遇不遇

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のちょっと続きみたいなお話。


フィリピンパブへ行ってから数日、ちょっとあきらかにわたしの心は乱れていた。
乱れた原因は自分ではよくわかっている。
疲労や嫉妬の類ではなく、ズバリ「劣等感」。


あったりまえだが女性として劣等感を抱くわけではもちろんない。
若くてキレイという事項に嫉妬したって詮ないことだ。そんなもんは誰だって歳を重ねれば失われていくし、そもそも持ち合わせていないし興味もたいしてない。
そうじゃなくて、中身。人間としてどうなのって話。
あーなんかめんどくさい人でスミマセン。


ほぼ同い年のフィリピン人女性が担当についてくれて少しお話をした。
日本での暮らしも長いようで日本語もコミュニケーションに支障がない程度にはペラペラだ。あまつさえ冗談すら飛ばせるレベル。

彼女はお国に子供がいると話した。年を聞くとハタチ越え。
同い年で孫がいるような人もいるのでそれ自体は別段驚くことでもないが、彼女はそのときに「わたしパーだったからね」と当時の自分を笑顔で評した。
意外かもしれないがわたしにはこの言葉がダメージになった。


こういう言い方はちょっと失礼になるかもしれないが、昔の自分を回想して「あの時自分は若かった」と言う人は多いが「過去の自分はバカだった」と言える人は案外少ない。
それは過去の過ちを認める事であり、過去の自分を否定することになるから。

そして過去の自分はバカだった、と言える人は、つまり成長しているのだ。
なにがしか反省して、それを取り戻すために努力をしている人だ。だからこそ過去の自分を否定できるのだ。


彼女は「もう国には帰りたくない」と語った。
今の暮らしが彼女にとって幸せなのかどうかは彼女にしかわからないし、それを訊ねたところで本心から答えてくれるとは思えない。
ただ、日本での暮らしは国のそれよりも豊かで、それを知ってしまった今、そこで暮らしていくために相応の努力や我慢をしている最中なんだな、ということだけはわかった。
言葉然り、文化然り、小さな事なら言えばきりがないだろう。


さて引き比べてわたしはといえば。


たまたま豊かな国に生まれ、たまたまはむぺむに出会い幸運なことに愛されて、たいした努力や我慢を強いられることなくぬくぬくと生きている。
蓋を開ければ英語でのコミュニケーションすら満足に取れない有様だ、大学まで行かせてもらって学問の時間も十二分に与えてもらっていたにもかかわらず。
異国へひとり放り出されたらたちまちホームシックで毎日故郷へ帰りたいと泣くのが関の山だろう。


人はまったく平等ではない。
正確には生まれた時に与えられる環境は平等ではない。
そしてそこから努力することで平等に近づけることができると言ったのは一万円札の中の人だったっけか。


苦労も知り尽くし努力と我慢の真っ最中の彼女らに、なんにも考えないでぬくぬく暮らしてしかも愛する人に「マイライフマイワイフ」と言われていい気になっているバカ女はどんなふうに映ったろうか。
わたしは一瞬のとてつもない優越感ののち、それを感じた自分が猛烈に恥ずかしくなった。


そこまで深刻に悩むこともアホらしいとわかっちゃいるが、ヒトの遇不遇についてしみじみと改めて考えさせられた夜になった。


今月で5人のピーナが帰り、新たに5人のピーナがやってくるそうだ。
彼女たちが何を考えてどう生きていくのか、にはものすごく興味があるが、それは「客として」フィリピンパブに行っても聞けることは永久にないんだろうな。


街に外国人は溢れ、どこへ行っても国際的って言葉が時代遅れに聞こえるほど国際化は静かに進んでいるけれど、ほんとうの意味での国際交流って実はまだまだはるか遠くにある、気がするのは、わたしが心の鎖国をしているせいなのかもね。

 

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