TOP / PROFILE / INDEX / POLICY / CONTACT /

【スポンサーリンク】

生産のヨロコビ

 f:id:hampemtarutaru:20200915160432p:plain

 

このほど、お勤め先で育てている野菜が地元の物産スーパー店頭に並ぶはこびとなった。

 

www.hampemtarutaru.com

 

勤め始めて5カ月ほど。

理科の実験的、かつなかなかの肉体労働。

すでに種まきから収穫までの流れを何度も繰り返してはきたし、商業用として出荷されているのも知ってはいた。

実際に収穫した野菜を大量にいただいて持ち帰って食べもした。

だが、あらためて自分が買い物をすることもある店に商品として並ぶのはなにやら感慨深い。

 

 

これまで多くの種類の仕事に従事してきたが、ふと思い返すと「ものを作る」仕事はしたことがなかった。

いや、たとえば料理なんかは「ものを作る」といえばそうだし、パッケージングなんかもそうなんだけど、言ってみれば材料ありきの組み立て作業なわけで、素材の素材から実際に役立つなにかにまで育てる過程に携わったことがない、というか。

うまく言えないけどそんな感じ。

 

 

種まきから収穫、包装、店頭に並ぶまでの一連の作業に携われるというのはこんなに面白いことなんだなぁとしみじみ実感しているところ。

職場内でもネタとして話には出るが、よく見かける「わたしが作りました」な写真に自分が載った商品が陳列されててもおかしかない、という仕事をしてるわけだ。

これはなんかテンション上がるわ。

 

 

立ち上げ間もない現場とあって、あらゆる仕組みが手探りで朝令暮改の嵐だが、それがまた面白い。

駒の立場としては言うまでもなく大変だが、そのかわり駒の意見もよく聞いてくれ、それが反映され、少しずつ改善していく様子が肌でわかる。

システムの完成している大型工場なんかではなかなか体感しにくい事柄が、行くたびに実感できる。

わたしみたいに言いたいことを我慢せずに言いっぱなしやりっぱなしな人間には最適だ。

実際にやってみてよくないと感じたことだけがーがー言ってりゃいい。社員さんたちがそれを改善するように努力してくれるわけだ。

 

 

そうは言ってもお仕事なのだから楽しいばかりではない。

一緒に入ったパートさんも一人抜け二人抜け、歯が抜けるようにじわじわ減っていく。

原因はひとくくりにこそできないが、主だったものとしては「思ったより重労働」なこと。

実際、入る前の触れ込みとしては快適な室内で植物のお世話、くらいのニュアンスだった。

ふたを開けてみれば重い機材に振り回され大量の水でずぶ濡れになり、それこそ秒単位で作業に追われる。

話が違うって辞めてっちゃう人のことはまったく責められない。

 

 

わたしは農家だったこともないし、農作業の大変さを知らない。

でも土も使わず温度管理された場所で野菜を育てる、というある意味最先端の?工場で農業に従事してみて感じることは、農作業がどれだけ過酷かってこと。

晴れてりゃ暑くてかなわんし、体勢も常にツライ。ある意味いっときだって目が離せず、台風なんて来た日にゃ手塩にかけたかわいい子たちが全部パアだ。

そうして農家のすさまじい苦労を想像すると、わたしなんかは現在の重労働もせいぜい軽作業の部類だなーなんて能天気に思ってる。

ものごとはすべからく主観の問題、捉え方の問題なのかもしれん。

 

 

まだまだこの先どうなっていくのか皆目わからない。

会社自体がどこへ向かってるのかもよくわからないし、肝心の野菜そのものもどうやって売っていくつもりなのか、というかそもそもそこで利益を出して恒常的にやっていくつもりなのかどうかもわからない。ビジョンがまったく見えてない状態。

でもだからこそ、ちょっかい出せる余地がある、のも確かなわけで。

 

現場のアレコレ、構造の問題、備品の欠如、人員の配置、効率的な作業の方法から、パッケージングやブランド化、売り方見せ方謳い文句、妄想はいくらでも広がる余地があり、採用されるかどうかはさておき、それをわりとまじめに聞いてくれる社員さんがいる。

わたしみたいな暇人パートにゃなかなかエキサイティングな職場です。

 

 

あとは、体が持てばね。最近腰が痛いのが悩みです。

くぅ~BBAな発言がてめえで言っててすげえやだ!

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

【作品が好き?作者が好き?】ファンの定義【愛だろ、愛】

f:id:hampemtarutaru:20200829143110p:plain

 

かの速水真澄の名言に

 

「ファンとは、バカなものだな」

 

というのがある。

 

ハイハイ速水さんがわからない人はコレ読んでくださいね。

ガラスの仮面 1

ガラスの仮面 1

 

 

舞台女優としてのマヤに惚れこむあまり公私混同の嵐。

もともとファンからはじまったはずなのに、作中の彼らは愛をはぐくんでいくわけですが。

 

 

「ファン」という言葉は極力使わないようにしている。

近頃のご時世で熱狂的なファンに「そんなんでファンなんて名乗らないでよね!」とか言われたわけではもちろんなく、なんか「ファン」という言葉には「作品が好き」というものに「その作品を作っている人も好き」「その人を無条件で好き」というのが乗っかってくる感じがして、あんまり得意な単語ではない。

 

 

