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また転職~さすらうアラフォー

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パートというお気楽身分なのは大前提として、また職が変わります。

 

 

現在のお仕事先関連はこちら 

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仕事に不満らしい不満はなかった。

特に一緒に働く人たちは大好きだったし、正直何より気楽だった。

言われたことを言われたとおりにやればよかったし、体もそれほどきつくはない。

頭も使わなくていいし、プレッシャーや軋轢もほぼない。

ノーストレスで快適に働けていた。

 

 

でもそれは裏を返せばだれでもいい仕事だった、ことは確か。

再三書いてきているように、工場は基本「誰がやってもだいたい同じ結果を得られる」ようにデザインされている。

それがわかりすぎるくらいわかるからこそ、なんだかそこにいる自分に違和感を覚える。

その感じは日に日に大きくなっていった。

 

 

2期のパートさんが入ってきたころから、人が余っている感じがあった。

体制や作業内容はもちろん、現場を監督してくれる人もコロコロ変わり、現在は外部の人が直接の監督官になっている。

彼女は仕事もできるし、ものごともよく見えていて優秀なのだが、なにぶん外部の人だ。板挟みになって苦しむ姿は見るに堪えない。

会社自体の風通しの悪さは相変わらずどころか悪化の一途を辿っていて、もはや相互理解にこぎつける努力すらする気もなくなってしまっていた。

 

 

それでもまだまだコロナ禍真っ最中、しばらく仕事を変える気はなかった。

なかったんだよ。

 

 

ある日見るともなく見ていた求人サイトに、この界隈ではかなり有名な飲食店の皿洗い/ホールのアルバイト募集記事が出た。

いわゆる行列のできる人気店。

あぁ、いっぺん人気店で働いてみたかったんだよなぁ。

詳しく見ると「日曜、祝日、お盆、年末年始休み」「週3日、昼3時間程度」「土曜出られる方歓迎」「自宅から自転車で10分ちょい」。

うわナニコレわたしの条件ドまんなかじゃん!

 

 

そもそも飲食を離れたのは「稼ぎ時の日曜や大型連休に出られない」ことが非常に大きかった。

店側がそれでもいいよと言ってくれても、罪悪感が半端なくて。

店が休みなら大手振って休める。うしろめたさを感じることもない。

なにより一度はやってみたかったよ人気店。

コレは…どうしよう。今逃したらもう出ない気がする。

ものすごーく悩んだが、応募することにした。

 

 

とりあえずネットから簡単なプロフィールだけ送信すると、すぐに面接予約の電話がかかってきた。

客商売バリバリのメチャクチャ人当りいい電話。こっちも思わず全開の接客モードで対応。

ああこの感じ懐かしい。いいねやっぱ。

 

お店は市場の中にある。ロケーションもある意味最高だ。市場内をチャリンコで走り回ってるだけで意味もなくテンションがアガってくる。やべーたーのしー。

 

お店は想像より狭く、想像よりはるかに小ぎれい。

ひとことふたこと交わすだけですぐにそれとわかる全開客商売の社長さんと面接スタート。

以前4年超勤めた店のことを先方が知っており、話はかなりスムーズに進んだ。

すさまじい人気店なのはどうやら本当らしく、最小人数のスタッフでちょっと驚くくらいの客数を捌くそうな。

正直その数字にちょっとビビる。

 

「おいしいのは当たり前、プラスで何ができるか」みたいな話になり、あぁそうこういう人の下で働きたかったんだよね!と改めて思う。

モチベーションなんですよ、と語彙足らずながら訴えると「うちのお店に合うと思います」との返答。

あーもーわかってるね!めっちゃ両想いじゃんこの感じ!

 

 

とはいえ、求人への応募はそれなりの件数が集まっているらしく、返答は数日後に電話でということになった。

そりゃそうだ。せっかく高い金払って求人打ってんだ、全部会っておきたいのは当たり前だ。

感触こそよかったとはいえ、相手はあくまで全開接客モード。

こっちは年もいってる、話せば多少の扱いづらさも見えるだろう。

不採用も十分ありうる。心の準備はしておかねば。

 

 

予定より数日待たされようやく電話。

「面接の結果なんですが…」と言い淀む様子に「うわっ、ダメだった?」と生唾を飲み込む。

 

「採用させていただくことになりました」

 

なんでもったいぶったんだよ。突っ込んでいいとこかねこれ?

 

 

まぁそんなわけで、念願の人気店にて飲食畑への復帰が決まりました。

 

これまでさまざまな飲食店におりましたが、いわゆるチェーン店でなく、しかもメディアで取り上げられるようなお店は言うまでもなく初めて。

そこそこ混んでる状態も体験はしてきましたが、言ってみれば草野球で調子に乗ってたのがいきなりプロ野球の試合にぶっこまれる感じで、結構ビビってます。

 

 

でも、めちゃくちゃ楽しみ。

今回の募集でもうひとり採ったそうなので、その人と会うのも楽しみです。

 

軌道に乗ってきたらまたお店の話をすることもあるでしょう。

ここではお店の名前は載せませんが(まぁ調べる人が調べたらわかっちゃうんでしょうが)知りたいというけったいなお方がいらしたら個別にメッセージやラインをくださいませ。

行列待ってくれるなら、極上の笑顔でお迎えいたしますぜ。

 

 

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住所変更、大事。~通帳をなくしてあわてた話

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もう2月ですってよ。124年ぶりの1日前倒しだった節分も過ぎて、暦の上では春ですってよ。

 

ちぃと早くないかい、月日さんよ。もうすこしのんびりでもいいんですぜ。

 

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さて相変わらず書きたいことはごんまり山積みで、しかももしかしてひょっとしてまたわたし仕事が変わる、というか変えるかもしれず、まぁそれは確定したら書くとして、きょうは先日通帳を紛失してちょっとあせった話をお届けします。

 

 

ぼけっとした性質ではあるが、ほんとうに重要なものはそれほどなくしたり落としたりしたことはない。

40数年の人生でせいぜい数回。それが多いのか少ないかはわからん。

 

 

ある日銀行へ行くと、使っている通帳の1冊がどうしても見つからない。

現在何冊もの通帳を使っているが、まとめて管理使用しているため1冊だけ見当たらないことは考えにくい。

鞄に入れ忘れたのかと思い、帰ってから探そうとそのときは特に焦っていなかった。

帰ってすぐ探せばいいものを、家でどっかに紛れちゃったんだろ、とたかをくくって数日放置。

あとになって思うとこれがまずかった。

 

通帳が見当たらないなと思い始めて数日、家じゅうを捜索したがついに見つからず。

あれ、まさかとは思うけど、落とした…?

