惚れっぽい性質である。それはもう、子供のころから今に至るまで筋金入り。
目にしたワンシーン、かけてもらった短い一言だけでも実に簡単に恋に落ちる。
ネットの発展した近頃では綴られる文章に恋することも非常に多い。
もちろん、双方向の恋に発展することは残念ながらまずないが。
お相手はといえば老若男女問わず。
と言っても女性も子供もイケルクチなわけでは金輪際ない。あくまでわたくしはどノーマルなのでそこ引かない。
リアルな恋の相手ははむぺむ一匹でじゅうぶんだしね(←どさくさ)。
だからまあ、恋と言うより好意に毛が生えた程度のものだろう。
で、この惚れた気持ちを、いつごろからか隠すことをしなくなった。
好意を先方に伝えることをためらわなくなった。
先方がどう感じるか想像しないわけではないんだけど、伝えたくてしょうがない、伝えずにはいられない、要は我慢できなくなったわけだ。
自身、他人のダイレクトな好意に晒されるのは苦手だ。
悪い気はしない、ような気もするが、度が過ぎると居心地が悪い。
嫌われるよりはいいのかもしれないが、人によっては不快に感じることもあるだろう。
わかっちゃいるんだが、恋、特に片思いというのは一方通行ゆえの気持ちの押し付けになりがちなもの。
こっそり心の中に秘めて盗み見してるうちは害がなくていいが、好意を伝えることをためらわないわたしのようなタイプは、むき出しの好意を胸焼けする量詰めて相手に送っちゃうわけだ。
「せつない片思い」なんてフレーズどこ吹く風。ためらいなんてあればこそ。
相手の迷惑顧みず、好意という名の銃弾を量産しては撃ちまくっているような有様で。
そりゃ一方的片思いばっかりなのも道理だよな。
でも、それでいい。むしろ、それがいい。
わたしは多くの好意を持った人を知りたいしわかりたいけど、わたしのことを本当に知ってわかって愛してくれる人ははむぺむ一人だけでいい。
ものすっごワガママです。
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言葉と恋はわたしにとって切り離せない重要事項
それをもっとも満たしてくれるのははむぺむで、だから友達いないんです
好意が暴走するのは母譲り