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コミュ力最強論~望んじゃいない猿山のボス

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職場に新しいパートさんがドカンと入ってきた。

まだ名前も顔も一致しないが、それなりに和気あいあいと働けている。

もっともそう思っているのはわたしだけかもしれない。

 

長く監督をしてくれていたBさんが急に現場を離れることとなり、戦場は少々混乱している。

体制がようやく整ってきたかな?くらいの状況だったので、引継ぎ云々はもちろん、また新たな上長との信頼関係の構築から始めねばならず、そこへ新人さんの大量補充。

 

古兵たちは新体制下一発目のシフトを見て誰もが不満の声を漏らした。

こんなシフトで回るわけないとか、週4とかだったのが週2とか週1まで減らされている、ようやく慣れてきてたのに冗談じゃない、とか。

 

そりゃそうだ。これまで希望していない時間帯やらでも参戦し、当初週1にも満たなかった状態から急ハンドルで制服の洗い替えも支給されないまま週4の過酷シフトに耐え、わけもわからぬ朝令暮改にこれでもかと振り回され、タイトすぎるスケジュール故善意での残業ボンバーに付き合い、して生き残ってきた古参兵たちだ。

おまけにろくに知らされないまま隊長が交代し、しかも今度の隊長は専任ではなく着任の挨拶もなし。

副隊長が2人ついたがいずれもよそとの兼任で、正直いったい誰がわれわれの責任者なのかわからない。

これで隊に命預けろってのは、無理だなぁ。

 

 

余談。

仕事を戦争に例えているが、わたし自身、仕事ってのは戦場であり、同時に会社との結婚あるいは大恋愛だと思ってる。

信頼できる上司と仲間とともに仕事という名の敵と戦う。

会社のことが大好きで、生活の全部を捧げても尽くしたいと思える。

という両輪でわたしは仕事というものを捉えている。

だからわたしは正社員にはなれないし、なりたくない。

命がけになっちゃうと、家庭を顧みず家がめちゃくちゃになっちゃうの目に見えてるからさ。

 

閑話休題

 

古株さんたち同士では今後の身の振り方も少なからず話題にあがっていた。

今後のシフト次第では新しい仕事を探す人も出てくるかもしれない。

それでも、パートさん同士の関係が良好だったため、ブチ切れて辞めるって言いだすような人はいなかった。

ある意味わたしがいちばんやばかった。

 

もっとも、新しい副隊長のひとりはまだ若いがかなりよい視野を持っている。

彼女となら支えて一緒に働いてもいいと思える。

その彼女を育てたのが新しい隊長殿なので、面識はほぼないが新隊長はおそらくすぐれた人であると推測できる。

でも、ふたりともよその人なんだけどな。って思うと、会社に恋をしたいわたしとしては微妙ーーーーな気持ちになる。

 

仕事自体は楽しいのでまだまだ続けるつもりではいるが、恋愛はなにで冷めるかわからず、冷めると早い。

これからも恋をさせ続けていただきたいものだ。

 

 

だいぶどうでもいい話が長くなったが、新人さんがたくさん入ってきて、体制も大きく変わった。

こういう激動下では、わたしの手持ち最強武器、コミュ力がいかんなく発揮される。

 

いちおう「工場」なので、仕事自体は基本的に「誰がやってもだいたい同じ結果が出る」ようにデザインはされている。

それでも仕事内容はそれぞれ異なり、当然個人差も出てくる。

「得手不得手」ができてくる、って意味ね。

 

作業だけを見ると、残念ながら現時点でわたしは作業が早いほうではない。

作業内容にもよるが、わたしより仕事が早い、仕事ができる人は古株さんのなかにはいっぱいいる。いやむしろみんなわたしよりできる。

それがとても悔しい。

わたしはいつだって一番でなければならない。

だって仕事できねーのに口だけ達者で態度だけでかいって最悪じゃん。

できなきゃ。まずできてから。

 

だが、自分で言うのもなんだが、わたしは戦術理解度だけは高い。

要はなにがどうしてどうなってどうしたいか、意図や目的を一番早く理解し、次にどの作業をするために何を用意しておけばいいか、などを考えることも苦手ではない。

そしてそれらは言うまでもなく、コミュ力の高さに由来している。

つまりアレだ、どうすればこの試合に勝てるかは誰よりもわかってるんだけど、実際にフィールドに出るとそれほどすぐれたプレーヤーではないってやつ。

技術力や身体能力があきらかに不足してるタイプ。

うーん言ってて情けなくなってきてるよ!

 

ちなみにこの話をはむぺむとした際に、やはり彼は「おまえは一番になれ」と安西先生みたいなことを言ってきた。

細かい作業でよく見えないなら眼鏡をかけろ、道具が手に合わないならカスタムして専用道具を作れ、能力足りないなら補助用具を使え。そうすればおまえなら絶対勝てる。

どんな些細な事柄でもやるからにはいつだって200%全力の彼らしい発言。

いつ辞めてもいいかなーなんてちょっと思ってたわたしは、おかげでだいぶやる気出た。

 

また脱線したな。

 

わたしは仕事ができる人、ではないというのが情けないが現在の事実。

できないわけじゃないが、そこそこ。少なくとも一番ではない。

 

でも、なんかエラそうなんだよね。

いやそりゃわたしの口の利き方とか態度はもちろんあるかもだけど、なんつーかこう、発言力を持ってしまっている、感じ。

それは自分が望んだわけじゃなく、なんかそうなってしまっているって意味。

 

古株も新人も上長たちさえ自分の顔色を窺っているのがわかる。

べつにビクビクされてるってわけじゃない。

ただ、自分の発言が自分で思っている以上に期待され、受け止められている感じがある。

うん、ただの自意識過剰だったらそのほうがいいんだけどさ。

 

発言権を持つこと自体は悪いことじゃない。

コミュ力が無駄に高いんだから、ある意味当然と言えば当然だ。

でもなんか、実力が伴っていない状態でコミュ力だけが暴走しちゃってる感じが自分であるんだよ。

 

言ったら「猿山のボス猿」的なきもち。

 

それは裏を返せば「仕事はできなくても発言権を得られる」ということでもある。

なるほど、そういうオトナいっぱいいるよね。

なんでそういう奴が発言権や権力を持ってるんだろうって幼いころからずっと疑問だったんだけど、いま、まさに今それがわかったよ。

コミュ力という武器を使って望んでボス猿になった人もたくさんいるだろうし、あるいは望んでもいないけどなんとなく祭り上げられちゃってる人も、実はけっこういるんだろうな。

