわあ微妙すぎる数値だ…

 

 

ここに至ってコロナの疑惑が自分の中で出てきてしまった。

普段の風邪だってくしゃみ鼻水のどの痛みから発熱して咳でフィニッシュって流れなんだが、なにぶんこのご時世だ。

コロナとの区別なんて医療関係者にだって困難なのに、素人にできるわけがない。

先に調べた通り、この程度の症状では病院や保健所に電話したところで自宅待機を言い渡される可能性が高い。

かといってこのまままんじりともせず過ごすのも…

 

というわけで、自宅で出来るPCR検査というのをネットで調べ、即日注文した。

信頼度100%とは行かないだろうが、とにかくもシロと出れば安心できる、なんて気持ちで取り寄せたのだが、さていざ手元に届き実際に検査する段になって急にリアルなそら恐ろしさがわたしを襲った。

 

 

これ、もし陽性だったら、どうなる…?

 

 

体調を崩してから仕事を休むのはもちろん、自宅内でもはむぺむとは距離を取っていた。

寝室を分け、使う道具を分け、一緒の食卓にも着かず、会話もせずにマスク着用。

彼にうつすのが何より怖かった。

常に激務の人だ、彼が止まったらどれほどの人に迷惑をかけどれほどの損害が出るか知れない。

単なる風邪ですらそう思っていたが、これがもしコロナだったら…。

 

 

コロナに飽きてしびれを切らして勝手にお気軽に飲食畑に舞い戻った挙句、コロナをもらってきて(もちろん店でもらったことがはっきりしてるわけではないが)彼の仕事に損害を与えるなんて想像するだに恐ろしい。

そして現在の勤め先の店にだって大損害を与えることは必至だ。

スタッフから感染者が出たとなれば保健所が入ることになるだろう。人の口に戸は立てられない、あそこの店コロナ出たんだってよなんて言われる。

勤めだして1カ月やそこらで店にそこまでダメージ与えて、その後続けられるのか…?

 

 

悪い想像ばかりが駆け巡る。

そして唐突に実感した。

つまりこれが、今現在におけるコロナの真の怖さなのだ。

 

 

コロナにかかること自体、罪でもなんでもない。風邪やインフルと同じで誰でもかかる可能性があるし、注意してもかかるもんはかかる。誰も悪くない。

そんなことは誰だってわかってるが、わかったうえで、それでもやっぱりかかったら「コロナにかかった」と事実だけは事実としてひとり歩きをしてしまう。

症状そのものが怖くないとは言わないが、コロナの怖さは病気そのものよりも、そのかかった事実を「まわりに知られる」ことがものすごく「影響がある」。

 

罪の意識を持つ必要なんてない、絶対ない、だけど事実として「かかった」ことで確実に周りの人間に迷惑を、もっと言えば損害を与えてしまう。

濃厚接触者ともなれば、2週間もその人たちの自由を奪うことになってしまう。

 

 

そりゃあもう、怖いよ。

マジで、想像するほどに怖い。取り返しつかない感じする。

 

 

まさに「病災」なんだ。

誰も悪くないのに、何を怖がってるのかも、何をどうすればいいかもわからないまま、かかってしまったら問答無用で罪の意識を背負わされる。

 

 

口を噤んでしまいたく、なるよ。

もしかかっていても、陽性って出ても、あるいは発熱しただけでも、知らんぷりして誰にも言わず、なんとか理由つけて熱が下がるまでひとりで寝て過ごして、やり過ごしちゃいたく、なるよ。

そして当然そうすることでまたコロナは広がる。

 

 

感染症って、なんて怖いんだろう。

恥ずかしながらこの1年余にわたるコロナ禍にあって、はじめて心底からこの「病災」を怖いと思った。

 

 

はむぺむの移動の隙間に電話で「もし陽性が出たらどうしよう?」と正直に話した。

彼は迷わず「すぐ保健所に電話して指示を仰げ」と宣った。

そうだよね。

 

 

陽性が出たからって別に殺されるわけじゃない。大丈夫。

でもお願い、陰性であってくれ。

 

説明書に従って喉の奥の唾液を摂取し、検査キットの窓に投下。

妊娠検査薬に似た形式のアレだ。

10~15分で確認できると記述があったが、結果はすぐに出た。

 

 

陰性。

 

 

よかったああああああああ。

 

 

深く大きい安堵の溜息が漏れ出た。

病気に「かかるかからない」ということ自体でなく、「かかっているかかかっていないか」にこれほど気持ちを揺さぶられる経験をすることになるとは想像だにしなかった事態だ。

ちょっと考えると、なんか変だ。意味がわからない。

 

 

100%ではないとはいえ、陰性という結果を得た。

これでひとまずは安心だ。

 

そう思ってから、何が安心なのかやっぱりよくわからないと思った。

だって風邪だかなんだかよくわかんないけど症状はあって、それもおそらく得体の知れない解明もされてないようなウィルスかなんかで、それもあるいは悪化すれば人の命を奪うようなもので、そしてそれもたぶんヒトからヒトへ感染するなにかなんだろう。

 

…?