もともと何か誰かの熱心なファンだったことはたぶんこれまで一度もない。

たとえばアーティストで言えば小学生でバービーボーイズチャゲ&飛鳥、中学生の頃はJUN SKY WALKERSや小田和正高野寛などアルバムをアホほど聞き倒して、全曲そらで歌えるほど、ではある。

でもそれはたまたま手元にあったその人らが作ったアルバムが好きだったんであって、そのアルバムをライブで演奏するよ!って言われても正直「ふーん」だった。

その人らがべつのテレビ番組に出るよ!って言われても「はぁ」だったし、要するに出来上がって与えられた作品は大好きだったけど、それを作っている人たちそのものにまで興味は持てないという程度だった。

新譜が出たところで、発売日に買いに行くでもない。予約なんて考え付きもしなかった。たまたまレコード屋で見つけて気に入れば買うかも、くらいのもん。

そして実際買うまで至っても、たいして気に入らないなんてこともあった。

 

 

高校くらいでブライアンアダムスを好きになり、このときは意外ときちんと新譜を楽しみにしたり、雑誌で情報を追ったりと少しだけしていた。

それも3,4枚と新譜を手にしていき、あるときガラッと作風が変わり、自分の好みの変遷も手伝ってなんとなく興味が失せてしまった。

当時懸命に聴いていた曲たちはいまでももちろん変わらず好きだが、最近の彼が何をしてるのかなんてまるで知らないし興味もない。

別に嫌いになったわけじゃない。

単にその人の作る作品が好きってだけで、その人自体に興味はないから。

 

 

大学生くらいで市村正親を好きになり、彼の舞台は何度か自分でチケットを贖って見に行った。

「この人が好きだから見に行こう」と行動を起こしたのはもしかしてこれきりかもしれない。

対象物として音楽とは違い、舞台は行かないと見られない、から行ったって部分も今思えばあったかも。

音楽はパッケージされて届けられる作品で完結できるけど、演劇は、特に舞台は映画と違って自宅視聴だと正しいクオリティで見られない気がする。

 

 

唯一ファンだと言ってよさそうなのは西武ライオンズ

足しげく球場へ行ったりグッズ買ったりするほどではないけど、視聴環境を整えてたまには現地へ足も運ぶしね。

 

 

さてズラズラと書いてきたが、要するにわたしはなにかの熱心なファンだったことが特にない、って話だ。

それがいいとか悪いとかでなく、単に事実としてそうだし、おそらくはこの先もそうだろうと思う。

もちろんそれにはいくつも理由がある。

 

 

まず「ファン」というものをざっくり定義する。

そもそもfanatic(熱狂的な)を語源とする言葉だ。

 

わたしの偏見による「ファン」像とは、対象物に対して惜しみなく愛も金も(可能な範囲で、あるいはそれを越えてすら)注ぎ、対象物を全肯定する。

 

この全肯定が、わたしには到底無理だ。

たとえばAという作家がいたとする。わたしはこのAが書いた「1」という本をものすごく気に入った。人生観を揺り動かされるほど衝撃を受けた。面白い。凄い。

しかし数年後にAが書いた「2」という本は正直がっかりだった。

「1」の時点でわたしがAそのものを好きになり、Aのその後の発言やらを丁寧に拾い集めて注視して、そうして時間を重ねたうえで「2」を読めばひょっとして受ける印象は違ったかもしれない。

でもわたしが気に入ったのはAではなくあくまで「1」であって、その後「2」を読むまでの間のAに起きたこと、Aが考えていたこと、「2」への伏線になっているであろうこと、などなどはまるで関係がない。

作者関係なく1つの作品として「2」を手に取り、がっかりしただけのことだ。

 

つまり「1」に感銘を受け、そこからAを好きになり、次回作「2」が発売されたときにそれを無条件に肯定できるのが「ファン」。

それは盲目になっているって意味ではなく、興味を持って追いかけ続けていれば「2」もそれはそれで新しい魅力にあふれた作品であると感じられるだろうと思うから。

もちろん、追いかけ続けている間に少なからず「愛」は育つだろうし。

そして速水さんの冒頭の台詞になるわけだ。

 

 

ごはん屋さんにたとえればわかりやすいか。

わたしは「はむぺむ屋」というごはん屋さんが大好き。あすこのから揚げ食ったらもうよそのから揚げ食えないよ、ってくらい好き。

すっかりお店のファンになって週に3日も通ってる。

そこのシェフがまたすげえイケメンで物腰も優しくて話も面白い。

もちろん彼が作るからおいしいんだけどさ、だからってべつにシェフを好きなわけじゃない。

ある日シェフが出してくれたとんかつは正直全然うまくなかった。

なにこれ、衣がべしゃっとして食えたもんじゃない。悪い意味でいままで食ったことないよこんなん。がっかりだよ。金返せってレベル。

でもべつに「はむぺむ屋」を嫌いになるわけでもシェフを嫌いになるわけでもない。

また店には来るだろうし、またから揚げは食うだろう。

そしてあとでべつの熱心で店もシェフのことも大好きな常連客から

「なんかね、シェフは新しい概念のいままでにない料理に挑戦したいと思ってるんだって。その手始めに、いままでカリッサクッっていうのが当たり前だったとんかつという料理をいろいろ試してみたいんだってこないだ言ってたよ」

なんて話を聞く。

なるほどその常連客は、わたしが問答無用でがっかりしたとんかつを「意欲作」と捉えたろうな。

ってなんかかえってわかりにくいか?