 

 

わたしはボス猿になりたいわけじゃない。

コミュニケーション自体、べつに人心掌握のためにやってるつもりはまったくない。

単に作業中は手は忙しくても口は暇だから動かしてるだけで、普段のやり取りには中身なんてないしろくに覚えちゃいない。

ただひたすら欲するところを言葉にして吐き出しているまでだ。

発言を期待されることが、なんかいたたまれない。

 

それでも群れで生きる性質上、コミュ力高いと群れの中である程度重要な位置づけになってしまう。

仕事たいしてできなくても、コミュ力が高いだけで発言を求められる。

それを繰り返してると自他ともにボス猿的な認識が出来てきてしまう。

 

なんてなことを、新人さんがわらわら入ってきて妙に感じさせられてるこの頃。

 

いままずわたしがやるべきことは、パートさんの中で一番仕事ができるようになること、だ。

ボス猿気取って調子乗ってないで謙虚に真摯に作業と向き合って努力することだ。

 

 

わかっちゃいるけど根が不真面目だからさぁ、努力が苦手なんだよねぇ。

ラクして適当にしゃべって、それなりに楽しく過ごせればいいし。

 

 

コミュ力は仕事はもちろん人生のどんなシーンに於いてもある意味最強だが、同時にわたしみたいなダメ猿が発言権を得てしまう危険性も孕んでいる。

 

 

理想は「口八丁手八丁」です。がんばれわたし。

 

 

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言ったもん勝ちだけど、言うには覚悟と責任が伴う

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よく「世の中言ったもん勝ち」だって言うじゃない。

そしてそれにはたいがい、マイナスイメージが伴う。

要するに「自己中、わがまま、言いたい放題な人が結局トクするのよね」みたいな話。

 

わたしは分類すれば言うほうだ。

メチャクチャ言うほう。

でも正直、ぜんぜん得してない。むしろ言えば言うほどどんどんてめえの首が絞まっていく。

 

 

まずそもそも論として、「言ったもん勝ち」なのはあったりまえだ。

そりゃそうだ。何事につけ言うか言わないかって事柄があったとして、その結果「何かを変えたい」のであれば、言うしか選択肢はない。

一択だろどう考えても。言わなきゃ伝わらん。

 

 

それなのになぜか多くの人はそこが二択になっている。

察しろってのか。無理だろ。それともグチグチ言いつつ我慢すんのか。

ところが、ここに「言う人」がいると、なんとなくそこに期待が集まってくんだ。

 

 

要するにわたしがその「言う人」。

そういう奴が群れに一匹紛れ込んでると、先ほどの選択肢は三択になる。

すなわち

「言う」「言わない」「言える人に言ってもらう」

 

 

そんで、この「言う人」がわがまま全開で鈍い奴だったら、それはそれである意味かまわない。

「みんな言いたいこと言えばいいじゃない、わたしみたいに!」

こうやって言えれば、そいつだけがみんなから自己中だなって指さされてりゃいいことだ。

だけど、「言う人」のなかには無駄に(まさに無駄に!)敏感なやつもいてさ。

 

 

言わない人、言えない人の気持ちも思惑もわかる。

無言のなかに「あなたが言ってくれるんでしょう?だっていつもいろいろ言ってるもんね!」って期待をひしひしと感じる。

まぁ少なからず被害妄想はあるんだろうけど。

 

感じてしまうと、わかってしまうと、使命感が生まれる。

言えない人の分まで、言いたいことを言ってあげなくちゃ。

だってわたしは言えるんだから。

嫌われ者になってもいい、ちょっとでも相互理解を深めるためにもみんなの言いたいことをより感じ取れるわたしこそがその役目をしなくちゃ。

完全に自己都合ではあるが、結果言えない人の分まで言うことになる。

 

 

そうこうしているうちに、言わない言えない人は「言う人に言ってもらうことが当たり前になる」。

もうこうなると最悪だ。

我慢しないで自分のために言いたいことを言ってきていたはずなのに、いつの間にかまわりの人の代弁者になってる。

まわりの人も自分たちの言いたいことを言わなくても言ってもらえることが当然になっているため(言い回しがすげえわかりづらいな)、表現悪いが「つけあがる」。

 

 

あのさ、こっちだって言いたくて言ってんじゃないんだよ。

いや、もともとは言いたくて言いたいことしか言ってなかったけどさ、それに過剰に期待を寄せて、便乗してそれを当たり前に享受して、しかも「言う人」に対して主張を述べるだけで「言ったつもり」になるの、マジでやめてくんねえかな。

 

自分の主張は自分でしようよ、いつだって、誰に対してだって。

そのための覚悟と、それによって生じる責任くらいはてめえで取ろうよ。

 

オトナだろ。

 

 

何かを言うには当たり前に責任が伴う。

それを取るための覚悟を決めて、つまりまずは腹をくくってから発言すべきだ。

 

 

陰回って言うだけ言って、でも自分の身は守りたいんだよね、わたしが言ったわけじゃないし、聞いてないし、知らないし、わたしは悪くないから。

ふざけんなっての。

 

 

つけあがった人たちの言うことなんざ聞かなければいいだけで、勝手に忖度して周りの代弁者になったつもりになって、被害者意識を育ててるだけのこじらせた人、に一見見える。

 

でも、どんな些細なことでも言わなきゃ伝えなきゃ変わらない。変わりようがない。

そのために取る労を、当たり前のこととしてスルーされ続けると、だんだんアホらしくなってくるのが実際のところだ。

 

 

世の中言ったもん勝ち。

それは間違いなくその通りだが、「言う人」にはそれに伴うリスクや責任が、もれなく発生していることも事実だ。

その部分をまったく見ずにただ「言ったもん勝ちだよね」みたいな発言をする人は、自分が「言う人」になる努力をしているのかと問いたい。

 

だれかに言ってもらってないか?

敏感な誰かに言わずとも察してもらってないか?

そしてそれが当たり前になってないか?

 

 

みんなに「言う人」になれとは言わないけど。

なにか伝えたいなら「言う」しか方法はない、ってあまりに当たり前のことなのに、言わずに伝わる、言わずに察して、って思ってるやつは甘ちゃん過ぎんだろ。

言えよ。

言えんだろ。しゃべれんだろ。

 

 

そんなんも余計なお世話だってわかってる。

言えない言わない奴は、勝手に言わないことによって生じる不利益を下唇噛んで我慢する人生送りゃいい。

そいつらの人生まで背負ってやる必要なんかないもんな。

 

 

でもなんか、知ってしまうと、気づいてしまうと、見なかったフリでスルーするのも寝覚めが悪いんだよなぁ。

なんて手前勝手な自己都合。

 

 

うん、人間ってのはホントにわがままだよね!

