名刺を持つ理由

 

相変わらず書きたいことが大渋滞してるし順番も前後しまくりなのだが今日は名刺の話。

 

正社員だった20代のわずか1年間を除いて名刺など必要のない暮らしをしているわけだが、実は以前一瞬だけ持っていたことはある。

このころは立ち位置的にはフリーランスみたいなもんだったため必要に迫られ、印刷屋で50枚だけ刷ってもらった。15年くらい前の話になるか。

実際に使ったのはたぶん3~4回がいいところだ。

 

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今回は、自作。

現在印刷屋に勤めているのもあって、自分でやってみたくなって、紙を買って、デザインを考えて、刷った。

とはいっても10枚程度。パート以外はほぼ引きこもりのわたしに使う用事なんてあるわけない。

 

 

なのになぜそんなことをすることになったのか。

 

 

わたしは、人とのつながりを大事にする性質だ。

なんていうと聞こえはいいが、なんかこう、せっかく出会って縁を持てたのに、それっきりになっちゃうのって、もったいなくない?

という思考回路の持ち主だ。

 

実際、たとえば時間が経てば付き合いも記憶も薄れていき、一瞬袖が触れ合った人たちのほとんどは、その後は思い出の影のひとつになっていく、ことはわかっている。

わかってはいるんだが、そしてそれに執着して無理矢理つながりを持とうとする、わけでもけしてないんだが。

 

人生は短いようで案外長く、道中だれも想像もできないような出来事が起きたりもするわけで。

人との関わり、人との繋がりはひとつでも多く持っておいて損はない。

 

それが直接的に役に立つであろう商売などをする予定は当然この先もないわけだが、そして損得で人とのつながりを維持しようとしたいわけでもないんだが。

 

それでもなんか、いつか、いざ、誰にも頼れない、誰にも話せない、どうしたらいいかわからない、どうでもいい話がしたい、でもいい、なんかの拍子にふと思い出して、旧交が温められたら、それは嬉しいことじゃない?

 

実際、SNSが流行りだして、別に再会したからって何するでもないんだけど、そうして懐かしいあの人この人と「また連絡が取りあえる状態になった」ことが、わたしは嬉しかった。

そこからつながりを維持できるに至った人もいるにはいるが、ほぼ大部分はそれだけ。

つまり、ほとんどがまた袖触れ合ったあとで別れていってる。そしてそのまま連絡が取れなくなってしまった、人もいる。

この先一生交わることはないだろうと思う人の方が正直圧倒的多数だ。

 

 

それを悲しく思うわけじゃない。

そんなのは当たり前で、わたし自身だって人と会ったり連絡取ったりすることを億劫に感じることも少なくない。

それでも、うまく言えないんだが、思い出した時に「そこにいる」ことがわかると、なんかちょっと安心するかもなって。

 

せっかくこんなサイトをやっているのだから、一瞬出会ったあの人この人のこの先長い人生でふと立ち寄って「あ、この人元気で生きてるんだ」って思ってもらえたらいいかなって。

 

 

というわけで、現在の職場を離れていった数名のお菓子の袋に忍ばせる運びとなった。

 

連絡が欲しいわけじゃない。繋がり続けたいわけじゃない。

でも、わたしはいつでもここにいるよ、と言える場所を持っているのは、とても幸せだ。

 

…アレッ、幸せなのわたしだけじゃん?

 

結局自己満足全開案件ですが、ちょっとした時に差し出せる名刺ってのは、持ってるとなにやら安心するものです。

 

 

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