 

この世界中を巻き込んだコロナ騒動って、いったい何なんだろうね。

 

 

新型コロナの怖さのかたちをちょっとだけ実感したお話でした。

その後軽い咳症状を経て、すでに回復しています。

 

 

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使ったキットはこちら。

 

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心と身体と、脳のバランス

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職場を変えてはやひと月。

 

いや、まだひと月!?って自分が一番びっくりしている。

馴染み過ぎてもう3年くらい勤めてる気がしている。

仕事ができるって意味では決してないが、なにぶんさんざん親しんだ飲食畑。なんの違和感もなく大喜びで走り回っている。

エッ、レタス工場にいたの、たったひと月前?って信じられない気持ち。

 

思い返せば1年前にはまだ大手ファミレスにいた。レタス屋に出会ってすらいなかったんだ。

そうやって考えると我ながらたいがい腰の落ち着かない奴だな。

 

 

さて、転職先は人気のお店。

なるほど土曜や昼時は行列ができる。威勢よくきびきびした社員さんたちも無駄のない動きで惚れ惚れすることもしばしば。

 

でも、どうにかついてはいけている。

 

むしろ昼ピークだけ切り取れば、前々々職(って書くといかにも転々としてる感じだな)の4年半勤めた串揚げ屋のほうが過酷だった。

なんといってもハコの大きさが違う。

 

 

串揚げ屋は2階席ありの座敷ありの個室ありので走り回る距離が文字通り無駄に長かった。階段を何度も駆け上がり下りし、1時間くらい全力疾走のあとはほんとに動けないくらい疲れてた。

いまの店は圧倒的に客数は多いが、ハコが小さい。出入り口から客席のはじっこまで一度で見渡せる。

動き回るには狭く感じるが、総移動距離はたいしたことはない。

従業員も比較するとたくさんいるので席が埋まると手持無沙汰さすら感じる。

 

 

なので、体力的には思ったほどきつくなかった。

もっとも皿洗いも業務の一部になっていて、この皿がめちゃくちゃデカくて重いので慣れるまで手は痛かったが。

 

 

とまあズラズラと近況報告が長くなってしまった。

まだまだ山盛り書きたいことはあるのだがそれはまたおいおいにするとして、本日のお話は「心と身体と脳のバランス」。

 

 

よく、健全な精神は健全な肉体に宿るみたいなこと言うじゃない。

ココロとカラダのバランスが大事。わかる話だ。

でも、わたしの場合、体と心だけだと足りないなって思ってたんだよ。

 

詳しく言えば心ってのは別に心臓にあるわけじゃなく、言うまでもなくそれを考えたり感じたりする脳にあるわけだから、そりゃ「心と体」でワンセットでいいんだけど、なんてーのかな、精神と肉体、プラスで「頭を使う」ことが大事なんだ。

 

 

つまり、たとえば前職ではそこそこ体を動かしていた。

行き帰りのチャリ+作業自体も結構肉体労働だったし、一緒に働く人たちと楽しくおしゃべりもしていた。

でもなんか自分ではそれなのにバランス悪いなって感じていた。

どこがどう悪いのかうまく説明できなかったのだけど、それがいまの職場に移って明確になったんだ。

 

 

仕事、とくにパートタイムで従事できるような仕事ってのはある程度マニュアルに則って誰でも同じようなクオリティでできるようになっている。

あたりまえだ、そうでないと会社側が困るからな。

なので言われたことを言われたようにやればよい。時間を切り売りして幾ばくかの金に換える、からこそパートタイムなんだし。

 

 

もちろんそれは接客業も似たようなもの、ではあるのだが、こと接客は人間相手。

基本的にやってることはおんなじでも客によって対応が異なる。

相手や場に応じた対処が必要になるし、常に臨機応変が求められる。

それがね、なんかこう、わたしにとってはちょうどいい脳の使い具合なんだ。

 

 

人が少なかったり、アホみたいに混んでキツイ状況になればなるほど脳の回転数が上がっていくのがわかる。

脳の回転数が上がると体もギアが上がる。ギアが上がればいい動きができるようになり、そうして全力疾走ののちは実に晴れやかな疲労が待っている。

 

 

余人はどうか知らんが、わたしは日常、かなり脳を使っていない。

エバっていうことじゃ全然ないのはわかっちゃいるが、この世の中、一方的に享受することが多すぎて脳をフル回転させて臨むことがらは少ない。

いやまあ、フル回転させたところでたいした回転数じゃねえだろってのはさておきね。

しかも長時間は無理。完全に短距離走型です(だからいばって言うな)。

 

 

身体を動かして、職場の人と楽しくおしゃべりもして、それなのにいまひとつ健全な精神状態になりきれずもやもやしていたのは、瞬間的にでも脳を使うことが少なかったせいだったのか、と。

常に瞬発力が求められる場所で脳と身体をリンクさせて、口から言葉を発し続けながら短時間で駆け抜ける、ことこそ、わたしの精神衛生上もっとも必要なことだったようだ。

 

脳も体もフル回転で走り回れる職場に出会えて実にラッキー。

脳を使えば体も活性化され、体を使えばほどよく疲労感と満足感が得られ、結果ココロは非常にハッピー。

もっとも、ちゃんと日常で頭も体もほどほど使って暮らしてる、バランスのいい人にはまったく該当しない話だろう。むしろ何言ってんだコイツって思われてるかもしれん。

 

あくまでわたしの場合。ほっとくとどこまでも怠惰でバカだからさ。

というわけで、全力全開で楽しんでおります。

 

 

あと、めちゃくちゃ店のもん食べてます。

 

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うまいんだこれがどれもこれも。

 

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あんまり急いで食べ過ぎると飽きちゃうからゆっくり、って思ってるんだが、止まらん。

勤め先全メニュー制覇、だけでなく、市場内のほかの店舗もあちこち試してみたいな。

 

 

もう、仕事しに行ってんだか飯食いに行ってんだかすでにわかんなくなってます。

 

 

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また転職~さすらうアラフォー

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パートというお気楽身分なのは大前提として、また職が変わります。

 

 

現在のお仕事先関連はこちら 

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仕事に不満らしい不満はなかった。

特に一緒に働く人たちは大好きだったし、正直何より気楽だった。

言われたことを言われたとおりにやればよかったし、体もそれほどきつくはない。

頭も使わなくていいし、プレッシャーや軋轢もほぼない。

ノーストレスで快適に働けていた。

 

 

でもそれは裏を返せばだれでもいい仕事だった、ことは確か。

再三書いてきているように、工場は基本「誰がやってもだいたい同じ結果を得られる」ようにデザインされている。

それがわかりすぎるくらいわかるからこそ、なんだかそこにいる自分に違和感を覚える。

その感じは日に日に大きくなっていった。

 

 