 

ちょっと焦る。

 

翌日すぐに印鑑を持って最寄りの銀行支店へ。

 

「通帳をなくしちゃったみたいなんですけど…」

 

「再発行には手数料かかりますがよろしいですか?」

 

「はい、かまいません」

 

「ではオンライン手続きをご案内いたします」

 

行内の一角を仕切って作られた小部屋の中に通されると、モニターの向こうでおねえさんがこんにちはーと笑っている。

スピーカーに向かって話し、身分証を備え付けの読み取り用カメラの下に置き、音で漏れて困る情報は紙に書いてそのカメラに読ませ、書いた書類は机の上のポストへ。

 

うわーなんか未来!すっげえ未来!

もうこういうの当たり前になってきちゃってるんだけど、実際その人がたぶん何十キロも離れたどっかのビルの中にいるんだよなって想像すると、なんかもうホント未来だなーって。

 

 

そんな令和の世に感激していたのもつかの間、個人情報を照会してくれたおねえさんが

 

「お客様の通帳、届いてますよ」

 

ナナナンデスト!?

 

マジで落としたんか。落とした時気づかなかったの自分でも意外過ぎるな!

なんにしても拾って届けてくれた人がいたのね、ありがたい!

まさに捨てる神、じゃなくて落とすバカあれば拾う神あり!

 

しかし次のおねえさんの言葉にわたしは固まった。

 

「〇×支店に…」

 

 

説明しよう!

たるたるは以前〇×市に住んでいた。今回落としたのはそこで作った通帳だったのだ。

 

引っ越しの際、主要ないくつかは住所変更の手続きをしたが、当該通帳はその当時はあまり使っていなかった口座だったので、手続きをせず情報の更新がなされていなかったのだ。

 

「届いた時にお客様の連絡先にお電話したようですけど、つながらなかったそうで」

 

ハイ、住所変更だけでなく電話番号も変わってますね。

しかも自宅の電話やめちゃってますからつながるわけないですね。

 

 

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 「連絡が取れない場合、発行支店にて保管することになっておりますので」

 

 

そうだよね。ほかの情報ないもんね。

銀行さん仕事早えーよ。1週間くらい未決済案件で積みっぱなしにしといてくれてもよかったのに。数日でしっかり支店に届けてくれちゃったのね。

いや、うん、完全に自爆だっつーの。

 

 

ありがたいことに郵送もしていただけるとのことだったが、自分のバカさ加減を反省する意味でも、ついでに〇×市にある前勤めてたコーヒー屋に寄ってEちゃんにも会いたかったし、ということでその足で〇×市までドライブしてまいりました。

車で1時間くらい。遠っ。

 

 

日頃好んで車の運転をしないので、たまには少し乗らないとね。

ついでにEちゃんにも会えたし、よいドライブでした。

…負け惜しみじゃないやい。

 

 

ちゃんと変更しておけば最寄りの銀行で受け取れたのに、と、そういった手続きの大事さをつくづく思い知りました。

 

 

住所変更、大事です。

 

連絡先とか変わったら、ちゃんと情報は更新しておくことをおすすめします。

経験者は語る←アホ

 

 

ちなみに拾ってくれたのは某郵便局の方だそうで、ありがとうございますー!

郵便局で通帳出した時に一緒に出して落ちちゃったみたい。

そういうのもホント気をつけなくちゃ。

 

 

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2021年明けの正気なご挨拶

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あけましておめでとうございます。

 

年々年越しがそう特別なものでもなくなっていく、感じがなんだか嬉しくもあり少し寂しくもあるこの頃です。

 

正月というのは、子供~若い頃には非常に特別なものでした。

年末には見たこともないような量の食料品と、名前も知らないような高級食材を買い出しに行き、重箱にこれでもかと詰まった謎の甘くて冷たい料理をありがたがって食し、中身はもとより袋がかわいくてうれしかったお年玉と、その枚数がステータスと信じて疑わなかった年賀状を広げて喜び、例年年越しの瞬間はなにかが変わる気がしてどんなに眠くても起きて迎えていました。

 

形こそ大きく変わってはいないけど、年越しをまたげばなにかが一新されるなんてことはまるでない、ことをすでに知ってしまった今となっては、12月31日が1月1日に変わる瞬間はなんの変哲もない、単なる365分の1でしかなく。

もちろんいつもよりいい食事をしたり、普段見られない正月番組を見たりしてはいるんだけど、以前ほどのスペシャル感は皆無と言っていい。

 

もっともそれは自分が大人になったからだけではなく、社会の形として特別視されるものではなくなってきていた、のが実際のところで。

スーパーも飲食店も年中無休、コンビニやらすき家に行けばいつだってやっている。

そりゃありがたみも薄れます。

 

そんなところへコロナ禍で、潮目は大きく変わるのかもしれず。

休むお店が増え、出かける人が減り、日本の正月は、世界の常識は、これからどういう方向へ変化していくのでしょうか。

 

とはいえそれらが今後どこへ向かおうとも、わたし自身が得てきた感覚と、失っていった感覚は戻ることはない。

それが嬉しくも切なくもある、の内訳です。

 

 

皆様よい新年をお迎えでしょうか。

今年もまた、社会的にも世界的にも個人的にもいろいろあるんだろうな。

どんな事態にも柔軟に、でも根っこの硬い部分だけはがっちりと手放さず、よりよい日々を積み重ねていきたいです。

「根っこの硬い部分」をどれくらい小さく、鋭く、より輝きを増していけるかがある意味今年のテーマでも人生のテーマでもあり。

それがなんなのかも、いまだはっきりとはしていないです。

でもそれを大事にするあまり世界や視界が狭まる、ことも怖いので、ある程度開かれた場所にも積極的に晒しつつ、叩かれてなお傷つかず、ってこれなんの話だ。

観念的過ぎて自分でもよくわからん。

 

 

今年は年賀状手描きverにもチャレンジ。あわてていたのでヒドイ出来だが。

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こちらはユニクロのアプリかなんかでデザインした正月挨拶用Tシャツ。

未来だねぇ。

 

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2021年、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

あなたにもわたしにも、すてきな2021年になりますように。

 

 

