言葉のニュアンスというのは実に面白いもので、発し手によっても受け手によっても印象が変わってくる。
凡非凡なんてのはその最たるもんだ。
今回の話を語る前にぜひこちらの記事に目を通していただきたく。
「凡人」と言われるとなんかちょっと「つまんない人」って言われてるようだし、「非凡」ならいいかってーとそれも「あなたって変わってるよね」とか「あの人ちょっとオカシイから」って言われると微妙な気持ちになることもある。
まぁ、後者のほうはどちらかというと「いまどきは」誉め言葉に取れるのかなと個人的には思うけど。
普通じゃない=平凡でない=特別感があるってんで、むしろそう言われることを喜ぶ人も多いんじゃないかと思う。
上載の記事でも触れてるが、わたしは超が付く凡人。平凡。
だがはむぺむは非凡の代表みたいな人だ。
「はむぺむって普通の人だよね」って言われてるの見たことないし、20年以上一緒にいるわたしから見ても「平凡だな」「凡人だよな」って思える部分がまるでない。
平凡が悪いわけでも非凡が偉いわけでもない。
ただ「世間一般の水準と比較して」あきらかにちょっとオカシイのだ。
当人はと言えば「俺は普通だ」。
いや普通じゃないよ、といえば「何をもって普通と言うのか」。
世間の水準を常識ラインとして、そこを大きく逸脱している人を変だというのだと言えば「そんな平均値データあるなら出せ、俺は俺以上に普通で平凡な人を見たことがない」。
…うん、まぁ、そうなるわな。
自分じゃ自分を1ミリもおかしいと思ってないんだもんな。自分が基準なんだもんな。
はむぺむの会社の社長さんもたいがいオカシイ人なのだが、その社長がとある取引先の人に
「はむぺむはオカシイから(一緒に仕事してて)大変でしょ」
みたいな話をしたそうな。
それを社長から聞いてはむぺむが憤慨した、というのが今回の話の発端。
先方はさすがにそれに同意こそしなかったそうだが、そういう表現をする社長の話を聞いてわたしは「愛情」を感じた。
そういう軽口に近いことを言えるのって、身内感ならではだし、はむぺむの「オカシイ」部分を社長自らが愛してるから出る台詞なんだろうと思うからさ。
でもはむぺむはまるで納得いかない顔で怒り心頭。
「俺はどこもおかしくない。いたって普通だ。そんなふうに言われるのは心外。むしろオカシイのは社長のほうだ」
いや、うん、わたしから見りゃどっちもオカシイさね。
その凡非凡の話、われわれが自宅で飯がてらネットの動画を見ていた時に出た。
そんときに見ていた動画は路上パフォーマンスで超絶ドラムテクを叩くというもの。
なんでこんなの見てるのか忘れたが、わたしに言わせりゃこの時点でもうなんかオカシイ。
まぁそれはそれとして、凄いなぁと見とれていたら、次に彼はチンドン屋が見たいとリクエストしてきた。
「そういうとこだよオカシイの。どういう思考回路でチンドン屋見たいってなるわけ」
「打楽器じゃん。路上パフォーマンスだし。むしろ普通の流れだろ。摺り鉦とか聞きたくなるじゃん」
「なに摺り鉦って」
「摺り鉦ってのは(どんぶりの中に箸を入れてカンカン鳴らしながら)こうやって丸い鉦の中を押したり引いたr」
「(食い気味)だからそういうとこだよ!」
単純に知識が豊富だからオカシイってわけではもちろんなく、そのリンクの仕方がなんかオカシイんだよな。
それでも俺はどこもおかしくなんかない、普通だと言い張るので
「いままで出会ってきた触れ合ってきたいっぱいの人たちを思い出してみ?みんな君のことどう言ってた?あなたって平凡だね、普通だよねって一部でも一瞬でも一度でも言われたことある?」
「ない」
「じゃあそれが答えだよね。大勢の人が君を平均でない、水準でないと思ってるってことは君は普通ではないってことだ」
「いや、それはそう言ってるみんなのほうがオカシイからだ」
多数決って言葉知らんのかおのれは。
「多かれ少なかれ人はみんなどっかオカシイもんだ」
「それには同意するよ。その振れ幅の大きさによって人が人に与える印象ってのは変わるもんなんだよ」
「要はどんだけブレてるかってこと?」
「そうそう!」
「そうか、ならちょっとだけ納得した。
俺はブレることにブレないのが座右の銘だしな」
…うん、そうなんだけど、なんかちょっと釈然としない。
伝わってんのかホントに?
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