2期のパートさんが入ってきたころから、人が余っている感じがあった。

体制や作業内容はもちろん、現場を監督してくれる人もコロコロ変わり、現在は外部の人が直接の監督官になっている。

彼女は仕事もできるし、ものごともよく見えていて優秀なのだが、なにぶん外部の人だ。板挟みになって苦しむ姿は見るに堪えない。

会社自体の風通しの悪さは相変わらずどころか悪化の一途を辿っていて、もはや相互理解にこぎつける努力すらする気もなくなってしまっていた。

 

 

それでもまだまだコロナ禍真っ最中、しばらく仕事を変える気はなかった。

なかったんだよ。

 

 

ある日見るともなく見ていた求人サイトに、この界隈ではかなり有名な飲食店の皿洗い/ホールのアルバイト募集記事が出た。

いわゆる行列のできる人気店。

あぁ、いっぺん人気店で働いてみたかったんだよなぁ。

詳しく見ると「日曜、祝日、お盆、年末年始休み」「週3日、昼3時間程度」「土曜出られる方歓迎」「自宅から自転車で10分ちょい」。

うわナニコレわたしの条件ドまんなかじゃん!

 

 

そもそも飲食を離れたのは「稼ぎ時の日曜や大型連休に出られない」ことが非常に大きかった。

店側がそれでもいいよと言ってくれても、罪悪感が半端なくて。

店が休みなら大手振って休める。うしろめたさを感じることもない。

なにより一度はやってみたかったよ人気店。

コレは…どうしよう。今逃したらもう出ない気がする。

ものすごーく悩んだが、応募することにした。

 

 

とりあえずネットから簡単なプロフィールだけ送信すると、すぐに面接予約の電話がかかってきた。

客商売バリバリのメチャクチャ人当りいい電話。こっちも思わず全開の接客モードで対応。

ああこの感じ懐かしい。いいねやっぱ。

 

お店は市場の中にある。ロケーションもある意味最高だ。市場内をチャリンコで走り回ってるだけで意味もなくテンションがアガってくる。やべーたーのしー。

 

お店は想像より狭く、想像よりはるかに小ぎれい。

ひとことふたこと交わすだけですぐにそれとわかる全開客商売の社長さんと面接スタート。

以前4年超勤めた店のことを先方が知っており、話はかなりスムーズに進んだ。

すさまじい人気店なのはどうやら本当らしく、最小人数のスタッフでちょっと驚くくらいの客数を捌くそうな。

正直その数字にちょっとビビる。

 

「おいしいのは当たり前、プラスで何ができるか」みたいな話になり、あぁそうこういう人の下で働きたかったんだよね!と改めて思う。

モチベーションなんですよ、と語彙足らずながら訴えると「うちのお店に合うと思います」との返答。

あーもーわかってるね!めっちゃ両想いじゃんこの感じ!

 

 

とはいえ、求人への応募はそれなりの件数が集まっているらしく、返答は数日後に電話でということになった。

そりゃそうだ。せっかく高い金払って求人打ってんだ、全部会っておきたいのは当たり前だ。

感触こそよかったとはいえ、相手はあくまで全開接客モード。

こっちは年もいってる、話せば多少の扱いづらさも見えるだろう。

不採用も十分ありうる。心の準備はしておかねば。

 

 

予定より数日待たされようやく電話。

「面接の結果なんですが…」と言い淀む様子に「うわっ、ダメだった?」と生唾を飲み込む。

 

「採用させていただくことになりました」

 

なんでもったいぶったんだよ。突っ込んでいいとこかねこれ?

 

 

まぁそんなわけで、念願の人気店にて飲食畑への復帰が決まりました。

 

これまでさまざまな飲食店におりましたが、いわゆるチェーン店でなく、しかもメディアで取り上げられるようなお店は言うまでもなく初めて。

そこそこ混んでる状態も体験はしてきましたが、言ってみれば草野球で調子に乗ってたのがいきなりプロ野球の試合にぶっこまれる感じで、結構ビビってます。

 

 

でも、めちゃくちゃ楽しみ。

今回の募集でもうひとり採ったそうなので、その人と会うのも楽しみです。

 

軌道に乗ってきたらまたお店の話をすることもあるでしょう。

ここではお店の名前は載せませんが(まぁ調べる人が調べたらわかっちゃうんでしょうが)知りたいというけったいなお方がいらしたら個別にメッセージやラインをくださいませ。

行列待ってくれるなら、極上の笑顔でお迎えいたしますぜ。

 

 

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住所変更、大事。~通帳をなくしてあわてた話

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もう2月ですってよ。124年ぶりの1日前倒しだった節分も過ぎて、暦の上では春ですってよ。

 

ちぃと早くないかい、月日さんよ。もうすこしのんびりでもいいんですぜ。

 

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さて相変わらず書きたいことはごんまり山積みで、しかももしかしてひょっとしてまたわたし仕事が変わる、というか変えるかもしれず、まぁそれは確定したら書くとして、きょうは先日通帳を紛失してちょっとあせった話をお届けします。

 

 

ぼけっとした性質ではあるが、ほんとうに重要なものはそれほどなくしたり落としたりしたことはない。

40数年の人生でせいぜい数回。それが多いのか少ないかはわからん。

 

 

ある日銀行へ行くと、使っている通帳の1冊がどうしても見つからない。

現在何冊もの通帳を使っているが、まとめて管理使用しているため1冊だけ見当たらないことは考えにくい。

鞄に入れ忘れたのかと思い、帰ってから探そうとそのときは特に焦っていなかった。

帰ってすぐ探せばいいものを、家でどっかに紛れちゃったんだろ、とたかをくくって数日放置。

あとになって思うとこれがまずかった。

 

通帳が見当たらないなと思い始めて数日、家じゅうを捜索したがついに見つからず。

あれ、まさかとは思うけど、落とした…?