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2020年暮れの元気なご挨拶

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書きかけの日記がうんざりするほどたまったまま気づけば暦は押し迫ってまいりました。

とりあえず暮れのご挨拶だけはしておきます。

 

コロナに明け暮れた2020年でしたね。

世界が文字通り一変してしまい、なんだか行き場のない気持ちが気付かないうちに自分の周りをぐるぐるさまよってしまうような、言いようのない不安感と迷子感に苛まれました。

いや、過去形でなく現在進行形なんだけど。

 

今後ワクチンだの薬だのが追い付いてくると仮定してもまだだいぶ先になりそうだし、よしんばそれが叶ったとてまったく元通りの暮らしに戻れるかってーとそれは難しいのかもしれず。

 

過ぎた道は引き返せない。

後ろばかり振り返っていても人生という乗り物はいっときだって止まっちゃくれない。

過行く景色を惜しむよりは、どうにか意図的に前を見て、足元気を付けながら進んでいきたいものですな。

 

 

コロナも手伝って、客商売からレタス屋さんに職を変え、なんだか今年もいろいろありました。

ブログの更新はだいぶ頻度が下がって月1くらいになっちゃってましたが、たまに書くといい息抜きになっていました。

ちなみに手帳に書いてた3行日記は無事に1年間書き続けられたので、来年も続けたいな。

そして来年はもうちょっとだけブログ書きたい。

 

とはいえ頻度こそ低いものの、今年も1年ブログを忘れずに更新できたのは、見に来てくださるアナタのおかげです、ありがとうございます。

いやホント、ありがとうございます(大事なことなので以下略)。

 

 

どうぞ来年も飽きず懲りず嫌わずに全開自己満足の当ブログへお運びいただけると嬉しいです。

 

 

ではではみなさま、よいお年を!

めいっぱいの愛をこめて。

 

 

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コミュ力最強論~望んじゃいない猿山のボス

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職場に新しいパートさんがドカンと入ってきた。

まだ名前も顔も一致しないが、それなりに和気あいあいと働けている。

もっともそう思っているのはわたしだけかもしれない。

 

長く監督をしてくれていたBさんが急に現場を離れることとなり、戦場は少々混乱している。

体制がようやく整ってきたかな?くらいの状況だったので、引継ぎ云々はもちろん、また新たな上長との信頼関係の構築から始めねばならず、そこへ新人さんの大量補充。

 

古兵たちは新体制下一発目のシフトを見て誰もが不満の声を漏らした。

こんなシフトで回るわけないとか、週4とかだったのが週2とか週1まで減らされている、ようやく慣れてきてたのに冗談じゃない、とか。

 

そりゃそうだ。これまで希望していない時間帯やらでも参戦し、当初週1にも満たなかった状態から急ハンドルで制服の洗い替えも支給されないまま週4の過酷シフトに耐え、わけもわからぬ朝令暮改にこれでもかと振り回され、タイトすぎるスケジュール故善意での残業ボンバーに付き合い、して生き残ってきた古参兵たちだ。

おまけにろくに知らされないまま隊長が交代し、しかも今度の隊長は専任ではなく着任の挨拶もなし。

副隊長が2人ついたがいずれもよそとの兼任で、正直いったい誰がわれわれの責任者なのかわからない。

これで隊に命預けろってのは、無理だなぁ。

 

 

余談。

仕事を戦争に例えているが、わたし自身、仕事ってのは戦場であり、同時に会社との結婚あるいは大恋愛だと思ってる。

信頼できる上司と仲間とともに仕事という名の敵と戦う。

会社のことが大好きで、生活の全部を捧げても尽くしたいと思える。

という両輪でわたしは仕事というものを捉えている。

だからわたしは正社員にはなれないし、なりたくない。

命がけになっちゃうと、家庭を顧みず家がめちゃくちゃになっちゃうの目に見えてるからさ。

 

閑話休題

 

古株さんたち同士では今後の身の振り方も少なからず話題にあがっていた。

今後のシフト次第では新しい仕事を探す人も出てくるかもしれない。

それでも、パートさん同士の関係が良好だったため、ブチ切れて辞めるって言いだすような人はいなかった。

ある意味わたしがいちばんやばかった。

 

もっとも、新しい副隊長のひとりはまだ若いがかなりよい視野を持っている。

彼女となら支えて一緒に働いてもいいと思える。

その彼女を育てたのが新しい隊長殿なので、面識はほぼないが新隊長はおそらくすぐれた人であると推測できる。

でも、ふたりともよその人なんだけどな。って思うと、会社に恋をしたいわたしとしては微妙ーーーーな気持ちになる。

 

仕事自体は楽しいのでまだまだ続けるつもりではいるが、恋愛はなにで冷めるかわからず、冷めると早い。

これからも恋をさせ続けていただきたいものだ。

 

 

だいぶどうでもいい話が長くなったが、新人さんがたくさん入ってきて、体制も大きく変わった。

こういう激動下では、わたしの手持ち最強武器、コミュ力がいかんなく発揮される。

 

いちおう「工場」なので、仕事自体は基本的に「誰がやってもだいたい同じ結果が出る」ようにデザインはされている。

それでも仕事内容はそれぞれ異なり、当然個人差も出てくる。

「得手不得手」ができてくる、って意味ね。

 

作業だけを見ると、残念ながら現時点でわたしは作業が早いほうではない。

作業内容にもよるが、わたしより仕事が早い、仕事ができる人は古株さんのなかにはいっぱいいる。いやむしろみんなわたしよりできる。

それがとても悔しい。

わたしはいつだって一番でなければならない。

だって仕事できねーのに口だけ達者で態度だけでかいって最悪じゃん。

できなきゃ。まずできてから。

 

だが、自分で言うのもなんだが、わたしは戦術理解度だけは高い。

要はなにがどうしてどうなってどうしたいか、意図や目的を一番早く理解し、次にどの作業をするために何を用意しておけばいいか、などを考えることも苦手ではない。

そしてそれらは言うまでもなく、コミュ力の高さに由来している。

つまりアレだ、どうすればこの試合に勝てるかは誰よりもわかってるんだけど、実際にフィールドに出るとそれほどすぐれたプレーヤーではないってやつ。

技術力や身体能力があきらかに不足してるタイプ。

うーん言ってて情けなくなってきてるよ!