 

 

世の中にはガチなファンもいれば、もちろんライトなファンもたくさんいる。

どこからをファンと呼ぶのか、ってのは線引き難しい感じはするが、対象物に金を落としていれば、その多寡には関係なくファンと名乗ってもいいのではないかとは思う。

ただし、ある程度継続的に、かつ意図的に。

Aさんの出した作品だから買おう、Aさんのかかわった作品だから見に行こう、という意味で、たまたま単発で買ったってだけじゃファンとは言えない。

 

当たり前だがファンを持つ側の対象者=ほとんどの場合「表現者」だろうが、彼らはファンに何かを売ることでおまんまを食っている。

このあとの話とも多少リンクするが、ファンというのはお客さんのことだ。

タダ見の冷やかしは客ではないし、向こう側からすればより多く金を落としてくれるお客さんはいいお客さんであることは言うまでもなく当然だ。

愛や夢だけじゃおなかいっぱいにはなれないもんね。

 

 

いまひとつわたしが何に対してもファンになりきれない理由が「ヒトは一律でヒト」だと思っていること。

www.hampemtarutaru.com

どんなすてきな音楽を奏でる人も、どんな立派な言葉を述べる人も、大前提としてみんな「自分とおんなじ人間であることには変わりない」と思っているから、無条件にその人の言うことやることステキ!大好き!ってなれない。

 

与えられた作品に感動はするし感銘も受けるが、それを作った「ヒト」に思いを馳せるといきなり視点が変わってしまう。

現実になっちゃう、のだ。

 

 

ファンから見ると対象物は「雲の上」。永遠の片思い。アイドルっていい言葉だよね、偶像崇拝

そこには存在しないがごとく、自分の描く理想のかなたに神々しく坐するのがファンが愛するアイドルで。

そういう人たちのことを「どこまで行っても一律で人間として」見てしまう時点で、わたしはだれのファンにもこの先なれないだろうなぁ、と思う。

 

 

だれかのファンになって、愛も金も情熱も捧げて走り回る姿をちょっぴりうらやましく思うことはある。

そこまでのめりこめたら幸せだろうなぁ。

 

 

…ん、でも、ちょっと待てよ。

 

対象者に興味津々で、対象者の一挙手一投足が気になって、対象者の発言はすべて好意的に聞いて、存在自体を全肯定して、全人生を投げうってすべての愛を注ぎ続ける。

 

いるじゃん、わたしにも。

はむぺむがそれじゃん。

 

 

これまでもこれからも誰のファンでもないという発言は訂正します。

わたしははむぺむのファンでした。唯一無二の超大ファンです。

 

 

…結局のろけなシメかよって石投げられそう。

うん、だってほら、ファンとはバカなものだからさ!

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

 ファン関連(ざっくりしすぎて謎な分類)

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

 

「オカシイ」という言葉は誉めてる?貶してる?~ブレることにブレない

f:id:hampemtarutaru:20200823143344p:plain

 

言葉のニュアンスというのは実に面白いもので、発し手によっても受け手によっても印象が変わってくる。

 

凡非凡なんてのはその最たるもんだ。

 

今回の話を語る前にぜひこちらの記事に目を通していただきたく。

 

www.hampemtarutaru.com

 

「凡人」と言われるとなんかちょっと「つまんない人」って言われてるようだし、「非凡」ならいいかってーとそれも「あなたって変わってるよね」とか「あの人ちょっとオカシイから」って言われると微妙な気持ちになることもある。

 

まぁ、後者のほうはどちらかというと「いまどきは」誉め言葉に取れるのかなと個人的には思うけど。

普通じゃない=平凡でない=特別感があるってんで、むしろそう言われることを喜ぶ人も多いんじゃないかと思う。

 

 

上載の記事でも触れてるが、わたしは超が付く凡人。平凡。

だがはむぺむは非凡の代表みたいな人だ。

「はむぺむって普通の人だよね」って言われてるの見たことないし、20年以上一緒にいるわたしから見ても「平凡だな」「凡人だよな」って思える部分がまるでない。

平凡が悪いわけでも非凡が偉いわけでもない。

ただ「世間一般の水準と比較して」あきらかにちょっとオカシイのだ。

 

 

当人はと言えば「俺は普通だ」。

いや普通じゃないよ、といえば「何をもって普通と言うのか」。

世間の水準を常識ラインとして、そこを大きく逸脱している人を変だというのだと言えば「そんな平均値データあるなら出せ、俺は俺以上に普通で平凡な人を見たことがない」。

 

 

…うん、まぁ、そうなるわな。

自分じゃ自分を1ミリもおかしいと思ってないんだもんな。自分が基準なんだもんな。

 

 

はむぺむの会社の社長さんもたいがいオカシイ人なのだが、その社長がとある取引先の人に

「はむぺむはオカシイから(一緒に仕事してて)大変でしょ」

みたいな話をしたそうな。

それを社長から聞いてはむぺむが憤慨した、というのが今回の話の発端。

 

 

先方はさすがにそれに同意こそしなかったそうだが、そういう表現をする社長の話を聞いてわたしは「愛情」を感じた。

そういう軽口に近いことを言えるのって、身内感ならではだし、はむぺむの「オカシイ」部分を社長自らが愛してるから出る台詞なんだろうと思うからさ。

でもはむぺむはまるで納得いかない顔で怒り心頭。

 

「俺はどこもおかしくない。いたって普通だ。そんなふうに言われるのは心外。むしろオカシイのは社長のほうだ」

 

いや、うん、わたしから見りゃどっちもオカシイさね。

 

 

その凡非凡の話、われわれが自宅で飯がてらネットの動画を見ていた時に出た。

そんときに見ていた動画は路上パフォーマンスで超絶ドラムテクを叩くというもの。

 


凄い!神業!ストリートドラム!