 

ちょっと焦る。

 

翌日すぐに印鑑を持って最寄りの銀行支店へ。

 

「通帳をなくしちゃったみたいなんですけど…」

 

「再発行には手数料かかりますがよろしいですか?」

 

「はい、かまいません」

 

「ではオンライン手続きをご案内いたします」

 

行内の一角を仕切って作られた小部屋の中に通されると、モニターの向こうでおねえさんがこんにちはーと笑っている。

スピーカーに向かって話し、身分証を備え付けの読み取り用カメラの下に置き、音で漏れて困る情報は紙に書いてそのカメラに読ませ、書いた書類は机の上のポストへ。

 

うわーなんか未来!すっげえ未来!

もうこういうの当たり前になってきちゃってるんだけど、実際その人がたぶん何十キロも離れたどっかのビルの中にいるんだよなって想像すると、なんかもうホント未来だなーって。

 

 

そんな令和の世に感激していたのもつかの間、個人情報を照会してくれたおねえさんが

 

「お客様の通帳、届いてますよ」

 

ナナナンデスト!?

 

マジで落としたんか。落とした時気づかなかったの自分でも意外過ぎるな!

なんにしても拾って届けてくれた人がいたのね、ありがたい!

まさに捨てる神、じゃなくて落とすバカあれば拾う神あり!

 

しかし次のおねえさんの言葉にわたしは固まった。

 

「〇×支店に…」

 

 

説明しよう!

たるたるは以前〇×市に住んでいた。今回落としたのはそこで作った通帳だったのだ。

 

引っ越しの際、主要ないくつかは住所変更の手続きをしたが、当該通帳はその当時はあまり使っていなかった口座だったので、手続きをせず情報の更新がなされていなかったのだ。

 

「届いた時にお客様の連絡先にお電話したようですけど、つながらなかったそうで」

 

ハイ、住所変更だけでなく電話番号も変わってますね。

しかも自宅の電話やめちゃってますからつながるわけないですね。

 

 

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 「連絡が取れない場合、発行支店にて保管することになっておりますので」

 

 

そうだよね。ほかの情報ないもんね。

銀行さん仕事早えーよ。1週間くらい未決済案件で積みっぱなしにしといてくれてもよかったのに。数日でしっかり支店に届けてくれちゃったのね。

いや、うん、完全に自爆だっつーの。

 

 

ありがたいことに郵送もしていただけるとのことだったが、自分のバカさ加減を反省する意味でも、ついでに〇×市にある前勤めてたコーヒー屋に寄ってEちゃんにも会いたかったし、ということでその足で〇×市までドライブしてまいりました。

車で1時間くらい。遠っ。

 

 

日頃好んで車の運転をしないので、たまには少し乗らないとね。

ついでにEちゃんにも会えたし、よいドライブでした。

…負け惜しみじゃないやい。

 

 

ちゃんと変更しておけば最寄りの銀行で受け取れたのに、と、そういった手続きの大事さをつくづく思い知りました。

 

 

住所変更、大事です。

 

連絡先とか変わったら、ちゃんと情報は更新しておくことをおすすめします。

経験者は語る←アホ

 

 

ちなみに拾ってくれたのは某郵便局の方だそうで、ありがとうございますー!

郵便局で通帳出した時に一緒に出して落ちちゃったみたい。

そういうのもホント気をつけなくちゃ。

 

 

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2021年明けの正気なご挨拶

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あけましておめでとうございます。

 

年々年越しがそう特別なものでもなくなっていく、感じがなんだか嬉しくもあり少し寂しくもあるこの頃です。

 

正月というのは、子供~若い頃には非常に特別なものでした。

年末には見たこともないような量の食料品と、名前も知らないような高級食材を買い出しに行き、重箱にこれでもかと詰まった謎の甘くて冷たい料理をありがたがって食し、中身はもとより袋がかわいくてうれしかったお年玉と、その枚数がステータスと信じて疑わなかった年賀状を広げて喜び、例年年越しの瞬間はなにかが変わる気がしてどんなに眠くても起きて迎えていました。

 

形こそ大きく変わってはいないけど、年越しをまたげばなにかが一新されるなんてことはまるでない、ことをすでに知ってしまった今となっては、12月31日が1月1日に変わる瞬間はなんの変哲もない、単なる365分の1でしかなく。

もちろんいつもよりいい食事をしたり、普段見られない正月番組を見たりしてはいるんだけど、以前ほどのスペシャル感は皆無と言っていい。

 

もっともそれは自分が大人になったからだけではなく、社会の形として特別視されるものではなくなってきていた、のが実際のところで。

スーパーも飲食店も年中無休、コンビニやらすき家に行けばいつだってやっている。

そりゃありがたみも薄れます。

 

そんなところへコロナ禍で、潮目は大きく変わるのかもしれず。

休むお店が増え、出かける人が減り、日本の正月は、世界の常識は、これからどういう方向へ変化していくのでしょうか。

 

とはいえそれらが今後どこへ向かおうとも、わたし自身が得てきた感覚と、失っていった感覚は戻ることはない。

それが嬉しくも切なくもある、の内訳です。

 

 

皆様よい新年をお迎えでしょうか。

今年もまた、社会的にも世界的にも個人的にもいろいろあるんだろうな。

どんな事態にも柔軟に、でも根っこの硬い部分だけはがっちりと手放さず、よりよい日々を積み重ねていきたいです。

「根っこの硬い部分」をどれくらい小さく、鋭く、より輝きを増していけるかがある意味今年のテーマでも人生のテーマでもあり。

それがなんなのかも、いまだはっきりとはしていないです。

でもそれを大事にするあまり世界や視界が狭まる、ことも怖いので、ある程度開かれた場所にも積極的に晒しつつ、叩かれてなお傷つかず、ってこれなんの話だ。

観念的過ぎて自分でもよくわからん。

 

 

今年は年賀状手描きverにもチャレンジ。あわてていたのでヒドイ出来だが。

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こちらはユニクロのアプリかなんかでデザインした正月挨拶用Tシャツ。

未来だねぇ。

 