 

 

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言わない聞かないしゃべらない~コミュニケーションはどこまで必要か

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現在の職場に不満はいまのところない。

パートさん同士はかれこれ7カ月生き残ってきているメンツ、どなたも仕事ができて最低限以上のコミュニケーション能力も持っていて、お互いの関係性も非常に良好だ。

ほどほどの距離間で他愛もない話をしつつ、過酷な労働環境下でも笑いが絶えない。

際立って面白い人がいるってほどでもないが、みんな善悪で分ければ善寄り。

比較的年齢層が近いこともあり、いろんな意味でなかなか優秀。

ゆえにたいへんアットホーム、フレンドリーな環境で快適に働かせてもらっている。

 

いっぽう雇い主側となる会社そのものの社員さんたちは、フレンドリーとは程遠い。

 

直接の上司となる監督係の社員さん(以後結構出てくると思うので仮にBさんとしておこう)とはもう付き合いも長くなってきたのでそこそこ円滑なコミュニケーションは取れるようになっているが、その先がどうにも風通しが悪い。

 

 

 Bさんの話

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職種柄不特定多数の知らない人が完全防備で出入りする環境のため、入ってきた人が誰なのかまったくわからないこともよくある。

挨拶もろくに返ってこない、どころか、名前を聞かれたことも、名乗られたことすらほとんどない。

そりゃ単なる駒であるパートさんにいちいち名乗ったりは必要ないのかもしれないが、なんだろう、名前という記号なしでどうやって仕事をスムーズに進められるのかな、と単純に不思議に思う。

質問したり指示したりってのはどうしても発生するものだから、そのときに記号はあったほうが便利じゃんか。

 

そういう意味合いではなくても、普通に社会人としてオトナとして、初対面でかつ以降継続的に顔を合わせることが確定しているなら、最低限の礼儀作法というか当たり前の流れで挨拶と名乗りくらいはあってしかるべきではないのか。

 

 

もっとも、現在の会社は面接時にすでにその兆候はあった。

わたしはBさんが面接を担当してくれたのだが、その際にも過去の経歴や人柄にいっさい興味がないといった趣だった。

 

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迅速で的確、ではあるが、なんか味気ないというか物足りない印象はあった。

でもそれが会社のカラーなんだろうと解釈していたのだが。

 

 

実際7カ月勤めてみると、なるほどそういう感じの人の集合体なんだということが理解できてきた。

つまり、無駄なことは言わない、聞かない、しゃべらない。

仕事に必要なことだけを粛々とこなし、詮索しない、解放しない、慣れ合わない。

「仕事」というのは「利益を追求する集合体」なので、ある意味効率的と言えなくもないし、基本理念はそれでいいと思う。

けして否定するスタンスではない。

ないんだけど。

 

 

たとえば現場でハサミが10個欲しいって話になるとするじゃん。

それをBさんに伝える。パートさん同士とBさんの間にはある程度のコミュニケーションに則って信頼関係がそこそこできているので、ここまでは問題なく進む。

ところがここから先がまるで不透明。

Bさんで話が止まってるのかと再三催促をするも「上から許可が出ない」「上で止まってる」。

2週間くらい経ってぽつんと1個だけピンセットが補充されてきたりする。

なんで1個?てかなんでピンセットだよ?ハサミの代役にすらなれないよ?

 

 

少数精鋭の効率厨たちが集まっているはずの会社なのに、部分的にいまいち動きが鈍い。

頼んでもいない大量の物資が届いて作業スペースを占領したり、数日行ってないうちに新しい装置や方式が採用されてやり方がものすごい変わっていたりもする。

研究の側面もあるのは承知しているので朝令暮改は受け入れているが、そういう状況でいちばん大切なのってまさにコミュニケーションじゃんか。

なにを目的としてどこがどう変わったのか、それによってどうしていきたいか。

わたしがあまりにも毎度しつこくBさんに訊くので、近頃は変更点などを彼のほうからみんなに詳しく話してくれるようになり、そこは風通しそこそこよくなってきたからいいんだけどさ。

そっから上の人たちとは、風通し云々以前にいまだ名乗り合う機会すら得られていないためまったく不透明で、結果Bさんが全部抱え込んでしまう事態になりかねず。

そうなるとBさんをパートみんなで責め立てるのもなにやら申し訳ない気持ちになる。

おもしろいくらい現場と事務の間の風通しが悪い典型。

 

一度わたしの給料計算が間違っていたことがあり、直接の原因はわたしの記載ミスだったんだが、明細が事務方から送られてきたためそこに返信してその旨を伝えたことがあった。

それに対する返信は「Bに話してください」とにべもなく。

けして社会人として無礼な文面ではなかったが、わたしはそのあまりの態度に腹が立った。

申し訳ございませんとかお手数おかけいたしますとか、なんか一言あってもいいだろ。

その短い最低限のメールは「こっちに責任ないから知らねーよ、そっちで解決しな」と如実に丸投げを物語っていた。

よっぽど事務棟に乗り込んでいって文句言ってやろうと思ったが、Bさんから謝罪を受けしぶしぶ矛を収めた形になった。

っていうかあなたに怒ってるんじゃないのよってかえって申し訳ない気持ちにすらなった。

 

コミュニケーション自体について言うと、「特別視されるものではないけどある程度は必要で重要」だと個人的には考えている。

それは今の職場に移ってほんとうに実感してるけど、どんな職場でも。

店だろうが工場だろうが事務だろうが在宅だろうが、結局完全に自分一人で完結する場合を除けば、どうしたって他人との意思疎通の必要は発生してしまう。

その際にいかに迅速に的確にかつ円滑に意を伝え意を汲み取れるかってのは、よほど伝達能力や聞き取り能力が高い人は別として、結局普段からどの程度の意思疎通がはかれているかによる。

そして普段から意思疎通をはかっておくには、やっぱり他愛もないコミュニケーションは取っておくほうがいい、という結論になるわけで。

というか「取っておいて損はない」。

まあそれはコミュニケーションが苦でないわたしだから気軽に言えることで、得意でない人にとっては地味に負担になるのかもしれない。

 

