世の中コロナショックで大変なご時勢のなかわたくしごと全開で恐縮ですが。
いやむしろココ普段からわたくしごとしか書いてないし別に今更断ることでもないか。
先日、無事にお勤め先のファミレスでラストランを迎えました。
今回は次の仕事も既に決まり(このへんのお話はまた改めて書きます、いや需要ないだろうけど自分のために)、勤めた期間もたった7カ月ということでさほどの感慨もなく駆け抜ける…予定だったのですが。
辞める宣言をしてから態度が一変したのは店長のみで、ほかのスタッフたちは変わらず接してくれていました。
おかげで最終日までなんら息苦しいこともなく走って笑って楽しく働き切ることができました。
その最終日。
あと1時間でおしまいかー、なんて思ってる勤務中にスタッフルームに呼ばれノコノコついていくと、なんとその日いたスタッフが全員集合して、みんな笑顔でお疲れ様と言いながら花束をくれました…。
えっ、ちょっ、マジで?何それ?嘘でしょ?やーめーてーーーー
不覚にもちょっと泣きました。仕事中だっつーの!
たった半年ちょい、それも後ろ足で砂かけて逃げるように辞めるわたしなんかに、わざわざお金も時間も割いて花とお菓子とカードと。。。
こんなことしないでよー!知らんふりして送り出してくれればそれで全然よかったのに!うっかり辞めるのやめるって言いたくなっちゃうじゃん!
年のせいか緩くなった涙腺から水滴が零れ落ちそうになりましたが、お客さん入店の音が聞こえて我に返って入口へダッシュしました。
ほんとに正直、まるっきり予想していなかったので大変な衝撃でした。
人影のない草原で座っておにぎり食ってたらいきなり横からドロップキック食らったような感じ。ってたとえがわかりにくいわ。
まあとにかく、そんくらいビックリしたんです。
感激したとか悲しいとかより、ビックリしすぎて涙が出ました、マジで。
総括はまたの機会に譲るとして、もう付き合いの長い方はすでにお気づきと思いますが、私、善意に弱いんです。
悪意は大丈夫なんです。
いや大丈夫っていうか、基本悪意を想定して生きているっていうか、人を見たら泥棒と思えって思って生きてるからさ。
悪意を不愉快に思うのは当然だけど、対応や対処に困ることはさほどない。
というか、わかってさえいれば悪意のほうが扱いは簡単だし。
ところが善意となると、めっぽう弱い。
言うまでもなくうれしいのは嬉しいんだけど、なんつーのかな、なんかもにゃもにゃしちゃうっていうか、身の置き所がなくなっちゃうっていうか。
やめてやめてそんな価値のある人間じゃないのよわたし!むしろ唾して追い出していい種類の生き物だから!お願いだから優しくしないで!
みたいな気持ちになっちゃうっていうか。
自己愛と自己嫌悪の九十九折りで出来ています。
貶されるぶんには「へっへーん、なんとでも言いやがれ、わたしはわたしの生き様に自信もって生きてんだ」って胸を張れるけど、
褒められると「いやいやいやホントダメな人間ですけえ…生きててすんません」ってなっちゃう。
要するにめんどくさい奴です。
はむぺむにその旨報告すると
「みんなに愛されるたるたるは素敵だよ」
わたしはすかさず
「わたしは君にだけ愛されればそれでいい」
もともと超が付く八方美人だったわたしは、彼と出会ってからは常に彼第一、彼唯一の姿勢を現在まで貫いているので、この発言には微塵の嘘もなく。
どれほどよくしてもらう人や職場であっても、わたしの中では唯一無比のはむぺむを瞬間的にすら超えることはあり得ません。
つまりそれほど心のこもった好意や善意を他人に向けることもなく、そうなれば当然自分に対してもそういったものは受けないことを前提として生きています。
要するに、人から善意を向けられることに慣れてないってことだ!
それでも、半年ちょい一緒に働いた仲間からもらった言葉はどれも予想外に嬉しく、わがまま放題自由過ぎるアラフォー女の胸を震わせるには十分すぎました。
ああもうなんか、人ってホント、ちゃんと見てくれてんだな。ちゃんと感じてくれてんだな。
そんな仲間たちに囲まれて駆け抜けたファミレスバイトもこれにて無事終了。
お店の前の桜並木が見事で、この時期まで居られたこと、そしてまさに桜の時期に晴れ晴れと胸を張って卒業できたこと、すべてがなにやらわたしにはドラマチックでした。
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なんかイイ話風にまとめたなと我ながら思ったけど、実はたぶんサプライズに弱いだけかもしれん。つか要約すると鈍(自分で言っててアレなので以下略