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2021年、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

あなたにもわたしにも、すてきな2021年になりますように。

 

 

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2020年暮れの元気なご挨拶

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書きかけの日記がうんざりするほどたまったまま気づけば暦は押し迫ってまいりました。

とりあえず暮れのご挨拶だけはしておきます。

 

コロナに明け暮れた2020年でしたね。

世界が文字通り一変してしまい、なんだか行き場のない気持ちが気付かないうちに自分の周りをぐるぐるさまよってしまうような、言いようのない不安感と迷子感に苛まれました。

いや、過去形でなく現在進行形なんだけど。

 

今後ワクチンだの薬だのが追い付いてくると仮定してもまだだいぶ先になりそうだし、よしんばそれが叶ったとてまったく元通りの暮らしに戻れるかってーとそれは難しいのかもしれず。

 

過ぎた道は引き返せない。

後ろばかり振り返っていても人生という乗り物はいっときだって止まっちゃくれない。

過行く景色を惜しむよりは、どうにか意図的に前を見て、足元気を付けながら進んでいきたいものですな。

 

 

コロナも手伝って、客商売からレタス屋さんに職を変え、なんだか今年もいろいろありました。

ブログの更新はだいぶ頻度が下がって月1くらいになっちゃってましたが、たまに書くといい息抜きになっていました。

ちなみに手帳に書いてた3行日記は無事に1年間書き続けられたので、来年も続けたいな。

そして来年はもうちょっとだけブログ書きたい。

 

とはいえ頻度こそ低いものの、今年も1年ブログを忘れずに更新できたのは、見に来てくださるアナタのおかげです、ありがとうございます。

いやホント、ありがとうございます(大事なことなので以下略)。

 

 

どうぞ来年も飽きず懲りず嫌わずに全開自己満足の当ブログへお運びいただけると嬉しいです。

 

 

ではではみなさま、よいお年を!

めいっぱいの愛をこめて。

 

 

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コミュ力最強論~望んじゃいない猿山のボス

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職場に新しいパートさんがドカンと入ってきた。

まだ名前も顔も一致しないが、それなりに和気あいあいと働けている。

もっともそう思っているのはわたしだけかもしれない。

 

長く監督をしてくれていたBさんが急に現場を離れることとなり、戦場は少々混乱している。

体制がようやく整ってきたかな?くらいの状況だったので、引継ぎ云々はもちろん、また新たな上長との信頼関係の構築から始めねばならず、そこへ新人さんの大量補充。

 

古兵たちは新体制下一発目のシフトを見て誰もが不満の声を漏らした。

こんなシフトで回るわけないとか、週4とかだったのが週2とか週1まで減らされている、ようやく慣れてきてたのに冗談じゃない、とか。

 

そりゃそうだ。これまで希望していない時間帯やらでも参戦し、当初週1にも満たなかった状態から急ハンドルで制服の洗い替えも支給されないまま週4の過酷シフトに耐え、わけもわからぬ朝令暮改にこれでもかと振り回され、タイトすぎるスケジュール故善意での残業ボンバーに付き合い、して生き残ってきた古参兵たちだ。

おまけにろくに知らされないまま隊長が交代し、しかも今度の隊長は専任ではなく着任の挨拶もなし。

副隊長が2人ついたがいずれもよそとの兼任で、正直いったい誰がわれわれの責任者なのかわからない。

これで隊に命預けろってのは、無理だなぁ。

 

 

余談。

仕事を戦争に例えているが、わたし自身、仕事ってのは戦場であり、同時に会社との結婚あるいは大恋愛だと思ってる。

信頼できる上司と仲間とともに仕事という名の敵と戦う。

会社のことが大好きで、生活の全部を捧げても尽くしたいと思える。

という両輪でわたしは仕事というものを捉えている。

だからわたしは正社員にはなれないし、なりたくない。

命がけになっちゃうと、家庭を顧みず家がめちゃくちゃになっちゃうの目に見えてるからさ。

 

閑話休題

 

古株さんたち同士では今後の身の振り方も少なからず話題にあがっていた。

今後のシフト次第では新しい仕事を探す人も出てくるかもしれない。

それでも、パートさん同士の関係が良好だったため、ブチ切れて辞めるって言いだすような人はいなかった。

ある意味わたしがいちばんやばかった。

 

もっとも、新しい副隊長のひとりはまだ若いがかなりよい視野を持っている。

彼女となら支えて一緒に働いてもいいと思える。

その彼女を育てたのが新しい隊長殿なので、面識はほぼないが新隊長はおそらくすぐれた人であると推測できる。

でも、ふたりともよその人なんだけどな。って思うと、会社に恋をしたいわたしとしては微妙ーーーーな気持ちになる。

 

仕事自体は楽しいのでまだまだ続けるつもりではいるが、恋愛はなにで冷めるかわからず、冷めると早い。

これからも恋をさせ続けていただきたいものだ。

 

 

だいぶどうでもいい話が長くなったが、新人さんがたくさん入ってきて、体制も大きく変わった。

こういう激動下では、わたしの手持ち最強武器、コミュ力がいかんなく発揮される。

 

いちおう「工場」なので、仕事自体は基本的に「誰がやってもだいたい同じ結果が出る」ようにデザインはされている。

それでも仕事内容はそれぞれ異なり、当然個人差も出てくる。

「得手不得手」ができてくる、って意味ね。

 

作業だけを見ると、残念ながら現時点でわたしは作業が早いほうではない。

作業内容にもよるが、わたしより仕事が早い、仕事ができる人は古株さんのなかにはいっぱいいる。いやむしろみんなわたしよりできる。

それがとても悔しい。

わたしはいつだって一番でなければならない。

だって仕事できねーのに口だけ達者で態度だけでかいって最悪じゃん。

できなきゃ。まずできてから。

 

だが、自分で言うのもなんだが、わたしは戦術理解度だけは高い。

要はなにがどうしてどうなってどうしたいか、意図や目的を一番早く理解し、次にどの作業をするために何を用意しておけばいいか、などを考えることも苦手ではない。

そしてそれらは言うまでもなく、コミュ力の高さに由来している。

つまりアレだ、どうすればこの試合に勝てるかは誰よりもわかってるんだけど、実際にフィールドに出るとそれほどすぐれたプレーヤーではないってやつ。

技術力や身体能力があきらかに不足してるタイプ。

うーん言ってて情けなくなってきてるよ!