 

なんでこんなの見てるのか忘れたが、わたしに言わせりゃこの時点でもうなんかオカシイ。

 

まぁそれはそれとして、凄いなぁと見とれていたら、次に彼はチンドン屋が見たいとリクエストしてきた。

 

 

「そういうとこだよオカシイの。どういう思考回路でチンドン屋見たいってなるわけ」

 

「打楽器じゃん。路上パフォーマンスだし。むしろ普通の流れだろ。摺り鉦とか聞きたくなるじゃん」

 

「なに摺り鉦って」

 

「摺り鉦ってのは(どんぶりの中に箸を入れてカンカン鳴らしながら)こうやって丸い鉦の中を押したり引いたr」

 

「(食い気味)だからそういうとこだよ!」

 

 

単純に知識が豊富だからオカシイってわけではもちろんなく、そのリンクの仕方がなんかオカシイんだよな。

 

それでも俺はどこもおかしくなんかない、普通だと言い張るので

 

「いままで出会ってきた触れ合ってきたいっぱいの人たちを思い出してみ?みんな君のことどう言ってた?あなたって平凡だね、普通だよねって一部でも一瞬でも一度でも言われたことある?」

 

「ない」

 

「じゃあそれが答えだよね。大勢の人が君を平均でない、水準でないと思ってるってことは君は普通ではないってことだ」

 

「いや、それはそう言ってるみんなのほうがオカシイからだ」

 

多数決って言葉知らんのかおのれは。

 

 

「多かれ少なかれ人はみんなどっかオカシイもんだ」

 

「それには同意するよ。その振れ幅の大きさによって人が人に与える印象ってのは変わるもんなんだよ」

 

「要はどんだけブレてるかってこと?」

 

「そうそう!」

 

「そうか、ならちょっとだけ納得した。

 俺はブレることにブレないのが座右の銘だしな」

 

 

…うん、そうなんだけど、なんかちょっと釈然としない。

 

伝わってんのかホントに?

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

社長関連

 

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

 

愛車君とのお別れ~15年ありがとうマイチャリ!

f:id:hampemtarutaru:20200807110838p:plain


先日、通勤途中にチャリがパンクした。

さいわい道半ば以上は行っていたので時間で困ることはなかったが、ついにこの日が来たかと思った。

 

ただのパンクだし、直せば乗れないこともない。

だけど、もうかれこれ15年くらい乗ってる。

日頃手入れもしてあげないからサビサビだし、前カゴはべこべこで変な形になって荷物もロクに入らないし、漕ぐとギコギコ言うし、とにかく満身創痍と言っていい様相。

 

以前買い替えようと思ったのはもう2,3年前。

そんときは結局土壇場で修理に切り替えた。自転車屋で新しいコを物色していたにもかかわらず、気づけば「直したらいくらですか」って訊いてた。

15年の間何回か修理に出しているので、その費用だけで新人君が2,3台は買えたろう。

なかなか手放しがたかった。

 

わたしは子供の頃チャリンコに乗れず、日常の足として乗るようになったのは結婚後。

愛車君は文字通りわたしにとってはじめての相棒だった。

ボロボロでも、一緒に過ごした日々を、いろんな景色を見たことを思うと、なかなか、なかなか別れがたく。

だから、次にどこかを痛めたら今度こそそのときは、もういい加減引退させてあげようと思っていた。

 

 

どうやらようやくその日が来たようだ。

仕事の後愛車君を引いて自転車屋へ行った。

 

 

 

いったん愛車君を預けて新車の物色をさせてもらう。

そのことをはむぺむに告げると合間を縫って電話をくれた。

 

 

「愛着あるなら直して乗ってもいいんだよ?」

 

 

気持ちが揺らぐ。

もうちょっと、一緒にいてもいいかな?って思いそうになる。

いっぽうで、もう休ませてあげたくもある。

 

悩んだ末

 

「いや、もう買い替えるよ。もうじゅうぶんつきあってくれたよ」

 

 

結局その日は新しいコは買わず、処分費用を支払って愛車君を引き取ってもらった。

店員さんは少し怪訝そうな顔だったが、最後に写真を撮らせてもらった。

お別れに車体にそっと触れると迂闊にも涙がこみあげてきて、あわてて店を辞し歩いて帰宅した。

 

 

週末にでも新しい相棒を探しに行く予定なので、いましばらくはチャリのない暮らし。多少不便だが、相棒への弔い期間に充ててありがたみを思い知るのもよかろう。

 

 

ああ、思い出しても泣けてくる。

ほんとに長年ありがとう。

きみのおかげでわたしの世界はものすごくものすごく広がったよ!

