なんにも言わない人こそが~お客さんあれこれ

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現在のお勤め先に移ってはや4カ月が経とうとしている。

いい悪いは別にして、もうだいぶ慣れた。

細かいことで不満は言うまでもなくごんまりあるし、それはどこの職場に行っても同じことだと思う。

基本的には楽しく働けている。

 

 

そんな数カ月のお勤めで、先日お客様からお褒めをいただいた。

いや、面と向かって楽しくおしゃべりしているのはある意味茶飯事なのだが、この件ではお客様センターみたいなところに投書があったそうだ。

名指しでこそないが、該当時間の該当案件。

ああ、あのお客か、とすぐに思い当たった。

 

 

自分で言うのもあれだが、わたしは客に褒められるのは慣れている。

というか、こんだけ長年、高校生のころから職種を変えながらだけどかれこれ25年くらい携わってれば、そりゃもうこと接客に関してはアホみたいにいろんなことが身についてる。

どんな体調でもどんなシーンでもニコニコしていられるし、節度のある距離感でもってお客さんに好感を持ってもらうこともそう難しくない。

 

 

んでまあ、そのお褒め投書について、店では大喜びでプリントアウトして貼りだして、これぞ当店イズムです、すばらしい!みたいなコメントをつけていたようなんだけど。

 

 

わたしはそれちょっと、違和感あんだよ。

 

 

いや、そりゃ嬉しいよ。良かれと思ってしたサービスを当事者も喜んでくれて、わざわざ感想を寄せてくれる。

普通に嬉しいしありがたいよ。

 

 

だけど、なんつーのかな。

そういう感想を「特別視」するのが、なんかちょっと「ズレて」感じるんだ。

 

 

どういうことかというと。

 

 

飲食店に行って、なんの問題もトラブルもなく、普通に接客されて普通に飯食って帰れば、特別印象には残らない。

どんなに感じのいい接客に当たっても、どんなに旨い飯を食っても、よっぽどでない限りわざわざ「投書」「投稿」みたいな行動へつながることは正直考えにくい。

もちろん言うまでもなく、ネガ系はほんのささいなことでも声として発信される機会は圧倒的に多いけどね。

 

 

ではわざわざ「お褒めの」声をあげる人ってどんな人か。

ある種「特別な」サービスを受けた人がそれに該当する。

 

 

たとえば乳幼児を連れて来店して、ベビーベッドを貸してもらったとか、

ラーメンをこぼしてドンブリまで割ったけど笑顔で代わりのものを出してくれたとか、

無理な席移動をお願いしたけど対応してもらえたとか、

 

 

トラブル&アクシデント、に対する対応を受けたお客さんが、わざわざ声を上げる、率が高い。

 

 

それ自体は起こりうるものだし、それに対する対応がきちんとできるのは誇らしいことには違いない。

違いないけど、わたしの感覚的には、それは普通の延長線上にしかない。

 

 

声をあげるお客さんは全体の何パーセントか。

ちゃんとした数字は知らんが、せいぜい0.1%くらいじゃないの。

普通にやってきてなんのトラブルもなく普通に帰っていくお客さんのほうが、圧倒的に圧倒的に圧倒的に多いのは当たり前。

そして、普通に帰るお客さんばっかり、なほどいい店だと思うのだ。

 

 

声をあげるお客さんはありがたいし、もちろん迷惑だとも思わない。

そういう層は一定数いるし、いつ自分にそれに該当する出来事が起こらないとも限らないわけで、当然そういうときに神対応はしてもらえるに越したことはないんだが。

 

それでも、圧倒的大多数の声をあげないお客さんたちこそが、お客さんの姿であり、その人たちがなんにも言わずともまた来てくれる、お店でありたい。

 

 

という感覚からすると、先述の投書をことさらに誇らしげに語るのが、なんかちょっと違うなって思ってしまうのだ。

ほんとにわずかな感覚の差だし、こうしてあげつらうほどの違いはないのかもしれないけど。

 

 

 

大昔、マックでバイトをしていたころ、店代表でAJCCという大会に出たことがある。

クルーの技術を競うコンテストで、いまもあるみたい。

わたしはカウンターだったので、お客さんを受けるところを審査員の人が見て採点するわけだ。

 

 

比較的暇な時間帯で、しかもコンテストとあって実際に立ち働くスタッフもいつもよりかなりたくさんいた。

お客を受けているとき以外はやることがない。

ほかのカウンター代表の人は手が空いたすきにモノの補充などをせっせとしていたが、それ担当の人もたくさんいる、どう考えても手が足りまくっている状況下。

今わたしにやるべきことはない、とバカ面でずっとカウンターに立ち尽くしていた。

 

 

上位2人が次の大会に進めるというものだったが、わたしは結果3位だった。

当時の店長がその採点理由を教えてくれた。

「接客ではおまえが1位だったんだけど、手が空いた時の動きでマイナスされたって」

 

 

結果自体はべつに悔しくもなかったが、この理由にはまるで納得がいかず、憤慨さえした。

実際の勤務中には手が足りないのも茶飯事だし、必要なことはやるよ。そんなん当たり前じゃねーか。

だけどあの大会中はどう見ても人も手も余るくらい足りてたじゃんか。

なにかね、審査員へのパフォーマンスとして補充してるフリでもすりゃよかったのかよ?

 

本来「お客さんにとってよい接客、効率の良い仕事」とかの質を高めるためのコンテストじゃないんかい。

だったら十分すぎるほど人足りてんだからいつ客が来ても真っ先に対応できるように突っ立ってるほうが正解じゃないんかい。

アホか、審査員の顔色見てまで勝ち上がりたくねーよバーカ!

 

 

ってなのに、似た感じを抱くわけさ、先述の投書の件も。

 

 

なにかを特別視するあまり、比重のかかり方がおかしくなっちゃうっていうか、本末転倒になるっていうか、ちゃんと見るべき対象がなんなのかわかんなくなっちゃうっていうか。

 

大企業でマニュアルとかがちゃんとしてると、こういう感じになることも多いのかもしれないな。

 

 

いまのお店も「店色に染まって」みたいな感じの要求をされることが結構多くある。

わたしはそれがすごくいやだし、自身がここまであちこち渡り歩いて苦労して身につけてきた自分色こそ大事にしたいし、ある意味わたしにとっては集大成でもあり「答え合わせ」みたいなところもある。

 

 

押し付けられる正解に抗っても、お客さんから認められれば、それは自分のここまでの努力が間違ってなかったことの裏付けになり、それも正解なんだって証明できる。

 

正答なんかいつだってどんな場面だってひとつじゃない。

最善の選択肢を選りすぐってきたからこそできあがるのがマニュアルの本来のかたちであって、正答ありきで仕事をするのはちょっとズレてる。

 

 

これからもわたしは店色には意地でも染まらず、自分のスタイルで、自分のスタンスで、楽しく働いていくつもり。

仮にそれを先方が受け容れられないなら、河岸を変えるだけだ。

 

 

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