 

ちなみにこの話をはむぺむとした際に、やはり彼は「おまえは一番になれ」と安西先生みたいなことを言ってきた。

細かい作業でよく見えないなら眼鏡をかけろ、道具が手に合わないならカスタムして専用道具を作れ、能力足りないなら補助用具を使え。そうすればおまえなら絶対勝てる。

どんな些細な事柄でもやるからにはいつだって200%全力の彼らしい発言。

いつ辞めてもいいかなーなんてちょっと思ってたわたしは、おかげでだいぶやる気出た。

 

また脱線したな。

 

わたしは仕事ができる人、ではないというのが情けないが現在の事実。

できないわけじゃないが、そこそこ。少なくとも一番ではない。

 

でも、なんかエラそうなんだよね。

いやそりゃわたしの口の利き方とか態度はもちろんあるかもだけど、なんつーかこう、発言力を持ってしまっている、感じ。

それは自分が望んだわけじゃなく、なんかそうなってしまっているって意味。

 

古株も新人も上長たちさえ自分の顔色を窺っているのがわかる。

べつにビクビクされてるってわけじゃない。

ただ、自分の発言が自分で思っている以上に期待され、受け止められている感じがある。

うん、ただの自意識過剰だったらそのほうがいいんだけどさ。

 

発言権を持つこと自体は悪いことじゃない。

コミュ力が無駄に高いんだから、ある意味当然と言えば当然だ。

でもなんか、実力が伴っていない状態でコミュ力だけが暴走しちゃってる感じが自分であるんだよ。

 

言ったら「猿山のボス猿」的なきもち。

 

それは裏を返せば「仕事はできなくても発言権を得られる」ということでもある。

なるほど、そういうオトナいっぱいいるよね。

なんでそういう奴が発言権や権力を持ってるんだろうって幼いころからずっと疑問だったんだけど、いま、まさに今それがわかったよ。

コミュ力という武器を使って望んでボス猿になった人もたくさんいるだろうし、あるいは望んでもいないけどなんとなく祭り上げられちゃってる人も、実はけっこういるんだろうな。

 

 

わたしはボス猿になりたいわけじゃない。

コミュニケーション自体、べつに人心掌握のためにやってるつもりはまったくない。

単に作業中は手は忙しくても口は暇だから動かしてるだけで、普段のやり取りには中身なんてないしろくに覚えちゃいない。

ただひたすら欲するところを言葉にして吐き出しているまでだ。

発言を期待されることが、なんかいたたまれない。

 

それでも群れで生きる性質上、コミュ力高いと群れの中である程度重要な位置づけになってしまう。

仕事たいしてできなくても、コミュ力が高いだけで発言を求められる。

それを繰り返してると自他ともにボス猿的な認識が出来てきてしまう。

 

なんてなことを、新人さんがわらわら入ってきて妙に感じさせられてるこの頃。

 

いままずわたしがやるべきことは、パートさんの中で一番仕事ができるようになること、だ。

ボス猿気取って調子乗ってないで謙虚に真摯に作業と向き合って努力することだ。

 

 

わかっちゃいるけど根が不真面目だからさぁ、努力が苦手なんだよねぇ。

ラクして適当にしゃべって、それなりに楽しく過ごせればいいし。

 

 

コミュ力は仕事はもちろん人生のどんなシーンに於いてもある意味最強だが、同時にわたしみたいなダメ猿が発言権を得てしまう危険性も孕んでいる。

 

 

理想は「口八丁手八丁」です。がんばれわたし。

 

 

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言ったもん勝ちだけど、言うには覚悟と責任が伴う

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よく「世の中言ったもん勝ち」だって言うじゃない。

そしてそれにはたいがい、マイナスイメージが伴う。

要するに「自己中、わがまま、言いたい放題な人が結局トクするのよね」みたいな話。

 

わたしは分類すれば言うほうだ。

メチャクチャ言うほう。

でも正直、ぜんぜん得してない。むしろ言えば言うほどどんどんてめえの首が絞まっていく。

 

 

まずそもそも論として、「言ったもん勝ち」なのはあったりまえだ。

そりゃそうだ。何事につけ言うか言わないかって事柄があったとして、その結果「何かを変えたい」のであれば、言うしか選択肢はない。

一択だろどう考えても。言わなきゃ伝わらん。

 

 

それなのになぜか多くの人はそこが二択になっている。

察しろってのか。無理だろ。それともグチグチ言いつつ我慢すんのか。

ところが、ここに「言う人」がいると、なんとなくそこに期待が集まってくんだ。

 

 

要するにわたしがその「言う人」。

そういう奴が群れに一匹紛れ込んでると、先ほどの選択肢は三択になる。

すなわち

「言う」「言わない」「言える人に言ってもらう」

 

 

そんで、この「言う人」がわがまま全開で鈍い奴だったら、それはそれである意味かまわない。

「みんな言いたいこと言えばいいじゃない、わたしみたいに!」

こうやって言えれば、そいつだけがみんなから自己中だなって指さされてりゃいいことだ。

だけど、「言う人」のなかには無駄に(まさに無駄に!)敏感なやつもいてさ。

 

 

言わない人、言えない人の気持ちも思惑もわかる。

無言のなかに「あなたが言ってくれるんでしょう?だっていつもいろいろ言ってるもんね!」って期待をひしひしと感じる。

まぁ少なからず被害妄想はあるんだろうけど。

 

感じてしまうと、わかってしまうと、使命感が生まれる。

言えない人の分まで、言いたいことを言ってあげなくちゃ。

だってわたしは言えるんだから。

嫌われ者になってもいい、ちょっとでも相互理解を深めるためにもみんなの言いたいことをより感じ取れるわたしこそがその役目をしなくちゃ。

完全に自己都合ではあるが、結果言えない人の分まで言うことになる。

 

 

そうこうしているうちに、言わない言えない人は「言う人に言ってもらうことが当たり前になる」。

もうこうなると最悪だ。

我慢しないで自分のために言いたいことを言ってきていたはずなのに、いつの間にかまわりの人の代弁者になってる。

まわりの人も自分たちの言いたいことを言わなくても言ってもらえることが当然になっているため(言い回しがすげえわかりづらいな)、表現悪いが「つけあがる」。

 

 

あのさ、こっちだって言いたくて言ってんじゃないんだよ。

いや、もともとは言いたくて言いたいことしか言ってなかったけどさ、それに過剰に期待を寄せて、便乗してそれを当たり前に享受して、しかも「言う人」に対して主張を述べるだけで「言ったつもり」になるの、マジでやめてくんねえかな。