 

ちなみにこの話をはむぺむとした際に、やはり彼は「おまえは一番になれ」と安西先生みたいなことを言ってきた。

細かい作業でよく見えないなら眼鏡をかけろ、道具が手に合わないならカスタムして専用道具を作れ、能力足りないなら補助用具を使え。そうすればおまえなら絶対勝てる。

どんな些細な事柄でもやるからにはいつだって200%全力の彼らしい発言。

いつ辞めてもいいかなーなんてちょっと思ってたわたしは、おかげでだいぶやる気出た。

 

また脱線したな。

 

わたしは仕事ができる人、ではないというのが情けないが現在の事実。

できないわけじゃないが、そこそこ。少なくとも一番ではない。

 

でも、なんかエラそうなんだよね。

いやそりゃわたしの口の利き方とか態度はもちろんあるかもだけど、なんつーかこう、発言力を持ってしまっている、感じ。

それは自分が望んだわけじゃなく、なんかそうなってしまっているって意味。

 

古株も新人も上長たちさえ自分の顔色を窺っているのがわかる。

べつにビクビクされてるってわけじゃない。

ただ、自分の発言が自分で思っている以上に期待され、受け止められている感じがある。

うん、ただの自意識過剰だったらそのほうがいいんだけどさ。

 

発言権を持つこと自体は悪いことじゃない。

コミュ力が無駄に高いんだから、ある意味当然と言えば当然だ。

でもなんか、実力が伴っていない状態でコミュ力だけが暴走しちゃってる感じが自分であるんだよ。

 

言ったら「猿山のボス猿」的なきもち。

 

それは裏を返せば「仕事はできなくても発言権を得られる」ということでもある。

なるほど、そういうオトナいっぱいいるよね。

なんでそういう奴が発言権や権力を持ってるんだろうって幼いころからずっと疑問だったんだけど、いま、まさに今それがわかったよ。

コミュ力という武器を使って望んでボス猿になった人もたくさんいるだろうし、あるいは望んでもいないけどなんとなく祭り上げられちゃってる人も、実はけっこういるんだろうな。

 

 

わたしはボス猿になりたいわけじゃない。

コミュニケーション自体、べつに人心掌握のためにやってるつもりはまったくない。

単に作業中は手は忙しくても口は暇だから動かしてるだけで、普段のやり取りには中身なんてないしろくに覚えちゃいない。

ただひたすら欲するところを言葉にして吐き出しているまでだ。

発言を期待されることが、なんかいたたまれない。

 

それでも群れで生きる性質上、コミュ力高いと群れの中である程度重要な位置づけになってしまう。

仕事たいしてできなくても、コミュ力が高いだけで発言を求められる。

それを繰り返してると自他ともにボス猿的な認識が出来てきてしまう。

 

なんてなことを、新人さんがわらわら入ってきて妙に感じさせられてるこの頃。

 

いままずわたしがやるべきことは、パートさんの中で一番仕事ができるようになること、だ。

ボス猿気取って調子乗ってないで謙虚に真摯に作業と向き合って努力することだ。

 

 

わかっちゃいるけど根が不真面目だからさぁ、努力が苦手なんだよねぇ。

ラクして適当にしゃべって、それなりに楽しく過ごせればいいし。

 

 

コミュ力は仕事はもちろん人生のどんなシーンに於いてもある意味最強だが、同時にわたしみたいなダメ猿が発言権を得てしまう危険性も孕んでいる。

 

 

理想は「口八丁手八丁」です。がんばれわたし。

 

 

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言ったもん勝ちだけど、言うには覚悟と責任が伴う

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よく「世の中言ったもん勝ち」だって言うじゃない。

そしてそれにはたいがい、マイナスイメージが伴う。

要するに「自己中、わがまま、言いたい放題な人が結局トクするのよね」みたいな話。

 

わたしは分類すれば言うほうだ。

メチャクチャ言うほう。

でも正直、ぜんぜん得してない。むしろ言えば言うほどどんどんてめえの首が絞まっていく。

 

 

まずそもそも論として、「言ったもん勝ち」なのはあったりまえだ。

そりゃそうだ。何事につけ言うか言わないかって事柄があったとして、その結果「何かを変えたい」のであれば、言うしか選択肢はない。

一択だろどう考えても。言わなきゃ伝わらん。

 

 

それなのになぜか多くの人はそこが二択になっている。

察しろってのか。無理だろ。それともグチグチ言いつつ我慢すんのか。

ところが、ここに「言う人」がいると、なんとなくそこに期待が集まってくんだ。

 

 

要するにわたしがその「言う人」。

そういう奴が群れに一匹紛れ込んでると、先ほどの選択肢は三択になる。

すなわち

「言う」「言わない」「言える人に言ってもらう」

 

 

そんで、この「言う人」がわがまま全開で鈍い奴だったら、それはそれである意味かまわない。

「みんな言いたいこと言えばいいじゃない、わたしみたいに!」

こうやって言えれば、そいつだけがみんなから自己中だなって指さされてりゃいいことだ。

だけど、「言う人」のなかには無駄に(まさに無駄に!)敏感なやつもいてさ。

 

 

言わない人、言えない人の気持ちも思惑もわかる。

無言のなかに「あなたが言ってくれるんでしょう?だっていつもいろいろ言ってるもんね!」って期待をひしひしと感じる。

まぁ少なからず被害妄想はあるんだろうけど。

 