 

以前某大の偉い教授先生が勤務時間中に工場に来たことがあり。

誰なんだろうと気になって「先生なんですか?」と尋ねると(この質問もたいがいアホだが)とても気さくに名乗ってくださり、こちらの名前もたずねてくださった。

その後も少し話をしたが、まったく気取ることも偉ぶることもなく、たいへん円滑なコミュニケーションが取れた。

さすがきちんとしたオトナだなぁ、なんてそんな当たり前のことに感心してしまう自分がなんだか滑稽に思えてきた。

いやいや普通だろ。危ないな、当たり前でないことを当たり前と思って長い時間過ごすと、常識のレベルが変わってきちゃうんだな。

 

その時の会話を別の社員さんが聞いていたようで、あとになって

「敬語を使っていないことがハラハラした」

みたいな意味のことを言われた。

当の先生がどう思っていたかはさておき、自分じゃ全然意識してなかったけど傍で聞いているとそういう感じなのか、とちょっと驚いた。

それでも気を使ってたほうなんだけどなー。

 

 

この話はまたいずれ別に書くが、その彼女の言葉には「いい大人なんだからTPO考えてちゃんと敬語使えよ」みたいな、若干非難するニュアンスが含まれており、わたしはそういうとこ無駄に敏感なので、「これらかも使わねーよ。つか敬語そんな大事?マジで?」みたいな、少し棘の生えた言葉を返した。

つーかそんないらんこと気にするくらいならもっと社内でコミュニケーション取ってくれよ、と普通に思った。

 

言わない聞かないしゃべらない。

それでも仕事に支障がないならおおいに結構だが、結果的にコミュニケーション不足で二度手間三度手間になるくらいなら、わたしはごめんだ。

これからも言うし聞くししゃべりまくる。

どうでもいいことをしゃべりまくり、何度聞いても覚えないようなことをたずねまくる。

効率とは程遠いけど、わたしはそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていくんだなぁ。

 

そんなわたしをいまのところ受け容れてくれているパート仲間とBさんには、ほんとありがたく思っとる昨今です。

 

 

こないだパート仲間のひとりに「〇〇さんって朝飯食う人?」って質問したら

 

「その質問3回目です」

 

さすがにちょっと反省したさ。

でももはや面白いから次会ったらまた聞こ。今度はネタとして。

 

 

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つか今日の記事めちゃくちゃコミュニケーションって単語出てきたな。

 

 

職場のコミュニケーションの話

 

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【小ネタ】酒をやめるとどうなるか?

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相変わらずよく酒を飲む人です。

ほどほどの酒量だとなおさら頭がよく回るようで、落語家みたいなことをしばしば言ってます。

 

「体のこと考えたらちったあお酒控えないとねぇ」

「うーん、でも俺、酒をやめるとひっくり返るからさ」

「ナニソレ?」

「さかだち」

 

逆立ちと酒絶ちがかかってんのね。

ほんと飽きないわ、この生き物。

 

***

 

気づけば10月も終わるー!全然更新できてない!

書きたいことは例のごとく山積みすぎんだけどなかなかまとまった時間が取れない!

いや取れるけど取れないっていうか、なんか更新に対してものすごい億劫になってんだよね最近。

めっちゃ書きたいんだけど、いざ書こうとするとあれもこれもってなって、調べてまとめてとか考えると全然時間足りない!ってなる。

こうやってダラダラ書くんだったらすぐ書けるのに、勝手に自分でハードルあげっちゃってんだよなー。

 

というわけでとりまリハビリ的に小ネタ。

これくらいならすぐ書けるのに、1か月以上も放置しちゃって。。

まぁいないとは思いますが定期的に見に来てくださってる方が万一いらしたらごめんなさい、お久しぶりです、いつもありがとう、愛してます(←?)。

 

日々あれこれ考えてることとか、尽きぬ泉のはむぺむネタとか、お出かけ、食べたもん、行ったとこ、仕事のこと、あーーーあれもこれも書いておきたい!

ってのをまたぼちぼち書いていきますので、どうぞ今後ともゆるーっとよろしくお願いいたします。

 

 

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生産のヨロコビ

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このほど、お勤め先で育てている野菜が地元の物産スーパー店頭に並ぶはこびとなった。

 

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勤め始めて5カ月ほど。

理科の実験的、かつなかなかの肉体労働。

すでに種まきから収穫までの流れを何度も繰り返してはきたし、商業用として出荷されているのも知ってはいた。

実際に収穫した野菜を大量にいただいて持ち帰って食べもした。

だが、あらためて自分が買い物をすることもある店に商品として並ぶのはなにやら感慨深い。

 

 

これまで多くの種類の仕事に従事してきたが、ふと思い返すと「ものを作る」仕事はしたことがなかった。

いや、たとえば料理なんかは「ものを作る」といえばそうだし、パッケージングなんかもそうなんだけど、言ってみれば材料ありきの組み立て作業なわけで、素材の素材から実際に役立つなにかにまで育てる過程に携わったことがない、というか。

うまく言えないけどそんな感じ。

 

 

種まきから収穫、包装、店頭に並ぶまでの一連の作業に携われるというのはこんなに面白いことなんだなぁとしみじみ実感しているところ。

職場内でもネタとして話には出るが、よく見かける「わたしが作りました」な写真に自分が載った商品が陳列されててもおかしかない、という仕事をしてるわけだ。

これはなんかテンション上がるわ。

 

 

立ち上げ間もない現場とあって、あらゆる仕組みが手探りで朝令暮改の嵐だが、それがまた面白い。

駒の立場としては言うまでもなく大変だが、そのかわり駒の意見もよく聞いてくれ、それが反映され、少しずつ改善していく様子が肌でわかる。

システムの完成している大型工場なんかではなかなか体感しにくい事柄が、行くたびに実感できる。

わたしみたいに言いたいことを我慢せずに言いっぱなしやりっぱなしな人間には最適だ。

実際にやってみてよくないと感じたことだけがーがー言ってりゃいい。社員さんたちがそれを改善するように努力してくれるわけだ。

 

 

そうは言ってもお仕事なのだから楽しいばかりではない。

一緒に入ったパートさんも一人抜け二人抜け、歯が抜けるようにじわじわ減っていく。

原因はひとくくりにこそできないが、主だったものとしては「思ったより重労働」なこと。

実際、入る前の触れ込みとしては快適な室内で植物のお世話、くらいのニュアンスだった。

ふたを開けてみれば重い機材に振り回され大量の水でずぶ濡れになり、それこそ秒単位で作業に追われる。

話が違うって辞めてっちゃう人のことはまったく責められない。

 

