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身内の恥は自分の恥

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他人の批評をするとはむぺむに怒られる。

他人は他人、自分は自分なのだから、エラそうに人の悪口を言うもんじゃないよ、と。

そういうところ、ほんとに人格者だと思うし尊敬する。

 

だけど、それはそれとして他人を値踏みすることはやめられない。

すさまじい悪癖とわかってはいるが、しようと思ってするもんでもないし性癖なのでしょうがない。

もちろんそのうえで、他人の前ではそういった発言はしないように心掛けている。

つかこの言い方ものすっご腹黒いな。

 

 

はむぺむの以前の上司、現在の上司、そして現在のわたしの上司にあたる3名の殿方がいる。

どの方も直接お会いしてお話ししたことがあるが、それぞれに欠点を補って余りある魅力をお持ちの、バリバリ仕事も出来る系の殿方だ。

社会的に見てもそれなりの地位にいると言える。

 

その3名の奥様にもお会いしたことがある。

以前の上司の奥様はわたしよりも少しく年上だったが、あとのふたりはだいぶ年若い。

親しくお付き合いさせていただいたのはその年上の奥様のみで、あとはご挨拶程度の面識だが。

 

なんかどうも、イメージが重なる。言うまでもないがあまりいいイメージではない。

そして正直、それらの奥様とお会いしてからその3名自体を見る目も変わってしまったことは否めない。

 

わたしにとって伴侶は当人をはかる重要な材料。

どんなに当人が努力をして魅力的であっても、伴侶が尊敬に値しない方だと評価はガタ落ちにならざるを得ない。

 

そして当然、自分自身にもそれは当てはまる。

 

 

話は一万光年くらい飛ぶのだが、わたしはもともと育ちが悪い。

けして貶めるつもりで書くわけではないが、父母ともに学もなく金もない、一般に引き比べればお世辞にも裕福とは言えない家で育った。

父母とも学歴は中卒。父に至っては中学を卒業したのかどうかも定かでない。

 

 

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学こそないが幸い父母は善良ではあった。

常識や道徳にはずれたことを教えられることはなかったし、人生への憎悪を子供にぶつけてくるようなこともなかった。

ただし、それはおおいに宗教のおかげである。

 

ここでは本筋に直接関係はしないので詳しく語ることは控えるが、必要な情報ではあるので最低限度触れておく。

先に断っておくがわたしは

「過去に熱心に宗教をしていた」

「現在はいっさいしていない」

「しかしながらその宗教を攻撃するスタンスではない」

ことをご承知の上読み進めて頂けるとありがたい*1

 

父母は出会った時にはすでに同じ宗教を信仰していた。というよりおそらくは宗教を通じて出会ったのだろう。

生まれた子供にも自然とその信仰は降り注ぎ、わたしも例外なく信仰の薫陶を受けてスクスクと育った。

 

わたしは自分で言うのもなんだがなかなかに出来のいい子供で、それ自体を父母は宗教のおかげと思っている節もあったし、わたし自身もその能力を余すところなく宗教へ捧げるつもりでいた。

それこそがわたしがこの世に生を受けた使命なのだと、まったく大げさでなくそう思っていた。

 

 

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自分が「出来がいい」と自覚したのがいくつくらいだったかは思い出せないが、自分を誉められることは父母を、もっと言えば宗教そのものを誉められている、という感覚があった。

いささか極端な表現になるが、「宗教という看板を背負っている」からこそ、無様な姿はさらせない、と子供心に思っていたとでも言おうか。

自負と自覚と責任感がわたしを育てた、ことは間違いない。

その宗教をやってるくせになんでそんなことも出来ないの?みたいに言われることをとても不名誉に思っていたから。

 

 

時が経ちわたしはその宗教から離れることになるが、自身がそうやって「人から見える何かを背負っている自分の姿を気にして」生きてきたため、他人を見る時にもおなじように本人の背中に背負っているものを見る癖がついた。

それが宗教だったり伴侶だったり家族だったりするわけだ。

 

 

多くの場合、家族を見ればその人がわかる。

もちろん全部がそうではないし、大変な努力でもって良くも悪くも自分へと連綿と続く血の鎖を断ち切って生きている人も少なくはなかろう。

何と言ってもわたし自身がそうだからさ。

それでも、伴侶を、親を、子供を見ればその人がどんな人なのか相当高い確率で掴むことはできてしまう。

 

善良だけど学のない父母と、口の悪い親戚ども。冠婚葬祭で集まるたびにうんざりした気持ちで過ごしてきた。

ちなみに双方の親族で大学へ進学したのはわたしが初めてであった。その後現在も大学進学者は出ていない。

 

 

学歴がすべてだと言うつもりは毛頭ない。勉強だけできたってド阿呆は山ほどいるし、それが直接人間性に関係するものでもない。

だが、少なくとも他人をはかるにあたって有効な物差しであることは確かだ。

勉強ができる=人の話を聞けて、理解できる。

たったこれだけでもまったく知らない他人を値踏みするためには必要な情報だ。

学歴社会というのは至極頷けるシステムであろう。

 

 

前出の奥様3名。

実際のところは知らないが学があるように見えない。

他人とのコミュニケーションがじょうずなようにも見受けられない。

それでいて文句だけは一丁前。

ご主人がそれなりの地位のせいなのか、どこかしら上から目線な口のきき方も癇に障る。

どこをとっても尊敬に値しなかった。

 

だからって悪しざまに言うつもりもないし、他人の姿は自分の鏡、それを見て自分の身の振り方の反面教師にすればいいだけの話、なのだが。

 

 

わたしは時々、はむぺむの伴侶である自分に疑問を持つ。

はたしてわたしはここにいていいのか。彼の伴侶を名乗るだけの価値と権利が自分にあるのか。

 

行き届かないダメ嫁の自分をほんとうに申し訳なく思うし、それに足るように常に背伸びをして緊張している自分に違和感を覚えることも少なくない。

 

わたしは熱心に宗教を続け、裕福ではない、賢くもないけど、善良さだけは誰にも負けないような男と結婚して、日々を生活に追いまくられて生きるべきだったのではないか。

それこそが、本来のわたしの姿だったのではないかと。

 

 

たらればを話せばキリはない。

現在の自分に満足しているしそれを与えてくれているはむぺむに感謝しているが、「棲む場所を間違えている感じ」は結婚からこっちずっと心の奥底に潜んでいる。

 

それでも選んだ道は間違いでなかったと自分に胸を張るためにも、選んだはむぺむを失望させないためにも、わたしは他人と会った時に「さすがはむぺむの奥さんだね」と言われる努力は怠りなくしていきたい。

そのためのずば抜けた社交能力なのだとさえ、最近は思うのさ。

 

 

あー、うん、家に来られたら一発アウトだけどね!ダメ嫁認定!*2

 

 

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*1:このへんのくわしいお話は別サイトでもう少し掘り下げて書いているので、お好きな方はお運びください

ameblo.jp

*2:家事嫌いなんだよ…

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