 

 

…うん、相変わらずモノに感情移入しすぎてイタイ子になってますが、ほっといてあげてください。

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

 

 

車編愛車君とのお別れ

www.hampemtarutaru.com

 

人違いしたこともあったねぇ

www.hampemtarutaru.com

 

ところで今回写真見ながらチャリンコの絵を描いたんだが、自転車をあらためてまじまじ見ることってないんだなって痛感した。

前描いたチャリがヒドすぎる。脳内と実物ってこんなにかけ離れてんだね。

www.hampemtarutaru.com

 

愛車君とのエピソード

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

 

【2コマ】そのタイミングでその本

f:id:hampemtarutaru:20200711111951p:plain

 

f:id:hampemtarutaru:20200711112008p:plain

 

コンビニでは(コンビニでも!)定期的に無駄遣いをしたがるはむぺむ。

食い物や飲み物をひととおり買い終わった後で、コレも欲しいと差し出してきたものが

 

 

「もうダメだ!と思ったら読む本」。

 

 

自己啓発系の本には二匹揃ってとんと興味がないが、だからこそ欲しくなったんだろう。

またこんないらないもんを…としぶしぶ受け取りレジへ。

 

年配の奥様店員さんがレジでバーコードをあてると

 

ピー。

 

あ、登録されてないみたいね。

 

「あらーコレダメね。えーと値段は…本体価格しか書いてないわねー」

 

「あ、じゃあ税金計算して…」

 

「いいわよ本体価格でー。560円ねー」

 

「え、ちょっとまって計算すれば」

 

「いいわよいいわよ、ハイ560円ねー」

 

 

いいのかそれで?

 

 

たぶんオーナーの奥様とかなんだろうな、鷹揚で、慌てず騒がずもう彼女は560円と決めてしまったようだ。

10パーの計算なんて簡単なんだから瞬時に価格提示ができればちゃんと払えたろうに、一瞬パニックで完全に流れを向こうに渡してしまった格好になった。

 

しぶしぶ560円を払いながら内心

 

「ねえ、いまわたしたちこそがその本読むべきだよ。

 いやむしろわたしが読むべきだな…」

 

 

結局はむぺむはろくに読まず、わたしはしっかり熟読しました。

内容はいわゆる名言集。

でもその名言のセレクトがなんとも微妙で、そういう意味では面白かったです(←?)。

 

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

言葉は凶器~社交性は暴力性

f:id:hampemtarutaru:20200707125934p:plain

 

ペンは剣よりも強しなんてよく言うが、言葉は凶器そのものだ。

 

便利なツールであることは間違いない。

必要事項の伝達だけにとどまらず、自分の気持ちを相手に伝えたり、相手の気持ちを汲み取ることもできる。

人間やっていく上では便利以前に必須。ないと成り立たないとさえいえる。

 

使い方によっては誰かに何かを強いたり、誰かの行動を制限したりすることさえ可能だ。

暴力的に振るおうと思えば人を死に至らしめることさえできる。

ネットの世界がそれを証明しているといえるだろう。

 

 

ところで、わたしは社交的であると言ってはばからないが、それは言葉を使うのがうまいわけではけしてないと自覚している。

わたしの社交性というのは大前提として自分さえよければあとはどうでもいい、という至極わがまま全開の精神がある。

それがゆえに使う武器のセレクトに気を使わなくていいし、だからこそスピード感を維持しつつ先方の懐にやすやす入れるというメリットが働く。

 

 

どういうことかというと。

 

目の前にでかくて分厚いブロック塀があるとしよう。

この塀をどうしたいかによって選ぶ武器は変わってくる。

 

タガネやグラインダーを使ってコツコツはつっていくか、電動ハンマーでゴンゴン叩いて崩していくか、それは今後そのブロック塀とどうやって付き合っていく気かによる。

 

なんなら触らない人も多くいるだろう。なまじ触って壊れたり、自分のほうに倒れ掛かってこられても困るし。見ないふりをするのが吉ってことも往々にしてあるだろう。

 

 

わたしはこういうとき、迷わずいちばんデカい破壊力抜群の100tハンマーを選ぶ。

どうなろうが知ったこっちゃない。目の前の塀をどうすりゃいちばん手っ取り早く排除できるかにしか興味がないから。

 

 

つまり、相手とのその後の関係を慮らないから強いカードを切れる、わけだ。

 

 

結果的にそれで強い武器に耐えてくれたり、より強い武器で応戦してくれたり、あるいはのれんに腕押しじゃないが攻撃を受けてもなんも感じず(感じないふりをしてるのかどうかはわからん)平然としていられる人たちだけが、たぶんわたしのまわりにはいるのだろう。

それが無理な人も大勢いるだろうから、そういう人は静かにわたしの元を去っていくのだろう。

まぁ去れない立場の方々(身内とか職場とか)には多少申し訳なく思うが、イヤなら拒絶してくれればそれ以上攻撃はしない。

もともと他人に興味があってそうしてるわけでは全然ないし。

 

 

相手が誰であろうがかまわず勇猛果敢に飛びかかっていく猿、のように見えるかもしれないが、いや実際猿ではあるんだが。

それは相手がどうなってもかまわない、あるいは相手との関係がどうなってもかまわない、という精神に基づいた暴力的行為だと思う。

 

 

