人の目を見て話しなさいというのは誰でも子供の頃に言われてきたことだろう。
わたし自身もそういう教育をいつの間にやらしっかり受け、不躾なほど相手の目を見て話す性質を持っていた。
だがどうにも近頃は対人機会が極端に減っているせいもあるが、人の目を見続けることに苦痛というか照れみたいなものを感じるのだよ。
それは他人でも身近な人間でもそう。
自分がそうなると相手がジロジロ自分を見ることにも耐えられなくなる。
なんかこう、自分の中に渦巻くいろんなものは目に映ることがわかってるから見られるのが怖い。
それは別にわたしがオトナになってよこしまになったからってわけではないんだよ(いやちょっとはあるかもしれないな、純粋さを失ったという意味では)。
そもそもだれかと顔つき合わせて目を見て話すというシチュエーションって、どんなことを期待する?
そんなコトいちいち考えて人と話すわけないだろって言われちゃうかもしれないが、わたしは考えちゃうのさ。
つまりなんだ、うまくいえないんだけど何か相手に伝えたいことや伝えるべきことがあるから相手に話す。
よりそれを伝わりやすくするために目を見る、ってな塩梅。
逆に言えば目を見ないことで伝わることってのもあるし、目を見ないことでできる意思表示ってのもあるわけだよ(なんかわかりにくいな)。
もちろんそれは基本的にマイナス要因が多くて、つまり拒否拒絶っつーことだね。
だけどマイナスばかりではなく、そうして目をそらし続ける中でふと合わせる一瞬の視線によってパーンと弾けるように伝わることがまれだけど確かにあって。
わたしはそれがとても好きなのだ。
目は口ほどにものを言うとはよくいったもんで、通りすがりの誰かと目が合った瞬間にその人のいろんなものを感じ取れることがある。
そして相手が視線の合った自分をどう感じたかも(あるいは何も感じなかったかも)わかるんだよね。
それがとても面白くもあり怖くもあるから、他人とは極力目を合わせないようにしている。
観察チックに不躾に見るのは好きなんだけど(←ヤなやつだな)相手が自分の視線に気づいた瞬間に目をそらす。
目と目で通じ合う。
その通りだからこそ通じ合える人は選びたいし、他人には自分を、つまり自分の目をできるだけ見せたくないのさ。
死ぬほどヘビロテした大好きなアルバム。
この記事のタイトルは「Eye to Eye」って曲から取った。
目と目で通じ合うはこの曲のフレーズさね。
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