これのつづき。
1年越しの旅行記ってどんだけわたしの時間軸ゆっくりなんだ。
もはや記憶も薄れてきちゃってるけど自分のためだけの駆け足備忘録いってみよー。
大阪城散歩から戻って母と一緒にホテルの朝食バイキング。
実はけっこう楽しみだった。
なんかね、お豆腐がウリみたいでさ。
お豆腐と湯葉はできたてのやつをすくうスタイルで、結構楽しかった。
いわゆるホテルの朝ごはん、うん、普通においしかったし幸せだった。
この日の予定は道頓堀をまわってあとは帰るだけなのでノコノコ支度して宿をあとにする。
電車で道頓堀を目指す。どこの駅で降りたのかもう忘れちゃった。
とりあえずかにに出会う。
大阪の御堂筋とかって単純に地名だと思ってたんだけど、この「なんとか筋」ってのはいわゆる「なんとか通り」とかみたいなニュアンスなんだって、大阪に来てはじめて知った。
もうちょっと厳密に言うと、その昔大阪あたりでは東西に走る主要の道を「通り」、それに交差するように南北に敷かれた道を「筋」と呼んだそうな。
関東圏から出て暮らしたことがなかったので、この「筋」というのにホントなじみがなくて、面白いなーって思ったよ。
これがいわゆる道頓堀川、なわけね。
所せましとお店が並んでいて、休日や夜はさぞ賑わうんだろうなあ。
そうそうコレコレ。
グリコは撮っとかないとね。
このネオンサインがあるのは戎橋って名前。てっきりこれが道頓堀橋かと思ってたんだけど。
こちらが道頓堀橋らしい。
この橋の上で、なにやら川にものを下ろしてやってる若者の集団がいて、なにやってんのか気になって尋ねたら「水質調査をしている」と学生さんらしき人が答えてくれた。
宗右衛門町に母が反応していてちょっとビックリ。
「あ、藤田まことの」みたいに言ってて、何を言ってるのかそのときは全然わからなかった。
「宗右衛門町ブルース」という曲を、彼女の記憶の中では藤田まことが歌っていたようだが、元曲は平和勝次とダークホースという人たちが72年ごろに歌った大ヒット曲、だった。いま調べた。
そういやおやじもおふくろもはぐれ刑事、っていうか藤田まことがか、好きだったもんなあ。
場所や地名ってのはそれぞれの持ってるイメージと勝手にリンクされるから、自分の持ってる印象と異なるものだったり、想像もできないものだったりが飛び出してくるとものすごく面白いなと思う。
ある意味、そういう瞬間こそが「人と旅行をして楽しいと思える」瞬間なのかも。
ひとりだと連想すらできず、知ることもないもんな。
関東におけるカールの販売終了に衝撃を受けたのは記憶に新しい。
かくいうわたしもちょっとしけたチーズ味をコーラで流し込むのが大好きだった。
いまでは関東ではお目にかかれない。
まあ、通販で買えるけどさ。
今回の旅行で母はカールを頼まれていたようで、6袋くらい買っていた。
かさばるなあ。
くいだおれ人形にも会ってきた。
想像してたより小さくて、なんか意外とひっそりと佇んでいた。
そしてわたしの頭んなかではなぜかくいしんぼう仮面とごっちゃになってるんだよね。
【美技】大阪のプロレス くいしんぼう仮面のフランケンシュタイナー
川沿いを脱出して商店街の中を歩くと、どこかで見たような看板に出会った。
あ、この店新宿で行った。
このとき食ったやつ。
商店街は慣れないせいかものすごい広い。どこまでも続くアーケード。
だいぶ歩き回ってお疲れの母が休憩を所望。
手近な喫茶店に飛び込む。
店出てからビックリしたが丸福珈琲店って超有名店だった。
そういえばせっかく大阪来たのにまだたこ焼き食ってないわ。
もうお帰りの時間も迫っていたが食わずにゃ帰れん。
道端の露店でたこ焼きを贖い、道のはじっこで立ち食い。
これが熱っちーのなんのってもう。
うん、うまかったよ。
はふはふしながらたこ焼きをかっこんで新大阪駅へと向かい、新幹線の時間までお土産探しに勤しみました。
この日は朝の大阪城と合わせて実に2万5千歩くらい歩きました。
距離に換算すると18キロ!もはや散歩って距離じゃないね。
歩数を距離に換算するざっくりとした式はこちらを参考にしました
だらしねえことに帰路足がくがくでした。
これにて大阪1年越しの大阪記ようやく終了。
あ、そのうちおみや編もやるかもしれません。
***