興味がないものは見えない

 

ほんに月日は矢のように。

なんかいろいろ書きたいことが山盛りなんだがとりあえず表題の件。

 

過日、所用で某美容整形クリニックを探して街を訪れた。

わたしにはおよそ縁遠い場所だが、なぜそれを探していたのかの話はまた別の機会に譲るとして、とにかくそこを訪れるべくビル街を探し回った。

 

事前に地図でだいたいのあたりは付けて行ったのだが、それにしても見つからない。

あれー、おっかしいな、絶対このへんなんだけどなー。

ぐるりとその一角を一周し、探し始めの大通りに戻ってきたところで、そこに一番目立つくらいの勢いででかでかと掲げられた当該看板を見てずっこけそうになった。

こんなん見落とすか?ここかよ!

 

その建物自体も何度も訪れたことがあった。

複数カフェが入っていて、そこに行ったことがあるのだ。

しかもそのうち1軒の喫茶店は直近1カ月以内に訪れている。

そのときにエレベーターに乗り、ビル内の他テナントのチェックまでした記憶があった。

へえ、法律事務所とか入ってるんだね。打ち合わせで(カフェとか)使うんだろうなー。

なんて思ってた。

 

その喫茶店のまさに真上のフロアが今回目指すクリニックだったのだ。

いや、なんか、気づかなすぎだろわたし。

 

 

わたしは美容に興味がない。

興味がないということを言及することすら思いつかないくらい興味がない。

ずっとそうやって生きてきたので、わたしのアンテナにそういうカテゴリのものは引っかかってこない。

TVCMや各種広告も美容系のものは見ても印象に残ることはほとんどない。

もちろん店舗がどこにあるかなんざ知るわけもなく。

 

 

それでも、何度か見ていれば覚えていると思ってたし、少なくとも見れば気づくとは思っていた。

だが、実際は目の前に目立つ看板が差し出されても、見えなかった。

そう、「気づかなかった」ではなく「見えなかった」のだ。

 

 

それに似たような感覚は持ったことがあって。

子供の頃って友達のお母さんとかの記憶はそこそこある。

でもそれが、中学高校と年が進んでいくと、おもしろいくらい「自分と年齢の遠い人」の記憶がなくなっていく。

小学生くらいの時に遊びに行った家で会った友達のお母さんの顔は思い出せるけど、高校くらいで泊まりに行った友達の家のお母さんは「いたっけ?」くらい思い出せない。

 

というか妙齢の頃(って用法もどうかと思うが)は特に視野が狭い。

思春期まっしぐらなので、自分のごく狭いまわりのほかに目に付く他人は自分と近い年齢の人ばかり。

要するに「あの人かっこいい」とか「あの人キレイ」とかって視点。

その頃は40代以上の人ってわたしの周りに存在してた?ホントに?全然いなかったよ?

 

興味のないものは見えない。

視界に入っているのに見えない。

 

オトナになって視野がずいぶん広くなったと自負していたんだが、まだまだだな。

 

 

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