きょうのお話ちと綺麗でないモノが含まれるので、食事中の方や苦手な方はご注意を。
よく「生活のレベルは上げると戻れない」というが、これ実感としておおいにわかる。
いちおう親の名誉のために言っておくと、貧しい思いをさせられたことはない。
腹をすかして泣くようなことは一度だってなかったし、服も靴も持ち物も人並み以上に買い与えてもらえた。
なにより大学まで出してもらってんだ、感謝の言葉もない。
が、住処に関してはなかなかすさまじいものがあった。
中学校の敷地内にあった宿直室がわたしの生まれ育った家だが、3畳と8畳の二間続きの部屋が居住空間のすべてだった。
プライベートなんてあればこそ。
3畳間にテーブルを置いて家族4人が囲むと足の踏み場もない。
8畳間に布団を4組敷いて寝る。
テレビは小さいのが8畳間の奥にひとつ。食事中になんて到底見れない。
冷暖房?ナニソレ。
台所は土間。
靴を履いて料理をするわけだ。おふくろ大変だったろうな。
トイレは集団トイレ、水洗なはずはない。
風呂は薪。いずれも靴を履いて玄関前を通って行く。
学校施設(体育館など)を利用する人がカギを借りに来たりするので(親父が用務員だった)、バスタオル姿で知らない人に遭遇することもあった。
なにぶん古い建物だったのでGはもちろん、ネズミも常駐。
蛇すら室内に侵入してきたことがある。
もうなんというか、ひとくちに言うと無秩序。
それでも人はそんな環境で生まれ育つと、べつにそれを不満に思わないし悲嘆にくれることもない。
慣れるのだ。
そんな家だがわたしは大好きだったし、家族4人笑顔があった。幸せだった。
小5のときにそこを追い出され、一家で比較的近くのボロ長屋へ移り住む。
ボロではあったがしっかり「家」の体裁をしている新居を、わたしはどうも好きになれなかった。
トイレも風呂も台所も、靴を履かないで行ける。夕方になると薪を割ることもない。
何より部屋がちゃんと仕切られてて、部屋になっている。
でもわたしにとってはそれらすべてが異質で、結局就職してそこを離れるまで、窮屈で暗い印象が払拭できなかった。
ただ、人間らしい生活という意味ではたぶん圧倒的に長屋のほうが住みやすかったんだろうと今なら思える。
長々と昔住んでいた家について書いてきたが、生活レベルの話に戻ろう。
いまはおかげさまで人間らしい家で暮らさせてもらって久しいが、わけてもっとも「昔に戻りたくない」部分は、トイレ。
大学卒業まで住んでいたその家のトイレも、やはり水洗ではなかった。
いわゆるボットンってやつ。
仮に今後劣悪な環境になってもわたしは幼い頃の免疫があるので余裕だと言えるが、トイレだけはできれば水洗であってほしいと切に願う。
つまりその部分が「上げてしまった生活レベルを落とせない」のだ。
よく「江戸時代はよかったな」とか「中世ヨーロッパに憧れる」とか言うが、正気かと思う。
排泄物を溜めて買いに来た業者に売ったり、再利用の思想がなかったヨーロッパなんかは部屋の窓から捨てたりしてたらしい。
匂いを想像するだけでとても暮らせない。
言うまでもなく冷蔵庫に洗濯機、掃除機だって炊飯器だってもはやなければ暮らすのは難しい。
食材を腐らせない方法なんて知らないし、米だって満足に炊けやしない。
生活レベルが落とせないってのはそういうことなのだろう。
どんな家に住もうが、住めば都、人は環境に順応する能力を持っている。
が、生活に直結する多くのモノにおいて、便利さを知ると不便には戻りたくなくなる。
そうこうしているうちに不便なころに持っていたスキルも失われていき、「戻りたくない」ではなく「戻れなく」なるのだ。
それがいいことか悪いことかわからないが、それらがいっさいない生活を想像してみると、いまあるすべてがありがたく思える。