たまの休日にどこか行きたいところある?と訊ねられても、なかなか行きたい場所が見つからない。
なんかこう、とにかく激務のはむぺむと長年連れ添ってくると、休みらしい休みなんてない暮らしに慣れちゃったし、たまの休みは文字通り休まないとヤバイし、どこ行っても基本はむぺむは酒飲むし、人混みも苦手だし…
ぱっと出るだけでも上記のように結構な理由が上がるが、かといってもともと出かけるのが嫌いというわけでもなかった。
単に慣れと、めんどくさい・大変>楽しい・幸せという構図になっているだけ。
それになんといっても、別にどこも行かないでもじゅうぶん楽しいし。
おうちで一緒に過ごすだけで幸せだし。
それでもはむぺむは気を使ってくれる。嫁孝行に余念がない。
先日は、はむぺむだけなら120%行かないだろうなって感じの昔懐かしいすてきな喫茶店に連れて行ってくれた。
ああもう昭和な感じ!大好きこういうの。何時間だって居たい。
コーヒー1杯がラーメンくらいの値段するやつね。
わたしにとっては大変幸せな時間だったが、はむぺむにとっては酒を飲めるでもなし退屈な時間だったろう。
気を使ってもらえるのは嬉しいけど、どちらか片方が我慢するという構図はよろしくないよな。
もちろんいうまでもなくふたりとも楽しめれば最高だが、どうせどっちかが少なからず我慢するなら精神的に自分が我慢してるほうがマシ。
というか、わたしは基本なんだってどんな状況だってだいたい楽しめる。
めいっぱいよく言えば「適応能力が高い」からさ。
んでまあ、そうやって気を使ってくれてるのがわかるから、お礼も兼ねてこんな台詞を言ってみた。
「君と一緒ならどこだって楽しいよ」
「俺もだよ」みたいなリアクションが返ってくるかと思いきや。
「そんなん大嘘だ。フィリピンパブ二度と行かないって言ってたじゃん」
…あー、うん。
そりゃまあ、冷静に考えればそうだよな。
はむぺむがホストクラブについてきて楽しめるわけないし(まあこれは条件次第では楽しめるかもしれんが)、わたしが風俗に付き添って行って楽しめるハズないもんな。
これはあくまで極端すぎる例ではあるが、24時間すべてを共有したいと思っていても、一個人同士だとなかなかどうして難しい。
そんな中で、少しの譲歩を繰り返しながら互いに歩み寄って、互いの好きなものを好きになれれば、もっともっと一緒にいる時間が楽しくなるものなんだろう。
なんかキレイにまとめた感じだけど、アレだ。
「あなたと一緒ならどこだって楽しい」なんて大嘘やで!という身も蓋もないお話でした。
いいのか?こんなシメで。