 

わたしは農家だったこともないし、農作業の大変さを知らない。

でも土も使わず温度管理された場所で野菜を育てる、というある意味最先端の?工場で農業に従事してみて感じることは、農作業がどれだけ過酷かってこと。

晴れてりゃ暑くてかなわんし、体勢も常にツライ。ある意味いっときだって目が離せず、台風なんて来た日にゃ手塩にかけたかわいい子たちが全部パアだ。

そうして農家のすさまじい苦労を想像すると、わたしなんかは現在の重労働もせいぜい軽作業の部類だなーなんて能天気に思ってる。

ものごとはすべからく主観の問題、捉え方の問題なのかもしれん。

 

 

まだまだこの先どうなっていくのか皆目わからない。

会社自体がどこへ向かってるのかもよくわからないし、肝心の野菜そのものもどうやって売っていくつもりなのか、というかそもそもそこで利益を出して恒常的にやっていくつもりなのかどうかもわからない。ビジョンがまったく見えてない状態。

でもだからこそ、ちょっかい出せる余地がある、のも確かなわけで。

 

現場のアレコレ、構造の問題、備品の欠如、人員の配置、効率的な作業の方法から、パッケージングやブランド化、売り方見せ方謳い文句、妄想はいくらでも広がる余地があり、採用されるかどうかはさておき、それをわりとまじめに聞いてくれる社員さんがいる。

わたしみたいな暇人パートにゃなかなかエキサイティングな職場です。

 

 

あとは、体が持てばね。最近腰が痛いのが悩みです。

くぅ~BBAな発言がてめえで言っててすげえやだ!

 

 

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【作品が好き?作者が好き?】ファンの定義【愛だろ、愛】

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かの速水真澄の名言に

 

「ファンとは、バカなものだな」

 

というのがある。

 

ハイハイ速水さんがわからない人はコレ読んでくださいね。

ガラスの仮面 1

ガラスの仮面 1

 

 

舞台女優としてのマヤに惚れこむあまり公私混同の嵐。

もともとファンからはじまったはずなのに、作中の彼らは愛をはぐくんでいくわけですが。

 

 

「ファン」という言葉は極力使わないようにしている。

近頃のご時世で熱狂的なファンに「そんなんでファンなんて名乗らないでよね!」とか言われたわけではもちろんなく、なんか「ファン」という言葉には「作品が好き」というものに「その作品を作っている人も好き」「その人を無条件で好き」というのが乗っかってくる感じがして、あんまり得意な単語ではない。

 

 

もともと何か誰かの熱心なファンだったことはたぶんこれまで一度もない。

たとえばアーティストで言えば小学生でバービーボーイズチャゲ&飛鳥、中学生の頃はJUN SKY WALKERSや小田和正高野寛などアルバムをアホほど聞き倒して、全曲そらで歌えるほど、ではある。

でもそれはたまたま手元にあったその人らが作ったアルバムが好きだったんであって、そのアルバムをライブで演奏するよ!って言われても正直「ふーん」だった。

その人らがべつのテレビ番組に出るよ!って言われても「はぁ」だったし、要するに出来上がって与えられた作品は大好きだったけど、それを作っている人たちそのものにまで興味は持てないという程度だった。

新譜が出たところで、発売日に買いに行くでもない。予約なんて考え付きもしなかった。たまたまレコード屋で見つけて気に入れば買うかも、くらいのもん。

そして実際買うまで至っても、たいして気に入らないなんてこともあった。

 

 

高校くらいでブライアンアダムスを好きになり、このときは意外ときちんと新譜を楽しみにしたり、雑誌で情報を追ったりと少しだけしていた。

それも3,4枚と新譜を手にしていき、あるときガラッと作風が変わり、自分の好みの変遷も手伝ってなんとなく興味が失せてしまった。

当時懸命に聴いていた曲たちはいまでももちろん変わらず好きだが、最近の彼が何をしてるのかなんてまるで知らないし興味もない。

別に嫌いになったわけじゃない。

単にその人の作る作品が好きってだけで、その人自体に興味はないから。

 

 

大学生くらいで市村正親を好きになり、彼の舞台は何度か自分でチケットを贖って見に行った。

「この人が好きだから見に行こう」と行動を起こしたのはもしかしてこれきりかもしれない。

対象物として音楽とは違い、舞台は行かないと見られない、から行ったって部分も今思えばあったかも。

音楽はパッケージされて届けられる作品で完結できるけど、演劇は、特に舞台は映画と違って自宅視聴だと正しいクオリティで見られない気がする。

 

 

唯一ファンだと言ってよさそうなのは西武ライオンズ

足しげく球場へ行ったりグッズ買ったりするほどではないけど、視聴環境を整えてたまには現地へ足も運ぶしね。

 

 

さてズラズラと書いてきたが、要するにわたしはなにかの熱心なファンだったことが特にない、って話だ。

それがいいとか悪いとかでなく、単に事実としてそうだし、おそらくはこの先もそうだろうと思う。

もちろんそれにはいくつも理由がある。

 

 

まず「ファン」というものをざっくり定義する。

そもそもfanatic(熱狂的な)を語源とする言葉だ。

 

わたしの偏見による「ファン」像とは、対象物に対して惜しみなく愛も金も(可能な範囲で、あるいはそれを越えてすら)注ぎ、対象物を全肯定する。

 

この全肯定が、わたしには到底無理だ。

たとえばAという作家がいたとする。わたしはこのAが書いた「1」という本をものすごく気に入った。人生観を揺り動かされるほど衝撃を受けた。面白い。凄い。

しかし数年後にAが書いた「2」という本は正直がっかりだった。

「1」の時点でわたしがAそのものを好きになり、Aのその後の発言やらを丁寧に拾い集めて注視して、そうして時間を重ねたうえで「2」を読めばひょっとして受ける印象は違ったかもしれない。

でもわたしが気に入ったのはAではなくあくまで「1」であって、その後「2」を読むまでの間のAに起きたこと、Aが考えていたこと、「2」への伏線になっているであろうこと、などなどはまるで関係がない。

作者関係なく1つの作品として「2」を手に取り、がっかりしただけのことだ。

 