相手がどうなってもかまわない、というのは少し言い過ぎで、さすがに直接的に相手を傷つけるようなことは言わない。そこは一応常識的感覚は持ち合わせている(あくまで自分基準)。

でも、相手との関係がどうなってもかまわない、という感覚は正直常日頃誰に対しても持っている。

わたしが嫌いならそう言ってくれ。そしたらもう関わらないから。

イヤじゃないなら付き合ってくれ。付き合ってくれてありがとう。

くらいのスタンス。

 

 

なんでこんな話をしてるかというと、わたし自分でもビックリするくらいはむぺむに対してだけは武器の選定に毎回毎回ものすごい悩んでるから。

 

手持ちの武器を全部を並べてあれこれ手に取って何時間も悩んだ挙句、結局振るわずに黙って過ごす、なんてことも多々ある。

 

 

外ではいっさいの躊躇なく最強の武器を選んで振るいまくるのに、家じゃ最小限の伝達事項すら伝える言葉のセレクトに常に頭を悩ませている。

自分がいかにはむぺむとの関係性を保つために気を使っているのか、もとい、彼との関係性を損なうことを恐れているのかがよくわかる。

 

 

それで武器の選定を間違ったからと言って彼の心が離れていくわけでもなけりゃ嫌われるわけでももちろんない。

なのにこっちが勝手にあーでもないこーでもないと悩んで胸を痛めている。

とても滑稽だが、普通の人はみんな誰に対しても多かれ少なかれそういう気持ちを持っているのだと改めて気づかされる。

つまり、それだけ言葉というのは暴力的とさえいえる攻撃力を持っている、ことの証明でもある。

言葉は凶器なのだ。

 

 

社交的という看板のもとに強力な武器を縦横無尽に振るいまくるわたしが言うセリフでもないが、そういう人と対峙したときにははっきりと言ったほうがいい。

「踏み込んでこないでくれ」と。

社交的な自分を売りにしているやつはわたしを筆頭にたいてい鈍くて無神経だ。

明確な拒絶を受けなければわからない。いつまでだって同じことを繰り返すだろう。

 

 

外では暴れん坊のわたしも家ではビクビク武器を選ぶ。

それでもときどきブチ切れると、見境なく手あたり次第に武器を手にして彼に投げつけるようなこともある。

そしてそういうとき、もれなく倍返しで立ち直れないほど強烈な言葉の暴力をいただくわけで。

なかなかの深手を負う。

 

 

自分よりはるかに攻撃力の高い人間に襲い掛かっていくときは、相応の覚悟が必要です。

ってなんの話だコレ。

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

関連記事

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

【小ネタ】ミッキーマスク

f:id:hampemtarutaru:20200702080557p:plain

 

コロナのみぎり、ディズニーも長期休業。

いつ再開すんのかねなんて話をしてたら、直属の上司(っていうか監督官みたいなポジション)にあたる人が

 

「オリジナルのマスクとか作んないんすかね、流行りそう」

 

「おー、あのにやけた口元でね。…ミッキーマスクか!」

 

 

のちに調べたらすでに現存。

ようやく再開したディズニーでは超売れセンになるんじゃないでしょうか。

 

でも今朝のニュースで見たけど、実際のミッキーは残念ながらマスクはしてなかったです。

そりゃそうか。

 

 

f:id:hampemtarutaru:20200702081132j:plain

画像元:Amazon

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

お部屋で水耕栽培①~トライ&エラーの繰り返し!

f:id:hampemtarutaru:20200701085652p:plain

 

本当は収穫まで行きついてからレポろうと思ってたんだが、まだまだまだまだかかりそうなのでとりあえず書き出してみる。

たぶんすごい長期間でたまにしか報告されないのんびりしたシリーズになると思うので気長にお付き合いくださいまし。

ちなみに現時点ではまだ成功しているとはいえないので、あくまでトライ&エラーの記録です。

 

 

 

新しい仕事に移ってから植物への興味が増した。

なんか野菜でも育てたいな。

 

www.hampemtarutaru.com

 

とは言っても現在の住居はマンション、ベランダはあるものの常に強風のイメージがあるし、鳥や虫が集まるのも避けたい。

完全室内栽培となると、土を使うのもなぁ。

というわけでネットであれこれ調べて水耕栽培というものに行きついた。

ふーん、流行ってんだね。水耕栽培セットとかもかなりいろいろ売ってる。高いやつからお手軽なのまでよりどりみどりだ。

 

ユーイング 水耕栽培機GreenFarmCube UH-CB01G1 ホワイト

ユーイング 水耕栽培機GreenFarmCube UH-CB01G1 ホワイト

  • 発売日: 2015/11/01
  • メディア: Tools & Hardware
 

 

 

でもどうせやるなら一式揃ったセットからじゃなくて、身近なもので工夫してやってみたい。

実際やれてる人がいるんだからわたしにだってできるだろ。

お得意の見切り発車でホームセンターに立ち寄り、手ごろに揃えられるものだけ購入してきたのが4月頭の話。

 

 

f:id:hampemtarutaru:20200701085709p:plain

①スポンジ

 

土のかわりになるスポンジ。

100円ショップで売ってるような普通のスポンジでOKとのことだったので、ほんとにフツーの5個100円とかのやつを購入。

 

 ②水切りカゴ

 