感じてしまうと、わかってしまうと、使命感が生まれる。

言えない人の分まで、言いたいことを言ってあげなくちゃ。

だってわたしは言えるんだから。

嫌われ者になってもいい、ちょっとでも相互理解を深めるためにもみんなの言いたいことをより感じ取れるわたしこそがその役目をしなくちゃ。

完全に自己都合ではあるが、結果言えない人の分まで言うことになる。

 

 

そうこうしているうちに、言わない言えない人は「言う人に言ってもらうことが当たり前になる」。

もうこうなると最悪だ。

我慢しないで自分のために言いたいことを言ってきていたはずなのに、いつの間にかまわりの人の代弁者になってる。

まわりの人も自分たちの言いたいことを言わなくても言ってもらえることが当然になっているため(言い回しがすげえわかりづらいな)、表現悪いが「つけあがる」。

 

 

あのさ、こっちだって言いたくて言ってんじゃないんだよ。

いや、もともとは言いたくて言いたいことしか言ってなかったけどさ、それに過剰に期待を寄せて、便乗してそれを当たり前に享受して、しかも「言う人」に対して主張を述べるだけで「言ったつもり」になるの、マジでやめてくんねえかな。

 

自分の主張は自分でしようよ、いつだって、誰に対してだって。

そのための覚悟と、それによって生じる責任くらいはてめえで取ろうよ。

 

オトナだろ。

 

 

何かを言うには当たり前に責任が伴う。

それを取るための覚悟を決めて、つまりまずは腹をくくってから発言すべきだ。

 

 

陰回って言うだけ言って、でも自分の身は守りたいんだよね、わたしが言ったわけじゃないし、聞いてないし、知らないし、わたしは悪くないから。

ふざけんなっての。

 

 

つけあがった人たちの言うことなんざ聞かなければいいだけで、勝手に忖度して周りの代弁者になったつもりになって、被害者意識を育ててるだけのこじらせた人、に一見見える。

 

でも、どんな些細なことでも言わなきゃ伝えなきゃ変わらない。変わりようがない。

そのために取る労を、当たり前のこととしてスルーされ続けると、だんだんアホらしくなってくるのが実際のところだ。

 

 

世の中言ったもん勝ち。

それは間違いなくその通りだが、「言う人」にはそれに伴うリスクや責任が、もれなく発生していることも事実だ。

その部分をまったく見ずにただ「言ったもん勝ちだよね」みたいな発言をする人は、自分が「言う人」になる努力をしているのかと問いたい。

 

だれかに言ってもらってないか?

敏感な誰かに言わずとも察してもらってないか?

そしてそれが当たり前になってないか?

 

 

みんなに「言う人」になれとは言わないけど。

なにか伝えたいなら「言う」しか方法はない、ってあまりに当たり前のことなのに、言わずに伝わる、言わずに察して、って思ってるやつは甘ちゃん過ぎんだろ。

言えよ。

言えんだろ。しゃべれんだろ。

 

 

そんなんも余計なお世話だってわかってる。

言えない言わない奴は、勝手に言わないことによって生じる不利益を下唇噛んで我慢する人生送りゃいい。

そいつらの人生まで背負ってやる必要なんかないもんな。

 

 

でもなんか、知ってしまうと、気づいてしまうと、見なかったフリでスルーするのも寝覚めが悪いんだよなぁ。

なんて手前勝手な自己都合。

 

 

うん、人間ってのはホントにわがままだよね!

 

 

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言わない聞かないしゃべらない~コミュニケーションはどこまで必要か

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現在の職場に不満はいまのところない。

パートさん同士はかれこれ7カ月生き残ってきているメンツ、どなたも仕事ができて最低限以上のコミュニケーション能力も持っていて、お互いの関係性も非常に良好だ。

ほどほどの距離間で他愛もない話をしつつ、過酷な労働環境下でも笑いが絶えない。

際立って面白い人がいるってほどでもないが、みんな善悪で分ければ善寄り。

比較的年齢層が近いこともあり、いろんな意味でなかなか優秀。

ゆえにたいへんアットホーム、フレンドリーな環境で快適に働かせてもらっている。

 

いっぽう雇い主側となる会社そのものの社員さんたちは、フレンドリーとは程遠い。

 

直接の上司となる監督係の社員さん(以後結構出てくると思うので仮にBさんとしておこう)とはもう付き合いも長くなってきたのでそこそこ円滑なコミュニケーションは取れるようになっているが、その先がどうにも風通しが悪い。

 

 

 Bさんの話

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職種柄不特定多数の知らない人が完全防備で出入りする環境のため、入ってきた人が誰なのかまったくわからないこともよくある。

挨拶もろくに返ってこない、どころか、名前を聞かれたことも、名乗られたことすらほとんどない。

そりゃ単なる駒であるパートさんにいちいち名乗ったりは必要ないのかもしれないが、なんだろう、名前という記号なしでどうやって仕事をスムーズに進められるのかな、と単純に不思議に思う。

質問したり指示したりってのはどうしても発生するものだから、そのときに記号はあったほうが便利じゃんか。

 

そういう意味合いではなくても、普通に社会人としてオトナとして、初対面でかつ以降継続的に顔を合わせることが確定しているなら、最低限の礼儀作法というか当たり前の流れで挨拶と名乗りくらいはあってしかるべきではないのか。

 

 

もっとも、現在の会社は面接時にすでにその兆候はあった。

わたしはBさんが面接を担当してくれたのだが、その際にも過去の経歴や人柄にいっさい興味がないといった趣だった。

 

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迅速で的確、ではあるが、なんか味気ないというか物足りない印象はあった。

でもそれが会社のカラーなんだろうと解釈していたのだが。

 

 

実際7カ月勤めてみると、なるほどそういう感じの人の集合体なんだということが理解できてきた。

つまり、無駄なことは言わない、聞かない、しゃべらない。

仕事に必要なことだけを粛々とこなし、詮索しない、解放しない、慣れ合わない。

「仕事」というのは「利益を追求する集合体」なので、ある意味効率的と言えなくもないし、基本理念はそれでいいと思う。

けして否定するスタンスではない。

ないんだけど。

 

 

たとえば現場でハサミが10個欲しいって話になるとするじゃん。

それをBさんに伝える。パートさん同士とBさんの間にはある程度のコミュニケーションに則って信頼関係がそこそこできているので、ここまでは問題なく進む。

ところがここから先がまるで不透明。

Bさんで話が止まってるのかと再三催促をするも「上から許可が出ない」「上で止まってる」。

2週間くらい経ってぽつんと1個だけピンセットが補充されてきたりする。

なんで1個?てかなんでピンセットだよ?ハサミの代役にすらなれないよ?