つまり「1」に感銘を受け、そこからAを好きになり、次回作「2」が発売されたときにそれを無条件に肯定できるのが「ファン」。

それは盲目になっているって意味ではなく、興味を持って追いかけ続けていれば「2」もそれはそれで新しい魅力にあふれた作品であると感じられるだろうと思うから。

もちろん、追いかけ続けている間に少なからず「愛」は育つだろうし。

そして速水さんの冒頭の台詞になるわけだ。

 

 

ごはん屋さんにたとえればわかりやすいか。

わたしは「はむぺむ屋」というごはん屋さんが大好き。あすこのから揚げ食ったらもうよそのから揚げ食えないよ、ってくらい好き。

すっかりお店のファンになって週に3日も通ってる。

そこのシェフがまたすげえイケメンで物腰も優しくて話も面白い。

もちろん彼が作るからおいしいんだけどさ、だからってべつにシェフを好きなわけじゃない。

ある日シェフが出してくれたとんかつは正直全然うまくなかった。

なにこれ、衣がべしゃっとして食えたもんじゃない。悪い意味でいままで食ったことないよこんなん。がっかりだよ。金返せってレベル。

でもべつに「はむぺむ屋」を嫌いになるわけでもシェフを嫌いになるわけでもない。

また店には来るだろうし、またから揚げは食うだろう。

そしてあとでべつの熱心で店もシェフのことも大好きな常連客から

「なんかね、シェフは新しい概念のいままでにない料理に挑戦したいと思ってるんだって。その手始めに、いままでカリッサクッっていうのが当たり前だったとんかつという料理をいろいろ試してみたいんだってこないだ言ってたよ」

なんて話を聞く。

なるほどその常連客は、わたしが問答無用でがっかりしたとんかつを「意欲作」と捉えたろうな。

ってなんかかえってわかりにくいか?

 

 

世の中にはガチなファンもいれば、もちろんライトなファンもたくさんいる。

どこからをファンと呼ぶのか、ってのは線引き難しい感じはするが、対象物に金を落としていれば、その多寡には関係なくファンと名乗ってもいいのではないかとは思う。

ただし、ある程度継続的に、かつ意図的に。

Aさんの出した作品だから買おう、Aさんのかかわった作品だから見に行こう、という意味で、たまたま単発で買ったってだけじゃファンとは言えない。

 

当たり前だがファンを持つ側の対象者=ほとんどの場合「表現者」だろうが、彼らはファンに何かを売ることでおまんまを食っている。

このあとの話とも多少リンクするが、ファンというのはお客さんのことだ。

タダ見の冷やかしは客ではないし、向こう側からすればより多く金を落としてくれるお客さんはいいお客さんであることは言うまでもなく当然だ。

愛や夢だけじゃおなかいっぱいにはなれないもんね。

 

 

いまひとつわたしが何に対してもファンになりきれない理由が「ヒトは一律でヒト」だと思っていること。

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どんなすてきな音楽を奏でる人も、どんな立派な言葉を述べる人も、大前提としてみんな「自分とおんなじ人間であることには変わりない」と思っているから、無条件にその人の言うことやることステキ!大好き!ってなれない。

 

与えられた作品に感動はするし感銘も受けるが、それを作った「ヒト」に思いを馳せるといきなり視点が変わってしまう。

現実になっちゃう、のだ。

 

 

ファンから見ると対象物は「雲の上」。永遠の片思い。アイドルっていい言葉だよね、偶像崇拝

そこには存在しないがごとく、自分の描く理想のかなたに神々しく坐するのがファンが愛するアイドルで。

そういう人たちのことを「どこまで行っても一律で人間として」見てしまう時点で、わたしはだれのファンにもこの先なれないだろうなぁ、と思う。

 

 

だれかのファンになって、愛も金も情熱も捧げて走り回る姿をちょっぴりうらやましく思うことはある。

そこまでのめりこめたら幸せだろうなぁ。

 

 

…ん、でも、ちょっと待てよ。

 

対象者に興味津々で、対象者の一挙手一投足が気になって、対象者の発言はすべて好意的に聞いて、存在自体を全肯定して、全人生を投げうってすべての愛を注ぎ続ける。

 

いるじゃん、わたしにも。

はむぺむがそれじゃん。

 

 

これまでもこれからも誰のファンでもないという発言は訂正します。

わたしははむぺむのファンでした。唯一無二の超大ファンです。

 

 

…結局のろけなシメかよって石投げられそう。

うん、だってほら、ファンとはバカなものだからさ!

 

 

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「オカシイ」という言葉は誉めてる?貶してる?~ブレることにブレない

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言葉のニュアンスというのは実に面白いもので、発し手によっても受け手によっても印象が変わってくる。

 

凡非凡なんてのはその最たるもんだ。

 

今回の話を語る前にぜひこちらの記事に目を通していただきたく。

 

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「凡人」と言われるとなんかちょっと「つまんない人」って言われてるようだし、「非凡」ならいいかってーとそれも「あなたって変わってるよね」とか「あの人ちょっとオカシイから」って言われると微妙な気持ちになることもある。

 

まぁ、後者のほうはどちらかというと「いまどきは」誉め言葉に取れるのかなと個人的には思うけど。

普通じゃない=平凡でない=特別感があるってんで、むしろそう言われることを喜ぶ人も多いんじゃないかと思う。

 

 

上載の記事でも触れてるが、わたしは超が付く凡人。平凡。

だがはむぺむは非凡の代表みたいな人だ。

「はむぺむって普通の人だよね」って言われてるの見たことないし、20年以上一緒にいるわたしから見ても「平凡だな」「凡人だよな」って思える部分がまるでない。

平凡が悪いわけでも非凡が偉いわけでもない。

ただ「世間一般の水準と比較して」あきらかにちょっとオカシイのだ。

 

 

当人はと言えば「俺は普通だ」。

いや普通じゃないよ、といえば「何をもって普通と言うのか」。

世間の水準を常識ラインとして、そこを大きく逸脱している人を変だというのだと言えば「そんな平均値データあるなら出せ、俺は俺以上に普通で平凡な人を見たことがない」。

 

 

…うん、まぁ、そうなるわな。

自分じゃ自分を1ミリもおかしいと思ってないんだもんな。自分が基準なんだもんな。

 

 

はむぺむの会社の社長さんもたいがいオカシイ人なのだが、その社長がとある取引先の人に

「はむぺむはオカシイから(一緒に仕事してて)大変でしょ」

みたいな話をしたそうな。

それを社長から聞いてはむぺむが憤慨した、というのが今回の話の発端。

 

 

先方はさすがにそれに同意こそしなかったそうだが、そういう表現をする社長の話を聞いてわたしは「愛情」を感じた。

そういう軽口に近いことを言えるのって、身内感ならではだし、はむぺむの「オカシイ」部分を社長自らが愛してるから出る台詞なんだろうと思うからさ。

でもはむぺむはまるで納得いかない顔で怒り心頭。

 

「俺はどこもおかしくない。いたって普通だ。そんなふうに言われるのは心外。むしろオカシイのは社長のほうだ」

 

いや、うん、わたしから見りゃどっちもオカシイさね。

 

 

その凡非凡の話、われわれが自宅で飯がてらネットの動画を見ていた時に出た。

そんときに見ていた動画は路上パフォーマンスで超絶ドラムテクを叩くというもの。

 


凄い!神業!ストリートドラム!

