母はとにかく人がいい。
この場合の「人がいい」はけして誉め言葉ではない。ニュアンス的にはバカに近い。
宗教に熱心で交友関係も広い。広いと言っても近隣で、って意味だけど。
人がいいがゆえに驚くほどいろんなことによく巻き込まれている。
親父が亡くなってからは巻き込まれぶりも拍車がかかっている。
現在高齢者の多く住む県営団地でひとり暮らしの母。
先日夜遅くに隣人の男の人と、警察を名乗る二人の男女が彼女の家を訪れた。
その隣人とは挨拶程度で親しくしている間柄ではなかったそうだが
「身元引受人になってくれないか」
と頼まれたそうな。
聞けば万引きで捕まって、引受人がいなくて釈放できず困っているとのこと。
母は息子くらいの年頃のその隣人をかわいそうに思い、ろくに書面も見ず二つ返事でサインをしたのだとか。
翌日電話でその話を聞いたわたしは思わず「アーホーかー!」とデカい声を出した。
そういうの気をつけろよ、なにか重大な決断を迫られたらとにかく態度を保留してわたしに相談してっていつも口を酸っぱいの通り越して激辛にして言ってんじゃん!
「うん、お金のことはそうしてるけど、こういうのは大丈夫かと思って…」
逐一すべての事象についての対処法を伝授しないとダメか?
あああもうホントにやってくれるわ。
詳しく事情を聞くも、母自体記憶もあいまいなうえに注意力が高いほうでもない。署名した書類の正確な名前もわからない、訪れてきた警察官のこともわからない。
辛抱強く聴取を続けてようやく警察官の片方、女性のほうの名字だけどうにか引き出せた。
警察としては万引程度で拘留を続けるよりは身元引受人にサインをもらってさっさと釈放するほうがいいのだろう。
その場でどの程度詳しい説明が母に対してなされたかはわからないが、とにかくそのサインによってその場の人たちはそれぞれ救われた形にはなったろう。
でも、いくら書類上とはいえ身元引受人ってそんなお気軽に知らない人がなっちゃだめだろ。
通常は身内がやるもんだが、誰もいない場合は地域のえらい人(自治会長とかそういうの)とか、会社の上司とかに頼むって話も聞く。
身元引受人ってのはすごい雑に言うと、逃げたり証拠隠滅したりしないように見張って、ときには出頭するように説得して、真人間に戻すお手伝いをする、みたいなもの。
それを果たさなかったからと言って罰則があるわけじゃないけど(身元引受人自体法律上の明確な取り決めがないらしい)、だからって「誰でもいい」がまかり通ったら身元引受人の存在意義皆無になっちゃう。
お付き合いのある隣人で、家族ぐるみで知り合いでとかだったらそれでもいいよ。
あんまり知らない人でも、いざ何かあったときに対応できる人がいるならまだマシだよ。
だから親父が健在だったらそれでもよかったかもしれない。
もちろん親父が絶対イエスって言わなかったろうけど、それはさておき。
たとえばそうあってほしくはないが、その隣人がまた何か事件を起こして、それを通報して、通報したことが隣人に知られて、逆恨みされて家に押しかけられたらどうするよ。
親父がいたりわたしや兄が同居してりゃまだ対応可能かもだけど、80過ぎの老女ひとり暮らしでそんなの無理ゲー。
かっとなって暴力でも振るわれたら目も当てられん。
そういうあれこれを考慮して、身元引受人は辞退しなされと話すと
「でもなんか、そのあと来た時女の人にやっぱり無理ですって言ったんだけど、もう出しちゃった書類は取り下げられないみたいなこと言われたんだけど」
いやいやそんなハズはない。拒否も辞退も可能なはずだ。
もう母との話ではらちが明かん。直接警察と話そう。
現地まで行きたかったがまだまだ緊急事態宣言下。
部署もなにもわからんが、ひとりだけでも名前は聞き出せたし電話でどうにかしよう。
警察に電話するのはなかなかエネルギーがいるが、かき集めたなけなしの情報を手元に置き総合受付にかける。
いかつい感じの声のおっさんがそれでも丁寧に電話口で対応してくれ、名字だけの女性にたどり着くことができた。
彼女に事情を話すと、すでに母から辞退の申し出を受けてもう別の方にお願いした、との返答。
エッ?
なんかどっかで行き違いがあったようだが、とにかくも辞退はできたようだ。
「では母がサインした書類は破棄された、ということでよろしいですね?」
と念を押すと
「ハイ」。
本当に破棄されたかどうかは正直わからんし、データは抜き出した後かもしれん。
仮にわたしが警察だったら再犯等の可能性も考えてあらゆるデータは取っておきたいもんな。
ってそんな穿った妄想は置いといて、とにかくこれで当該案件に関しては無事関係者ではなくなった。
今回は手間としてたいしたことはなかったが、こんな機会でもなければ身元引受人に関して詳しく知ろうとも思わなかったし、警察にそんな用件で電話をかけるようなこともなかったろう。
ないほうがいいのは言うまでもないが、何事につけ経験はして損はない。
そういう意味では、わたしが生きる上で知り得ない非常に多くの稀有な事柄を母が経験させてくれている、と言えなくもない。
ありがたい、ってことにしておこう。
ああ、これからも巻き込まれまくるんだろうなぁ母。
もういっそ面白がろ。
***
そういやこんな話も。結局どうなったんだっけ。