 

 

少数精鋭の効率厨たちが集まっているはずの会社なのに、部分的にいまいち動きが鈍い。

頼んでもいない大量の物資が届いて作業スペースを占領したり、数日行ってないうちに新しい装置や方式が採用されてやり方がものすごい変わっていたりもする。

研究の側面もあるのは承知しているので朝令暮改は受け入れているが、そういう状況でいちばん大切なのってまさにコミュニケーションじゃんか。

なにを目的としてどこがどう変わったのか、それによってどうしていきたいか。

わたしがあまりにも毎度しつこくBさんに訊くので、近頃は変更点などを彼のほうからみんなに詳しく話してくれるようになり、そこは風通しそこそこよくなってきたからいいんだけどさ。

そっから上の人たちとは、風通し云々以前にいまだ名乗り合う機会すら得られていないためまったく不透明で、結果Bさんが全部抱え込んでしまう事態になりかねず。

そうなるとBさんをパートみんなで責め立てるのもなにやら申し訳ない気持ちになる。

おもしろいくらい現場と事務の間の風通しが悪い典型。

 

一度わたしの給料計算が間違っていたことがあり、直接の原因はわたしの記載ミスだったんだが、明細が事務方から送られてきたためそこに返信してその旨を伝えたことがあった。

それに対する返信は「Bに話してください」とにべもなく。

けして社会人として無礼な文面ではなかったが、わたしはそのあまりの態度に腹が立った。

申し訳ございませんとかお手数おかけいたしますとか、なんか一言あってもいいだろ。

その短い最低限のメールは「こっちに責任ないから知らねーよ、そっちで解決しな」と如実に丸投げを物語っていた。

よっぽど事務棟に乗り込んでいって文句言ってやろうと思ったが、Bさんから謝罪を受けしぶしぶ矛を収めた形になった。

っていうかあなたに怒ってるんじゃないのよってかえって申し訳ない気持ちにすらなった。

 

コミュニケーション自体について言うと、「特別視されるものではないけどある程度は必要で重要」だと個人的には考えている。

それは今の職場に移ってほんとうに実感してるけど、どんな職場でも。

店だろうが工場だろうが事務だろうが在宅だろうが、結局完全に自分一人で完結する場合を除けば、どうしたって他人との意思疎通の必要は発生してしまう。

その際にいかに迅速に的確にかつ円滑に意を伝え意を汲み取れるかってのは、よほど伝達能力や聞き取り能力が高い人は別として、結局普段からどの程度の意思疎通がはかれているかによる。

そして普段から意思疎通をはかっておくには、やっぱり他愛もないコミュニケーションは取っておくほうがいい、という結論になるわけで。

というか「取っておいて損はない」。

まあそれはコミュニケーションが苦でないわたしだから気軽に言えることで、得意でない人にとっては地味に負担になるのかもしれない。

 

 

以前某大の偉い教授先生が勤務時間中に工場に来たことがあり。

誰なんだろうと気になって「先生なんですか?」と尋ねると(この質問もたいがいアホだが)とても気さくに名乗ってくださり、こちらの名前もたずねてくださった。

その後も少し話をしたが、まったく気取ることも偉ぶることもなく、たいへん円滑なコミュニケーションが取れた。

さすがきちんとしたオトナだなぁ、なんてそんな当たり前のことに感心してしまう自分がなんだか滑稽に思えてきた。

いやいや普通だろ。危ないな、当たり前でないことを当たり前と思って長い時間過ごすと、常識のレベルが変わってきちゃうんだな。

 

その時の会話を別の社員さんが聞いていたようで、あとになって

「敬語を使っていないことがハラハラした」

みたいな意味のことを言われた。

当の先生がどう思っていたかはさておき、自分じゃ全然意識してなかったけど傍で聞いているとそういう感じなのか、とちょっと驚いた。

それでも気を使ってたほうなんだけどなー。

 

 

この話はまたいずれ別に書くが、その彼女の言葉には「いい大人なんだからTPO考えてちゃんと敬語使えよ」みたいな、若干非難するニュアンスが含まれており、わたしはそういうとこ無駄に敏感なので、「これらかも使わねーよ。つか敬語そんな大事?マジで?」みたいな、少し棘の生えた言葉を返した。

つーかそんないらんこと気にするくらいならもっと社内でコミュニケーション取ってくれよ、と普通に思った。

 

言わない聞かないしゃべらない。

それでも仕事に支障がないならおおいに結構だが、結果的にコミュニケーション不足で二度手間三度手間になるくらいなら、わたしはごめんだ。

これからも言うし聞くししゃべりまくる。

どうでもいいことをしゃべりまくり、何度聞いても覚えないようなことをたずねまくる。

効率とは程遠いけど、わたしはそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていくんだなぁ。

 

そんなわたしをいまのところ受け容れてくれているパート仲間とBさんには、ほんとありがたく思っとる昨今です。

 

 

こないだパート仲間のひとりに「〇〇さんって朝飯食う人?」って質問したら

 

「その質問3回目です」

 

さすがにちょっと反省したさ。

でももはや面白いから次会ったらまた聞こ。今度はネタとして。

 

 

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つか今日の記事めちゃくちゃコミュニケーションって単語出てきたな。

 

 

職場のコミュニケーションの話

 

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