食器洗った後入れとくようなやつ。最近は100均でも300円とかすんの。

自宅で使ってた古いやつを水耕用におろして、買ってきたやつを食器用にした。

すげえいらない情報だなコレ。

 

 

③タネ各種

 

まずは育てやすそうなサニーレタスと小松菜を一袋ずつ購入。それぞれ300円くらいだったかな。

いわゆる水耕栽培用の種ではなく普通に土にまくやつなので、袋の裏に書いてある説明があんまり役に立たない。

超初心者なんだからまずは豆苗増やしたりバジルとかパセリとかスプラウトとかのほうがよかったんだろうけど、食べたいもののほうに軍配が上がってそうなった。

食べるところまで行きつくのがどんだけ難しいか思い知るのはもう少しあと。

 

 

液肥

 

液体肥料ってやつ。水耕栽培にはこれは必須みたいなので、ホームセンターで見つけたハイポネックスを購入。

 

ハイポネックス原液 800ml

ハイポネックス原液 800ml

  • メディア: Tools & Hardware
 

 

あとでネットで知ったがA液B液に分かれてるやつとかあって、ガチでやるならこっちのほうがいいかも。

とりあえずわたしは現時点ではハイポネックス使ってます。

 

 

⑤プラスチックカップ

 

ふつうの紙コップ的なやつ。これは家にストックがあったので買わず。

最初の段階では使わない。

 

 

 

さて準備はこんなもんで、とりあえず種まいてみましょー。

今はわかりにくい羅列ですが、いずれ収穫までうまくいったらちゃんとまとめるかも。

 

 4月7日 種まき

 

まずスポンジの硬い部分をひっぺがして、8等分に切ります。

1/8サイズのスポンジの表面に種を植える用に十字に切れ込みを入れます。

 

水切りカゴに液肥と水を入れ、スポンジをよく浸します。

初回は液肥を入れましたが、試行錯誤ののち種まき段階では液肥は入れなくしました。

種自体にじゅうぶん栄養があるので、発芽までは肥料は必要ないんじゃない、と植物に詳しい同僚がアドバイスしてくれました。

 

タネは想像以上にちっさいので、竹串とかを使います。

先っちょを少し濡らしてくっつけて、よく水を吸ったスポンジの十字の切込み部分に埋めます。

初回は試験的に数粒ずつ入れましたが、現在は一粒ずつにしています。

最後に濡らしたティッシュでふたをして完了。ちなみに現在はしてません。

 

で、発芽までは光は必要ないので室内の適当なところに置いて放置。

 

種まきから4~5日で芽が出ました。おー!

 

4月11日

f:id:hampemtarutaru:20200701102647j:plain

 

コレは案外カンタンに育つんじゃね?1カ月後くらいには食えるんじゃね?

 

なんて思っていましたが、甘かった。

 

 

 

つづく。

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

文章を書くのがのろくなってきた

f:id:hampemtarutaru:20200630124815p:plain


ここ最近、自分でもわかるくらい文章を書くのがのろくなってきた。

もともとそれほど早いほうでもないが、拍車をかけてひどい。

目が見えにくくなったとか、キーボードを打つのが遅くなったとか、そういう物理的な話ではなく、もっと脳的、あるいは感情的な部分に起因するのではないかと自分では思っている。

 

 

もう少し年若いころはそれこそさらさらトントンとキーを打って勢いで書けた。

書き上げた後はそれを読み返してご満悦で、いつまででもなんだって書けるんじゃないかと思うくらい順調に筆が滑った。

出来の良し悪しはさておき、やむを得ない事情で中座するとき以外はとどまることなくつっかかることなくとにかく走りきれた。

 

 

でも最近はそういかない。

走り切る体力がなくなったのかと疑ってみたがどうもそうでない。

一文を書くたびに思考が際限なく広がって、いちいち立ち止まってしまうようになったためだ。

意識が散漫になっているってのもあるが、もっとも大きな理由はおそらく

「良く言えば視野が広くなった」

「悪く言えば自我が薄くなった」

ことだ。

 

 

たとえば今書き途中の「ペットや動物愛護」についての記事。

もともと猫を飼いたいなと思い立ったことから書こうとした記事なんだが、思考をはじめてからもう1週間以上経つ。

だれでもそうだと思うが、通常はまず結論ありきで構想を練る。

ある程度脳内で試行して自分の主張や意見などが固まったら書き出すのだが、その時点でちっともまとまらない。

未決のままでようやく書き出しても一文書くごとに「イヤ、これはこういう視点で考えるとまた違った話になるな」とか「あれ、これはこういうふうに見るとだいぶ意味が変わってくるんじゃないのか?」とかでいちいち突っかかりまくり。

 

 

(ここからまとまってない思考の羅列、お見苦しいです)