 

自分の主張は自分でしようよ、いつだって、誰に対してだって。

そのための覚悟と、それによって生じる責任くらいはてめえで取ろうよ。

 

オトナだろ。

 

 

何かを言うには当たり前に責任が伴う。

それを取るための覚悟を決めて、つまりまずは腹をくくってから発言すべきだ。

 

 

陰回って言うだけ言って、でも自分の身は守りたいんだよね、わたしが言ったわけじゃないし、聞いてないし、知らないし、わたしは悪くないから。

ふざけんなっての。

 

 

つけあがった人たちの言うことなんざ聞かなければいいだけで、勝手に忖度して周りの代弁者になったつもりになって、被害者意識を育ててるだけのこじらせた人、に一見見える。

 

でも、どんな些細なことでも言わなきゃ伝えなきゃ変わらない。変わりようがない。

そのために取る労を、当たり前のこととしてスルーされ続けると、だんだんアホらしくなってくるのが実際のところだ。

 

 

世の中言ったもん勝ち。

それは間違いなくその通りだが、「言う人」にはそれに伴うリスクや責任が、もれなく発生していることも事実だ。

その部分をまったく見ずにただ「言ったもん勝ちだよね」みたいな発言をする人は、自分が「言う人」になる努力をしているのかと問いたい。

 

だれかに言ってもらってないか?

敏感な誰かに言わずとも察してもらってないか?

そしてそれが当たり前になってないか?

 

 

みんなに「言う人」になれとは言わないけど。

なにか伝えたいなら「言う」しか方法はない、ってあまりに当たり前のことなのに、言わずに伝わる、言わずに察して、って思ってるやつは甘ちゃん過ぎんだろ。

言えよ。

言えんだろ。しゃべれんだろ。

 

 

そんなんも余計なお世話だってわかってる。

言えない言わない奴は、勝手に言わないことによって生じる不利益を下唇噛んで我慢する人生送りゃいい。

そいつらの人生まで背負ってやる必要なんかないもんな。

 

 

でもなんか、知ってしまうと、気づいてしまうと、見なかったフリでスルーするのも寝覚めが悪いんだよなぁ。

なんて手前勝手な自己都合。

 

 

うん、人間ってのはホントにわがままだよね!

 

 

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言わない聞かないしゃべらない~コミュニケーションはどこまで必要か

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現在の職場に不満はいまのところない。

パートさん同士はかれこれ7カ月生き残ってきているメンツ、どなたも仕事ができて最低限以上のコミュニケーション能力も持っていて、お互いの関係性も非常に良好だ。

ほどほどの距離間で他愛もない話をしつつ、過酷な労働環境下でも笑いが絶えない。

際立って面白い人がいるってほどでもないが、みんな善悪で分ければ善寄り。

比較的年齢層が近いこともあり、いろんな意味でなかなか優秀。

ゆえにたいへんアットホーム、フレンドリーな環境で快適に働かせてもらっている。

 

いっぽう雇い主側となる会社そのものの社員さんたちは、フレンドリーとは程遠い。

 

直接の上司となる監督係の社員さん(以後結構出てくると思うので仮にBさんとしておこう)とはもう付き合いも長くなってきたのでそこそこ円滑なコミュニケーションは取れるようになっているが、その先がどうにも風通しが悪い。

 

 

 Bさんの話

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職種柄不特定多数の知らない人が完全防備で出入りする環境のため、入ってきた人が誰なのかまったくわからないこともよくある。

挨拶もろくに返ってこない、どころか、名前を聞かれたことも、名乗られたことすらほとんどない。

そりゃ単なる駒であるパートさんにいちいち名乗ったりは必要ないのかもしれないが、なんだろう、名前という記号なしでどうやって仕事をスムーズに進められるのかな、と単純に不思議に思う。

質問したり指示したりってのはどうしても発生するものだから、そのときに記号はあったほうが便利じゃんか。

 

そういう意味合いではなくても、普通に社会人としてオトナとして、初対面でかつ以降継続的に顔を合わせることが確定しているなら、最低限の礼儀作法というか当たり前の流れで挨拶と名乗りくらいはあってしかるべきではないのか。

 

 

もっとも、現在の会社は面接時にすでにその兆候はあった。

わたしはBさんが面接を担当してくれたのだが、その際にも過去の経歴や人柄にいっさい興味がないといった趣だった。

 

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迅速で的確、ではあるが、なんか味気ないというか物足りない印象はあった。

でもそれが会社のカラーなんだろうと解釈していたのだが。

 

 

実際7カ月勤めてみると、なるほどそういう感じの人の集合体なんだということが理解できてきた。

つまり、無駄なことは言わない、聞かない、しゃべらない。

仕事に必要なことだけを粛々とこなし、詮索しない、解放しない、慣れ合わない。

「仕事」というのは「利益を追求する集合体」なので、ある意味効率的と言えなくもないし、基本理念はそれでいいと思う。

けして否定するスタンスではない。

ないんだけど。

 

 

たとえば現場でハサミが10個欲しいって話になるとするじゃん。

それをBさんに伝える。パートさん同士とBさんの間にはある程度のコミュニケーションに則って信頼関係がそこそこできているので、ここまでは問題なく進む。

ところがここから先がまるで不透明。

Bさんで話が止まってるのかと再三催促をするも「上から許可が出ない」「上で止まってる」。

2週間くらい経ってぽつんと1個だけピンセットが補充されてきたりする。

なんで1個?てかなんでピンセットだよ?ハサミの代役にすらなれないよ?