 

なんでこんなの見てるのか忘れたが、わたしに言わせりゃこの時点でもうなんかオカシイ。

 

まぁそれはそれとして、凄いなぁと見とれていたら、次に彼はチンドン屋が見たいとリクエストしてきた。

 

 

「そういうとこだよオカシイの。どういう思考回路でチンドン屋見たいってなるわけ」

 

「打楽器じゃん。路上パフォーマンスだし。むしろ普通の流れだろ。摺り鉦とか聞きたくなるじゃん」

 

「なに摺り鉦って」

 

「摺り鉦ってのは(どんぶりの中に箸を入れてカンカン鳴らしながら)こうやって丸い鉦の中を押したり引いたr」

 

「(食い気味)だからそういうとこだよ!」

 

 

単純に知識が豊富だからオカシイってわけではもちろんなく、そのリンクの仕方がなんかオカシイんだよな。

 

それでも俺はどこもおかしくなんかない、普通だと言い張るので

 

「いままで出会ってきた触れ合ってきたいっぱいの人たちを思い出してみ?みんな君のことどう言ってた?あなたって平凡だね、普通だよねって一部でも一瞬でも一度でも言われたことある?」

 

「ない」

 

「じゃあそれが答えだよね。大勢の人が君を平均でない、水準でないと思ってるってことは君は普通ではないってことだ」

 

「いや、それはそう言ってるみんなのほうがオカシイからだ」

 

多数決って言葉知らんのかおのれは。

 

 

「多かれ少なかれ人はみんなどっかオカシイもんだ」

 

「それには同意するよ。その振れ幅の大きさによって人が人に与える印象ってのは変わるもんなんだよ」

 

「要はどんだけブレてるかってこと?」

 

「そうそう!」

 

「そうか、ならちょっとだけ納得した。

 俺はブレることにブレないのが座右の銘だしな」

 

 

…うん、そうなんだけど、なんかちょっと釈然としない。

 

伝わってんのかホントに?

 

 

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愛車君とのお別れ~15年ありがとうマイチャリ!

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先日、通勤途中にチャリがパンクした。

さいわい道半ば以上は行っていたので時間で困ることはなかったが、ついにこの日が来たかと思った。

 

ただのパンクだし、直せば乗れないこともない。

だけど、もうかれこれ15年くらい乗ってる。

日頃手入れもしてあげないからサビサビだし、前カゴはべこべこで変な形になって荷物もロクに入らないし、漕ぐとギコギコ言うし、とにかく満身創痍と言っていい様相。

 

以前買い替えようと思ったのはもう2,3年前。

そんときは結局土壇場で修理に切り替えた。自転車屋で新しいコを物色していたにもかかわらず、気づけば「直したらいくらですか」って訊いてた。

15年の間何回か修理に出しているので、その費用だけで新人君が2,3台は買えたろう。

なかなか手放しがたかった。

 

わたしは子供の頃チャリンコに乗れず、日常の足として乗るようになったのは結婚後。

愛車君は文字通りわたしにとってはじめての相棒だった。

ボロボロでも、一緒に過ごした日々を、いろんな景色を見たことを思うと、なかなか、なかなか別れがたく。

だから、次にどこかを痛めたら今度こそそのときは、もういい加減引退させてあげようと思っていた。

 

 

どうやらようやくその日が来たようだ。

仕事の後愛車君を引いて自転車屋へ行った。

 

 

 

いったん愛車君を預けて新車の物色をさせてもらう。

そのことをはむぺむに告げると合間を縫って電話をくれた。

 

 

「愛着あるなら直して乗ってもいいんだよ?」

 

 

気持ちが揺らぐ。

もうちょっと、一緒にいてもいいかな?って思いそうになる。

いっぽうで、もう休ませてあげたくもある。

 

悩んだ末

 

「いや、もう買い替えるよ。もうじゅうぶんつきあってくれたよ」

 

 

結局その日は新しいコは買わず、処分費用を支払って愛車君を引き取ってもらった。

店員さんは少し怪訝そうな顔だったが、最後に写真を撮らせてもらった。

お別れに車体にそっと触れると迂闊にも涙がこみあげてきて、あわてて店を辞し歩いて帰宅した。

 

 

週末にでも新しい相棒を探しに行く予定なので、いましばらくはチャリのない暮らし。多少不便だが、相棒への弔い期間に充ててありがたみを思い知るのもよかろう。

 

 

ああ、思い出しても泣けてくる。

ほんとに長年ありがとう。

きみのおかげでわたしの世界はものすごくものすごく広がったよ!

 

 

…うん、相変わらずモノに感情移入しすぎてイタイ子になってますが、ほっといてあげてください。

 

 

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車編愛車君とのお別れ

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人違いしたこともあったねぇ

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ところで今回写真見ながらチャリンコの絵を描いたんだが、自転車をあらためてまじまじ見ることってないんだなって痛感した。

前描いたチャリがヒドすぎる。脳内と実物ってこんなにかけ離れてんだね。

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愛車君とのエピソード

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【2コマ】そのタイミングでその本

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コンビニでは(コンビニでも!)定期的に無駄遣いをしたがるはむぺむ。

食い物や飲み物をひととおり買い終わった後で、コレも欲しいと差し出してきたものが

 

 

「もうダメだ!と思ったら読む本」。

 

 

自己啓発系の本には二匹揃ってとんと興味がないが、だからこそ欲しくなったんだろう。

またこんないらないもんを…としぶしぶ受け取りレジへ。

 

年配の奥様店員さんがレジでバーコードをあてると

 

ピー。

 

あ、登録されてないみたいね。

 

「あらーコレダメね。えーと値段は…本体価格しか書いてないわねー」

 

「あ、じゃあ税金計算して…」

 

「いいわよ本体価格でー。560円ねー」

 

「え、ちょっとまって計算すれば」

 

「いいわよいいわよ、ハイ560円ねー」

 

 

いいのかそれで?

