歩くの効能と弊害

 

「書く」ことがものごとを整理すると言う意味でわたしの暮らしにとっては大変重要な要素なのだが、同じくらい重要な要素が「歩く」。

 

厳密には「歩く」でなくてもたぶんいい。「何も考えずに体を動かす」ことがそれにあたるのかもしれない。

特に運動が好きなわけじゃないので自動的に「歩く」になるわけだが。

 

歩いていると、日々の暮らしのなかで散らかしっぱなしにしている気になったことや考えたもの、新たに見知ったものや解決すべき事柄などが次々と脳内に展開されて、ある程度ぼんやりと形を持ってくる。

そしてそれをアウトプット=書くことで、自分の中で一応の整頓を見るわけだ。

 

しかしこれが近頃全くできていない。

「歩く」に関しては結構出来ている。

というか、仕事で体を動かさなくなったので、時間ができると積極的に歩くようにしている。

単純に「歩く」だけ見れば、今の仕事になってからのほうが歩いているかもしれない。

 

だが「書く」までに至らない。

至らない要因はたくさんある。

 

まず単純に時間がない。

以前はせいぜい週3日、職場によっては1日2時間とかしか働いていなかったがここ最近は4日か5日が定番になっている。1日5時間とはいえ少なくない時間だ。

 

さらにデスクワークになって運動不足の自覚があるため「積極的に歩くようにしていること自体」も時間を奪っている。

 

食事の時間や量もてんでいい加減なので、変な時間にドカ食いして何時間も寝る。当然これで多くの時間を失う。

 

そしてこれはこれ自体は喜ばしいことだが、最近はむぺむの自宅滞在時間が安定して比較的長くなってきている。

相変わらず激務なのに変わりはないが、朝一緒に散歩で歩いたり、昼どこかの店で落ち合って食事したり、夜遅くにお迎えに行ったりもする。

当然家に一緒にいるときは、パソコンなんて触らない。

 

というわけで、全然書けていないのだ。

 

では書けていないことでモヤモヤが増幅して散らかりも加速してつらいかってーと、案外とそうでもない。

 

歩くことはできているので、脳内のあらゆる事柄はある程度「塊」になってくれる。

たとえて言えば無秩序に散らかっている不愉快な状態を、片づけるとまでは行かないけど、カテゴリごとにざっくり分けてまとめてとりあえず積んでおく程度にはなる。

これでひとまず「足の踏み場は確保される」感じ。

 

ほどよく疲れるとドカ食いして、寝る。

するとどうなるか。

ハイおなじみですね、わたしは寝ると忘れます。

何も解決していないのに、部屋はスッキリサッパリ、積んどいたモノも全部なくなってしまう。

 

なので精神衛生上は平和で幸福だが

 

「中身確認しないで全部捨てちゃった」

 

みたいな気持ちには、常に常になっている。

 

 

ある意味「悩みがないのが悩み」みたいな状態だが、平穏で幸せであることは確かだ。

 

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