最初はペットを飼いたい的な話だったはずなのに、ペットを飼うことの是非、そもそもペットとは、人間のエゴ、獣肉を食う、ペットの繁殖とショップやブリーダーの存在、仮にそれらがなくなったらペットに位置付けられている現状のペットたちはどうなるのか、動物保護を実践している人たちの志は尊敬するし同意するけど、金が集まるとわかればそういうふうに動かないとも限らないのが人間で、はたして現在のいろんな保護をうたっているアレコレが全部クリーンで善意のものなのかどうかなんてわかりゃしないとか、繁殖をコントロールしてる時点で善意も悪意もかわりゃしないとか、でももはやそうしないと生きていけないようなのが現在のペットたちでとか、犬猫の譲渡には条件が多く手間がかかるからペットショップに求める人も当然多くて、ペットショップのコたちは簡単に捨てるような人の手に渡ることが多いんだったらある意味そんな不幸な目に遭う前に金を払って救出してあげるほうがいいんじゃないかとか、でもそれがあるから保護猫とかも発生するわけで、でも欲しがる人がいる以上供給は止まらず、供給が止まらないということは多かれ少なかれ不幸なコは生まれてしまうし、ぜんぶいなくなったらそれはそれでまた人間はどうにかしだすだろうしとか、そもそも犬猫に割ける金があるなら食うに困る人間だって地球上にゃ山ほどいるんだ人間愛護のほうが大事じゃないのかとか、それでもたとえば自分が猫を飼ってたと仮定して川でその猫と見知らぬ誰かがおぼれていてどっちかしか助けられないってなったらどっちを助けるかとか、もう何書きたかったんだっけ?

(ここまで)

 

 

当該記事はいつか公開できるのでしょうか自分でも不安。

公開時期未定、乞わないご期待。

 

 

それはさておき、かように文章を書くのに時間がかかるようになった。

 

 

そしてそれは文章だけにとどまらず、しゃべるほうでもだんだんそうなってきている、ことに気づいた。

 

誰とでも何の話でも盛り上がれるしその場ですぐに仲良くなれる、ことを自負してきたこのわたしが、だれかと話すときの「間」が長くなってきているのだ。

 

 

 

少し話は逸れるが、わたしが基本取っているやり方は「中身のない話で相手をいい気分にさせる」手法。

まずとっかかりとしてどうでもいい自分話をするが、それは呼び水で、あくまで水を向けるのは相手。

「人は自分の話をするのが好き。自分に興味を持ってもらうのが好き」

自分から意気揚々と語る人は呼び水がいらないが、警戒心の強い人も一定数以上いる。

そこで呼び水に使う話題は極端な話なんだっていいのだ。思いついたことや思い出したことをポンポン言葉にして、わたしは語らせてもらったよ、って体になるだけでいい。

「さぁ次はあなたの番ですよ」って流れになれば、多くの人は安心感とともに気持ちよく自分語りをはじめてくれるのだ。

…って書いててちょっと自己嫌悪になってきた。

めちゃくちゃ嫌な奴だなわたし。うん、知ってる。

 

 

 

本題に戻る。

あることないこと立て板に呼び水でわめきちらしてきたわたしが、近頃そのどうでもいい自分語りが下手になっているのだ。

冒頭から間が発生してしまうと、勢いに乗れずテンポが作れず、相手に思考の隙を与えてしまう。

結果、誰とでもなんの話題でも盛り上がれる、という状況が多少作りづらくなってきている、というわけ。

 

 

この「文章を書くスピードの低下」および「会話時の間の発生」は、ヒトとして見るとあるいはよいことのなのかもしれないが、わたしにとっては死活問題だ。

最近ちょっと過去ログ掲載が多いのもそういう理由。挟むカット絵に添える文章ですら書くのに以前よりはるかに時間を要する。

むしろ絵だけならすぐに書ける。っていうほどたいした絵じゃないが!

変わるもんだ。

 

 

そしておそらくそれらは、わたしが現在接客業に従事していないことと密接に関係している。

それがたとえ定型文だけであっても、わたしはたぶんしゃべってないとダメなのだ。

常に口を動かしてなんか言葉を音として発していないとダメなのだ。

そうすることによって脳内の思考を言葉というかたちにして吐き出す訓練をしていたのだなと、いまさらながらに思い知った次第。

 

 

さてどうすべきか。

迷い多きお年頃です。

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

 

社交力関連(←ってどういう区分けよ)

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

www.hampemtarutaru.com

 

1+1の前提としてまず1でなければならない

f:id:hampemtarutaru:20200627154807p:plain

 

わたしのポストは大半がはむぺむがらみ。

 

考えてみればわたしが他人と話すときはたとえそれがどんなシーンであろうとはむぺむの話題が出ないことはまずない。

アナログでもデジタルでもそれは一緒。

 

もっと言えば子供もいない仕事もロクにしていないたいした趣味も持ち合わせていないとなれば、話題としてソレしかないのだ。

 

 

若い時分はそういうオンナになることを心底嫌っていた。

男に寄りかかって生きていくなんて、男なしでは生きていけないなんて、と軽蔑さえしていた。

 

いまでもそうした後ろめたさに近い気持ちはある。

でも、彼の「くくり」に当たり前に含まれている自分を嬉しくも思う。

「俺はお前でお前は俺だ」と彼が言ってくれるから、だが。

 

 

「俺は俺でお前はお前だ」というヒトとしての基軸を大前提にしたうえでの、2人1組、の感覚。

1+1=1でもあり∞でもあるってのは夫婦の化学反応にも言えることなのか、とも思うけど。

 

 

まずそれにはちゃんと1でなければならないわけで。

いまだ眼鏡なしの視力程度のわたしは、足引っ張って反省ばかりの毎日です。

 

 

***

ランキングの応援をしてくださる心優しいアナタはこちらをクリック↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

 夫婦のかたちいろいろ、な過去記事いくつか

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

www.hampemtarutaru.com

 

【スポンサーリンク】