 

 

たぶんオーナーの奥様とかなんだろうな、鷹揚で、慌てず騒がずもう彼女は560円と決めてしまったようだ。

10パーの計算なんて簡単なんだから瞬時に価格提示ができればちゃんと払えたろうに、一瞬パニックで完全に流れを向こうに渡してしまった格好になった。

 

しぶしぶ560円を払いながら内心

 

「ねえ、いまわたしたちこそがその本読むべきだよ。

 いやむしろわたしが読むべきだな…」

 

 

結局はむぺむはろくに読まず、わたしはしっかり熟読しました。

内容はいわゆる名言集。

でもその名言のセレクトがなんとも微妙で、そういう意味では面白かったです(←?)。

 

 

 

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言葉は凶器~社交性は暴力性

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ペンは剣よりも強しなんてよく言うが、言葉は凶器そのものだ。

 

便利なツールであることは間違いない。

必要事項の伝達だけにとどまらず、自分の気持ちを相手に伝えたり、相手の気持ちを汲み取ることもできる。

人間やっていく上では便利以前に必須。ないと成り立たないとさえいえる。

 

使い方によっては誰かに何かを強いたり、誰かの行動を制限したりすることさえ可能だ。

暴力的に振るおうと思えば人を死に至らしめることさえできる。

ネットの世界がそれを証明しているといえるだろう。

 

 

ところで、わたしは社交的であると言ってはばからないが、それは言葉を使うのがうまいわけではけしてないと自覚している。

わたしの社交性というのは大前提として自分さえよければあとはどうでもいい、という至極わがまま全開の精神がある。

それがゆえに使う武器のセレクトに気を使わなくていいし、だからこそスピード感を維持しつつ先方の懐にやすやす入れるというメリットが働く。

 

 

どういうことかというと。

 

目の前にでかくて分厚いブロック塀があるとしよう。

この塀をどうしたいかによって選ぶ武器は変わってくる。

 

タガネやグラインダーを使ってコツコツはつっていくか、電動ハンマーでゴンゴン叩いて崩していくか、それは今後そのブロック塀とどうやって付き合っていく気かによる。

 

なんなら触らない人も多くいるだろう。なまじ触って壊れたり、自分のほうに倒れ掛かってこられても困るし。見ないふりをするのが吉ってことも往々にしてあるだろう。

 

 

わたしはこういうとき、迷わずいちばんデカい破壊力抜群の100tハンマーを選ぶ。

どうなろうが知ったこっちゃない。目の前の塀をどうすりゃいちばん手っ取り早く排除できるかにしか興味がないから。

 

 

つまり、相手とのその後の関係を慮らないから強いカードを切れる、わけだ。

 

 

結果的にそれで強い武器に耐えてくれたり、より強い武器で応戦してくれたり、あるいはのれんに腕押しじゃないが攻撃を受けてもなんも感じず(感じないふりをしてるのかどうかはわからん)平然としていられる人たちだけが、たぶんわたしのまわりにはいるのだろう。

それが無理な人も大勢いるだろうから、そういう人は静かにわたしの元を去っていくのだろう。

まぁ去れない立場の方々(身内とか職場とか)には多少申し訳なく思うが、イヤなら拒絶してくれればそれ以上攻撃はしない。

もともと他人に興味があってそうしてるわけでは全然ないし。

 

 

相手が誰であろうがかまわず勇猛果敢に飛びかかっていく猿、のように見えるかもしれないが、いや実際猿ではあるんだが。

それは相手がどうなってもかまわない、あるいは相手との関係がどうなってもかまわない、という精神に基づいた暴力的行為だと思う。

 

 

相手がどうなってもかまわない、というのは少し言い過ぎで、さすがに直接的に相手を傷つけるようなことは言わない。そこは一応常識的感覚は持ち合わせている(あくまで自分基準)。

でも、相手との関係がどうなってもかまわない、という感覚は正直常日頃誰に対しても持っている。

わたしが嫌いならそう言ってくれ。そしたらもう関わらないから。

イヤじゃないなら付き合ってくれ。付き合ってくれてありがとう。

くらいのスタンス。

 

 

なんでこんな話をしてるかというと、わたし自分でもビックリするくらいはむぺむに対してだけは武器の選定に毎回毎回ものすごい悩んでるから。

 

手持ちの武器を全部を並べてあれこれ手に取って何時間も悩んだ挙句、結局振るわずに黙って過ごす、なんてことも多々ある。

 

 

外ではいっさいの躊躇なく最強の武器を選んで振るいまくるのに、家じゃ最小限の伝達事項すら伝える言葉のセレクトに常に頭を悩ませている。

自分がいかにはむぺむとの関係性を保つために気を使っているのか、もとい、彼との関係性を損なうことを恐れているのかがよくわかる。

 

 

それで武器の選定を間違ったからと言って彼の心が離れていくわけでもなけりゃ嫌われるわけでももちろんない。

なのにこっちが勝手にあーでもないこーでもないと悩んで胸を痛めている。

とても滑稽だが、普通の人はみんな誰に対しても多かれ少なかれそういう気持ちを持っているのだと改めて気づかされる。

つまり、それだけ言葉というのは暴力的とさえいえる攻撃力を持っている、ことの証明でもある。

言葉は凶器なのだ。

 

 

社交的という看板のもとに強力な武器を縦横無尽に振るいまくるわたしが言うセリフでもないが、そういう人と対峙したときにははっきりと言ったほうがいい。

「踏み込んでこないでくれ」と。

社交的な自分を売りにしているやつはわたしを筆頭にたいてい鈍くて無神経だ。

明確な拒絶を受けなければわからない。いつまでだって同じことを繰り返すだろう。

 

 

外では暴れん坊のわたしも家ではビクビク武器を選ぶ。

それでもときどきブチ切れると、見境なく手あたり次第に武器を手にして彼に投げつけるようなこともある。

そしてそういうとき、もれなく倍返しで立ち直れないほど強烈な言葉の暴力をいただくわけで。

なかなかの深手を負う。

 

 

自分よりはるかに攻撃力の高い人間に襲い掛かっていくときは、相応の覚悟が必要です。

ってなんの話だコレ。

 

 

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