 

 

少数精鋭の効率厨たちが集まっているはずの会社なのに、部分的にいまいち動きが鈍い。

頼んでもいない大量の物資が届いて作業スペースを占領したり、数日行ってないうちに新しい装置や方式が採用されてやり方がものすごい変わっていたりもする。

研究の側面もあるのは承知しているので朝令暮改は受け入れているが、そういう状況でいちばん大切なのってまさにコミュニケーションじゃんか。

なにを目的としてどこがどう変わったのか、それによってどうしていきたいか。

わたしがあまりにも毎度しつこくBさんに訊くので、近頃は変更点などを彼のほうからみんなに詳しく話してくれるようになり、そこは風通しそこそこよくなってきたからいいんだけどさ。

そっから上の人たちとは、風通し云々以前にいまだ名乗り合う機会すら得られていないためまったく不透明で、結果Bさんが全部抱え込んでしまう事態になりかねず。

そうなるとBさんをパートみんなで責め立てるのもなにやら申し訳ない気持ちになる。

おもしろいくらい現場と事務の間の風通しが悪い典型。

 

一度わたしの給料計算が間違っていたことがあり、直接の原因はわたしの記載ミスだったんだが、明細が事務方から送られてきたためそこに返信してその旨を伝えたことがあった。

それに対する返信は「Bに話してください」とにべもなく。

けして社会人として無礼な文面ではなかったが、わたしはそのあまりの態度に腹が立った。

申し訳ございませんとかお手数おかけいたしますとか、なんか一言あってもいいだろ。

その短い最低限のメールは「こっちに責任ないから知らねーよ、そっちで解決しな」と如実に丸投げを物語っていた。

よっぽど事務棟に乗り込んでいって文句言ってやろうと思ったが、Bさんから謝罪を受けしぶしぶ矛を収めた形になった。

っていうかあなたに怒ってるんじゃないのよってかえって申し訳ない気持ちにすらなった。

 

コミュニケーション自体について言うと、「特別視されるものではないけどある程度は必要で重要」だと個人的には考えている。

それは今の職場に移ってほんとうに実感してるけど、どんな職場でも。

店だろうが工場だろうが事務だろうが在宅だろうが、結局完全に自分一人で完結する場合を除けば、どうしたって他人との意思疎通の必要は発生してしまう。

その際にいかに迅速に的確にかつ円滑に意を伝え意を汲み取れるかってのは、よほど伝達能力や聞き取り能力が高い人は別として、結局普段からどの程度の意思疎通がはかれているかによる。

そして普段から意思疎通をはかっておくには、やっぱり他愛もないコミュニケーションは取っておくほうがいい、という結論になるわけで。

というか「取っておいて損はない」。

まあそれはコミュニケーションが苦でないわたしだから気軽に言えることで、得意でない人にとっては地味に負担になるのかもしれない。

 

 

以前某大の偉い教授先生が勤務時間中に工場に来たことがあり。

誰なんだろうと気になって「先生なんですか?」と尋ねると(この質問もたいがいアホだが)とても気さくに名乗ってくださり、こちらの名前もたずねてくださった。

その後も少し話をしたが、まったく気取ることも偉ぶることもなく、たいへん円滑なコミュニケーションが取れた。

さすがきちんとしたオトナだなぁ、なんてそんな当たり前のことに感心してしまう自分がなんだか滑稽に思えてきた。

いやいや普通だろ。危ないな、当たり前でないことを当たり前と思って長い時間過ごすと、常識のレベルが変わってきちゃうんだな。

 

その時の会話を別の社員さんが聞いていたようで、あとになって

「敬語を使っていないことがハラハラした」

みたいな意味のことを言われた。

当の先生がどう思っていたかはさておき、自分じゃ全然意識してなかったけど傍で聞いているとそういう感じなのか、とちょっと驚いた。

それでも気を使ってたほうなんだけどなー。

 

 

この話はまたいずれ別に書くが、その彼女の言葉には「いい大人なんだからTPO考えてちゃんと敬語使えよ」みたいな、若干非難するニュアンスが含まれており、わたしはそういうとこ無駄に敏感なので、「これらかも使わねーよ。つか敬語そんな大事?マジで?」みたいな、少し棘の生えた言葉を返した。

つーかそんないらんこと気にするくらいならもっと社内でコミュニケーション取ってくれよ、と普通に思った。

 

言わない聞かないしゃべらない。

それでも仕事に支障がないならおおいに結構だが、結果的にコミュニケーション不足で二度手間三度手間になるくらいなら、わたしはごめんだ。

これからも言うし聞くししゃべりまくる。

どうでもいいことをしゃべりまくり、何度聞いても覚えないようなことをたずねまくる。

効率とは程遠いけど、わたしはそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていくんだなぁ。

 

そんなわたしをいまのところ受け容れてくれているパート仲間とBさんには、ほんとありがたく思っとる昨今です。

 

 

こないだパート仲間のひとりに「〇〇さんって朝飯食う人?」って質問したら

 

「その質問3回目です」

 

さすがにちょっと反省したさ。

でももはや面白いから次会ったらまた聞こ。今度はネタとして。

 

 

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つか今日の記事めちゃくちゃコミュニケーションって単語出てきたな。

 

 

職場のコミュニケーションの話

 

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【小ネタ】酒をやめるとどうなるか?

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相変わらずよく酒を飲む人です。

ほどほどの酒量だとなおさら頭がよく回るようで、落語家みたいなことをしばしば言ってます。

 

「体のこと考えたらちったあお酒控えないとねぇ」

「うーん、でも俺、酒をやめるとひっくり返るからさ」

「ナニソレ?」

「さかだち」

 

逆立ちと酒絶ちがかかってんのね。

ほんと飽きないわ、この生き物。

 

***

 

気づけば10月も終わるー!全然更新できてない!

書きたいことは例のごとく山積みすぎんだけどなかなかまとまった時間が取れない!

いや取れるけど取れないっていうか、なんか更新に対してものすごい億劫になってんだよね最近。

めっちゃ書きたいんだけど、いざ書こうとするとあれもこれもってなって、調べてまとめてとか考えると全然時間足りない!ってなる。

こうやってダラダラ書くんだったらすぐ書けるのに、勝手に自分でハードルあげっちゃってんだよなー。

 

というわけでとりまリハビリ的に小ネタ。

これくらいならすぐ書けるのに、1か月以上も放置しちゃって。。

まぁいないとは思いますが定期的に見に来てくださってる方が万一いらしたらごめんなさい、お久しぶりです、いつもありがとう、愛してます(←?)。

 

日々あれこれ考えてることとか、尽きぬ泉のはむぺむネタとか、お出かけ、食べたもん、行ったとこ、仕事のこと、あーーーあれもこれも書いておきたい!

