自分自身はとても幸運なことに、大好きな人と幸せな結婚をして、いまなおそれは同じかそれ以上の幸福度で継続している。
だから現行の結婚制度についてこれといって思うこともないし、疑問にも不満にも思うことはなかった。
だけどなんか、世の中の離婚率のあまりの高さに時々、ほんとに時々、嫌悪感と違和感を同時に持つことがある。
うちの親の話をしよう。
見合いで出会って1年くらいなんやかやあって入籍、出産となった両親。
7歳差のお互い晩婚。母はなんとなく縁がなく当時では行き遅れと言える年齢まで独身だった。
最近聞いて驚いたんだが、若い頃に2度ほど見合いをしていずれも断っているそうな。
なぜ断ったのか訊ねたら「建築系の人だったから」。
偏見とかももちろんだけど、なんか怖いというのがそのいちばんの理由だったそうな。
父は故郷を離れて流れ者として相当わがまま気ままに暮らしてきた。
我慢や忍耐などとは無縁の、今で言うと「定職につけないタイプ」。
老後に長いこと引きこもりをやっていたのを見ても、性質的にはかなり時代を先取りしたタイプ?と言えなくもない。
だが兄が生まれて観念したらしく固い仕事を探して夫婦で居心地のいい山(箱根)を下った。
1年弱のお付き合い期間があったとはいえ、ゾッコン惚れ合って連れ添ったのでもなし、結婚はそもそも他人同士、そうそう順風満帆にいくはずもなく。
わたしが子供の時分には頻繁に夫婦げんかもしていたし、何より昭和気質で亭主関白の父がとても横暴に見えた。
中学生くらいになると、暴力こそ振るわないが年中ワガママ放題の王様父に、ひたすら母が耐え忍ぶ姿が見るに堪えずに数度離婚を勧めたことがある。
当時は離婚はそんなに数の多いものではなかった。
いまなお残る「妻は忍ぶもの、結婚は耐えるもの」こそ美徳みたいな意識があり、離婚となると実際の理由はどうあれ双方の放埓や我慢不足などといった色眼鏡で見られてしまっていた。
まだ思慮浅い幼いわたしは「それでも、好きでもない人のために我慢ばかりして自分の人生を棒に振るなんて!」みたいなことを考えて、母に離婚を勧めた。
母はそれを諦観の表情で笑って聞き流していた。
今ならその時の母の気持ちが少しわかる。
少し前に「契約結婚」という言葉が流行ったようだ。
詳しくは不勉強でよく知らないのだが、ドラマ「逃げ恥」かなんかで一躍注目を浴びたようだ。
そもそも結婚という制度は契約だと認識している。
婚姻届という紙で契約を締結し、離婚届という紙で契約を解消できる。
うちは恋愛の末の結婚だが、はむぺむは結婚時に婚姻届と離婚届の2通を用意した。
いつ行使しても自由ですよ、もちろん行使する機会は一生ないに越したことはないけど、と。
両方にふたりでサインをし、離婚届はいまなお我が家に眠っている。
制度はあくまで契約だけど、実際の結婚は生活だ。
義務と権利を振りかざしてうまくいくもんでもないし、罪と罰を制定したからって割り切れるもんでもない。
人間がそもそも感情を持った生き物である以上、契約って言葉で生活が整頓されるようになるにはまだまだまだまだだいぶ長い時間が必要だと思う。
長く一緒にいれば情が湧いて、許せなかったことが許せるようになる。わからなかったことがわかるようになる。
逆に、大好きだった部分を嫌いになることもあるだろうし、どうしても堪えがたい性質に気づいてしまうこともあるだろう。
つまり結婚とは前提として超長期間契約で、かつ、条件等は時間が経つにつれて非常に大きく変質する可能性のある契約なのだ。
一般的事務的なお仕事契約とはわけが違う。
そして何より、人生で最大の契約と言ってもいいだろう。
契約には細心の注意と、最大限の情熱と、限界ギリギリまでの忍耐を伴う覚悟が必要。
離婚する人を責めるつもりはない。
実際に経験した人の話を聞けば、離婚自体非常にエネルギーを使うものだとよくわかる。
そこまで疲弊してもなお、離婚と言う選択肢を選ぶからには相応の堪えがたい事情があったのだろう、たぶん。
だけど、それは結婚時にそこまで真剣に深刻に結婚という契約について検討しなかった結果とも言える。
厳しいようだが、締結した契約を理由はどうあれ何度も反故にしている人を信用しろと言われても難しい。
なぜはじめから守れもしない契約を軽々しく結ぶのかと敬遠されても仕方ないだろう。
なんていうか、結婚、離婚それぞれの必要案件とか制度と、実際の人間の感情部分との乖離が大きいっていうか。
気持ちの部分が制度や法律についていけないっていうか。
まわりにあふれる複数回の離婚経験者や再々婚しましたみたいな話を聞いて、なんかどっか釈然としない、不愉快と言ってもいいくらいの感情を自分で持て余してるのが正直なところ。
離婚する人を責めるつもりはない。
責めたくもないし、むしろもっと自由であるべきだとさえ思う。
いっぽうで、どうにも割り切れない苦い感情を発生させている自分がとても不可解で不愉快だ。
なぜもう少し我慢できなかったのか、調整できなかったのか、離婚するくらいならそもそも結婚すんなよ、みたいな、メチャクチャうざい余計なお世話の思考。
常識とか道徳とか法律とかに思想自体が毒されている自分がとても嫌だ。
社会が変わり、人間も変わって行く。
子供が減り、性的な境界線も曖昧になり、人は人と関わることがどんどん上手でなくなっていく。
結婚という制度はこの先100年後、500年後、1000年後にはどうなっているだろうか。
大変興味深い。
そんな先の未来を可能ならこの目で見てみたい。
500年後も生きていたい。
それは、はむぺむと一緒なら、って条件付きだけど。
そんな風に思えるはむぺむと連れ添えている現状を、毎度改めて幸せに思うわけです。
…あー、うん、ノロケなシメでごめんね?