ってのをまたぼちぼち書いていきますので、どうぞ今後ともゆるーっとよろしくお願いいたします。

 

 

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生産のヨロコビ

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このほど、お勤め先で育てている野菜が地元の物産スーパー店頭に並ぶはこびとなった。

 

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勤め始めて5カ月ほど。

理科の実験的、かつなかなかの肉体労働。

すでに種まきから収穫までの流れを何度も繰り返してはきたし、商業用として出荷されているのも知ってはいた。

実際に収穫した野菜を大量にいただいて持ち帰って食べもした。

だが、あらためて自分が買い物をすることもある店に商品として並ぶのはなにやら感慨深い。

 

 

これまで多くの種類の仕事に従事してきたが、ふと思い返すと「ものを作る」仕事はしたことがなかった。

いや、たとえば料理なんかは「ものを作る」といえばそうだし、パッケージングなんかもそうなんだけど、言ってみれば材料ありきの組み立て作業なわけで、素材の素材から実際に役立つなにかにまで育てる過程に携わったことがない、というか。

うまく言えないけどそんな感じ。

 

 

種まきから収穫、包装、店頭に並ぶまでの一連の作業に携われるというのはこんなに面白いことなんだなぁとしみじみ実感しているところ。

職場内でもネタとして話には出るが、よく見かける「わたしが作りました」な写真に自分が載った商品が陳列されててもおかしかない、という仕事をしてるわけだ。

これはなんかテンション上がるわ。

 

 

立ち上げ間もない現場とあって、あらゆる仕組みが手探りで朝令暮改の嵐だが、それがまた面白い。

駒の立場としては言うまでもなく大変だが、そのかわり駒の意見もよく聞いてくれ、それが反映され、少しずつ改善していく様子が肌でわかる。

システムの完成している大型工場なんかではなかなか体感しにくい事柄が、行くたびに実感できる。

わたしみたいに言いたいことを我慢せずに言いっぱなしやりっぱなしな人間には最適だ。

実際にやってみてよくないと感じたことだけがーがー言ってりゃいい。社員さんたちがそれを改善するように努力してくれるわけだ。

 

 

そうは言ってもお仕事なのだから楽しいばかりではない。

一緒に入ったパートさんも一人抜け二人抜け、歯が抜けるようにじわじわ減っていく。

原因はひとくくりにこそできないが、主だったものとしては「思ったより重労働」なこと。

実際、入る前の触れ込みとしては快適な室内で植物のお世話、くらいのニュアンスだった。

ふたを開けてみれば重い機材に振り回され大量の水でずぶ濡れになり、それこそ秒単位で作業に追われる。

話が違うって辞めてっちゃう人のことはまったく責められない。

 

 

わたしは農家だったこともないし、農作業の大変さを知らない。

でも土も使わず温度管理された場所で野菜を育てる、というある意味最先端の?工場で農業に従事してみて感じることは、農作業がどれだけ過酷かってこと。

晴れてりゃ暑くてかなわんし、体勢も常にツライ。ある意味いっときだって目が離せず、台風なんて来た日にゃ手塩にかけたかわいい子たちが全部パアだ。

そうして農家のすさまじい苦労を想像すると、わたしなんかは現在の重労働もせいぜい軽作業の部類だなーなんて能天気に思ってる。

ものごとはすべからく主観の問題、捉え方の問題なのかもしれん。

 

 

まだまだこの先どうなっていくのか皆目わからない。

会社自体がどこへ向かってるのかもよくわからないし、肝心の野菜そのものもどうやって売っていくつもりなのか、というかそもそもそこで利益を出して恒常的にやっていくつもりなのかどうかもわからない。ビジョンがまったく見えてない状態。

でもだからこそ、ちょっかい出せる余地がある、のも確かなわけで。

 

現場のアレコレ、構造の問題、備品の欠如、人員の配置、効率的な作業の方法から、パッケージングやブランド化、売り方見せ方謳い文句、妄想はいくらでも広がる余地があり、採用されるかどうかはさておき、それをわりとまじめに聞いてくれる社員さんがいる。

わたしみたいな暇人パートにゃなかなかエキサイティングな職場です。

 

 

あとは、体が持てばね。最近腰が痛いのが悩みです。

くぅ~BBAな発言がてめえで言っててすげえやだ!

 

 

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【作品が好き?作者が好き?】ファンの定義【愛だろ、愛】

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かの速水真澄の名言に

 

「ファンとは、バカなものだな」

 

というのがある。

 

ハイハイ速水さんがわからない人はコレ読んでくださいね。

ガラスの仮面 1

ガラスの仮面 1

 

 

舞台女優としてのマヤに惚れこむあまり公私混同の嵐。

もともとファンからはじまったはずなのに、作中の彼らは愛をはぐくんでいくわけですが。

 

 

「ファン」という言葉は極力使わないようにしている。

近頃のご時世で熱狂的なファンに「そんなんでファンなんて名乗らないでよね!」とか言われたわけではもちろんなく、なんか「ファン」という言葉には「作品が好き」というものに「その作品を作っている人も好き」「その人を無条件で好き」というのが乗っかってくる感じがして、あんまり得意な単語ではない。

 

 

もともと何か誰かの熱心なファンだったことはたぶんこれまで一度もない。

たとえばアーティストで言えば小学生でバービーボーイズチャゲ&飛鳥、中学生の頃はJUN SKY WALKERSや小田和正高野寛などアルバムをアホほど聞き倒して、全曲そらで歌えるほど、ではある。

でもそれはたまたま手元にあったその人らが作ったアルバムが好きだったんであって、そのアルバムをライブで演奏するよ!って言われても正直「ふーん」だった。

その人らがべつのテレビ番組に出るよ!って言われても「はぁ」だったし、要するに出来上がって与えられた作品は大好きだったけど、それを作っている人たちそのものにまで興味は持てないという程度だった。

新譜が出たところで、発売日に買いに行くでもない。予約なんて考え付きもしなかった。たまたまレコード屋で見つけて気に入れば買うかも、くらいのもん。

そして実際買うまで至っても、たいして気に入らないなんてこともあった。

 

 

高校くらいでブライアンアダムスを好きになり、このときは意外ときちんと新譜を楽しみにしたり、雑誌で情報を追ったりと少しだけしていた。

それも3,4枚と新譜を手にしていき、あるときガラッと作風が変わり、自分の好みの変遷も手伝ってなんとなく興味が失せてしまった。

当時懸命に聴いていた曲たちはいまでももちろん変わらず好きだが、最近の彼が何をしてるのかなんてまるで知らないし興味もない。

別に嫌いになったわけじゃない。

単にその人の作る作品が好きってだけで、その人自体に興味はないから。

 

 

大学生くらいで市村正親を好きになり、彼の舞台は何度か自分でチケットを贖って見に行った。

「この人が好きだから見に行こう」と行動を起こしたのはもしかしてこれきりかもしれない。

対象物として音楽とは違い、舞台は行かないと見られない、から行ったって部分も今思えばあったかも。

音楽はパッケージされて届けられる作品で完結できるけど、演劇は、特に舞台は映画と違って自宅視聴だと正しいクオリティで見られない気がする。

 

 

唯一ファンだと言ってよさそうなのは西武ライオンズ

足しげく球場へ行ったりグッズ買ったりするほどではないけど、視聴環境を整えてたまには現地へ足も運ぶしね。

 

 

さてズラズラと書いてきたが、要するにわたしはなにかの熱心なファンだったことが特にない、って話だ。

それがいいとか悪いとかでなく、単に事実としてそうだし、おそらくはこの先もそうだろうと思う。

もちろんそれにはいくつも理由がある。

 

 

まず「ファン」というものをざっくり定義する。

そもそもfanatic(熱狂的な)を語源とする言葉だ。

 

わたしの偏見による「ファン」像とは、対象物に対して惜しみなく愛も金も(可能な範囲で、あるいはそれを越えてすら)注ぎ、対象物を全肯定する。

 

この全肯定が、わたしには到底無理だ。

たとえばAという作家がいたとする。わたしはこのAが書いた「1」という本をものすごく気に入った。人生観を揺り動かされるほど衝撃を受けた。面白い。凄い。

しかし数年後にAが書いた「2」という本は正直がっかりだった。

「1」の時点でわたしがAそのものを好きになり、Aのその後の発言やらを丁寧に拾い集めて注視して、そうして時間を重ねたうえで「2」を読めばひょっとして受ける印象は違ったかもしれない。

でもわたしが気に入ったのはAではなくあくまで「1」であって、その後「2」を読むまでの間のAに起きたこと、Aが考えていたこと、「2」への伏線になっているであろうこと、などなどはまるで関係がない。

作者関係なく1つの作品として「2」を手に取り、がっかりしただけのことだ。

 

つまり「1」に感銘を受け、そこからAを好きになり、次回作「2」が発売されたときにそれを無条件に肯定できるのが「ファン」。

それは盲目になっているって意味ではなく、興味を持って追いかけ続けていれば「2」もそれはそれで新しい魅力にあふれた作品であると感じられるだろうと思うから。

もちろん、追いかけ続けている間に少なからず「愛」は育つだろうし。

そして速水さんの冒頭の台詞になるわけだ。

 

 

ごはん屋さんにたとえればわかりやすいか。

わたしは「はむぺむ屋」というごはん屋さんが大好き。あすこのから揚げ食ったらもうよそのから揚げ食えないよ、ってくらい好き。

すっかりお店のファンになって週に3日も通ってる。

そこのシェフがまたすげえイケメンで物腰も優しくて話も面白い。

もちろん彼が作るからおいしいんだけどさ、だからってべつにシェフを好きなわけじゃない。

ある日シェフが出してくれたとんかつは正直全然うまくなかった。

なにこれ、衣がべしゃっとして食えたもんじゃない。悪い意味でいままで食ったことないよこんなん。がっかりだよ。金返せってレベル。

でもべつに「はむぺむ屋」を嫌いになるわけでもシェフを嫌いになるわけでもない。

また店には来るだろうし、またから揚げは食うだろう。

そしてあとでべつの熱心で店もシェフのことも大好きな常連客から

「なんかね、シェフは新しい概念のいままでにない料理に挑戦したいと思ってるんだって。その手始めに、いままでカリッサクッっていうのが当たり前だったとんかつという料理をいろいろ試してみたいんだってこないだ言ってたよ」

なんて話を聞く。

なるほどその常連客は、わたしが問答無用でがっかりしたとんかつを「意欲作」と捉えたろうな。

ってなんかかえってわかりにくいか?

 

 

世の中にはガチなファンもいれば、もちろんライトなファンもたくさんいる。

どこからをファンと呼ぶのか、ってのは線引き難しい感じはするが、対象物に金を落としていれば、その多寡には関係なくファンと名乗ってもいいのではないかとは思う。

ただし、ある程度継続的に、かつ意図的に。

Aさんの出した作品だから買おう、Aさんのかかわった作品だから見に行こう、という意味で、たまたま単発で買ったってだけじゃファンとは言えない。

 

当たり前だがファンを持つ側の対象者=ほとんどの場合「表現者」だろうが、彼らはファンに何かを売ることでおまんまを食っている。

このあとの話とも多少リンクするが、ファンというのはお客さんのことだ。

タダ見の冷やかしは客ではないし、向こう側からすればより多く金を落としてくれるお客さんはいいお客さんであることは言うまでもなく当然だ。

愛や夢だけじゃおなかいっぱいにはなれないもんね。

 

 

いまひとつわたしが何に対してもファンになりきれない理由が「ヒトは一律でヒト」だと思っていること。

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どんなすてきな音楽を奏でる人も、どんな立派な言葉を述べる人も、大前提としてみんな「自分とおんなじ人間であることには変わりない」と思っているから、無条件にその人の言うことやることステキ!大好き!ってなれない。

 

与えられた作品に感動はするし感銘も受けるが、それを作った「ヒト」に思いを馳せるといきなり視点が変わってしまう。

現実になっちゃう、のだ。

 

 

ファンから見ると対象物は「雲の上」。永遠の片思い。アイドルっていい言葉だよね、偶像崇拝

そこには存在しないがごとく、自分の描く理想のかなたに神々しく坐するのがファンが愛するアイドルで。

そういう人たちのことを「どこまで行っても一律で人間として」見てしまう時点で、わたしはだれのファンにもこの先なれないだろうなぁ、と思う。

 

 

だれかのファンになって、愛も金も情熱も捧げて走り回る姿をちょっぴりうらやましく思うことはある。

そこまでのめりこめたら幸せだろうなぁ。

 

 

…ん、でも、ちょっと待てよ。

 

対象者に興味津々で、対象者の一挙手一投足が気になって、対象者の発言はすべて好意的に聞いて、存在自体を全肯定して、全人生を投げうってすべての愛を注ぎ続ける。

 

いるじゃん、わたしにも。

はむぺむがそれじゃん。

 

 

これまでもこれからも誰のファンでもないという発言は訂正します。

わたしははむぺむのファンでした。唯一無二の超大ファンです。

 

 

…結局のろけなシメかよって石投げられそう。

うん、だってほら、ファンとはバカなものだからさ!

 

 

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