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ひとにやさしく~纏った雰囲気で人となりがわかる

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うおー気が付けば年末目前!ブラックフライデーとかいう聞きなれないイベントを推してる世の中の流れで年末直前を思い知るたるたるですこんにちはお久しぶりです。

 

書きたいこともアホみたいにたまってるんですがきょうはちょっと書きたいなと思うことがあったのでそれを消化。

そうそう、わたしはこうして衝動的に書きたいことを書きなぐってブログをだらだら続けてきたんだったなー。

 

 

 

以前ちらっと書いたが、わたしは悲しいほどに善人面。

 

www.hampemtarutaru.com

 

もはや40も過ぎて人生観も生き様も固まってきてるので、顔つきや発する雰囲気がこの先そう大きく変わることはないだろう。

もちろん、変わるような出来事があればそれはまた別だが。

 

 

人というのは年を経るほどに、見た目で人となりがある程度わかるようになる。

それは言うまでもなく「見るほうの人生経験」によるものであるし、また「見られるほうの見た目や纏う雰囲気」によるものでもある。

 

 

なんかわかりにくいな。どういうことかというと。

 

 

顔立ちそのものってのはぶっちゃけ美醜込みでそれほど異なるもんでもない。

すんごい雑に括れば、目と鼻と口がついてんのはだいたい一緒だからさ。

 

だけど、面白いもんでその人が発する雰囲気ってのはたしかに年を重ねるほど人となりが出るようになる。

顔つき、表情、身なり、所作、立ち方座り方歩き方しゃべり方、そういったものをちょっと見るだけでだいたいその人がどんな人か「あたり」をつけることができる。

 

 

もちろんその「あたり」が常に「当たり」であるわけじゃない。

はじめて会って話して受けた印象とはまるっきり違う、って人もなかにはいる。

でもけっこうな確率で「この人はこういう人」ってのがあてはまる。そうさね、7割くらいかな。

そしてその打率は年々上がっていく。

 

 

そりゃそうだ。

よく人を分類するのに血液型があるが、それだとたった4タイプ。

系統分けするにはそれだけでもある意味充分だ。

 

人は幼少時から出会ったり関わった人間を「この人はこういう人だった」と外見や印象と紐づけて記憶に収納していく。

単純にそのデータ数が増えれば増えるほど、その後の分類分け時の正解率は上がるのが当然。

 

 

たとえば最近勤め先で会ったAさん、雰囲気が誰かに似てるな。

ああ、学生時代にバイトで一緒だったBさんに似てるんだ。

表情とか、笑い方とか、しゃべり方とか、人と接する距離間の妙な近さとか、変なところで遠慮するところとか。

そういった細かいところまで似てるなって思うと、もうその人にしか見えなくなるくらいそっくりに見えてくる。

いや顔自体はそんなに似てないのに。

 

 

つまり似てるのは顔じゃなくて、雰囲気。

もっというと、人となり。生き様そのもの。

そういうものが似てると発する雰囲気も似通ってきて、結果「似てる」印象を受ける。

もともとの顔つきが全然似てなくても、「なんか」似てると感じる。

その「なんか」の部分がたぶん、人となりなんだろう。

 

 

そして生き様や人となり、精神性が近いと不思議だが顔つき自体も近くなる。

厳密に言うと顔の造作自体でなく、やっぱり表情とかそういうものによる印象なんだろうけど。

よく夫婦は顔が似てくるっていうけど、すごくわかる話だ。

考え方、ふるまい方、話し方、所作のいちいちを一緒にしていれば影響を受けて考え方が似てくる。

考え方が似てくれば行動も似てくる。表情の作り方が似てくれば発する雰囲気も似てくる、といった具合。

 

 

 

さて冒頭のリンク先でも語ったがわたしは善人面だ。

善人面効果か先日こんなことがあった。

 

 

冷たい雨のそぼ降る夜に近所の薬局へひとりで買い物へ行った。

駐車場で外国人の女性がわたしに駆け寄ってきた。

それこそ10年来の友人にでも出会ったような笑顔ですがるように走ってくる。

一瞬知り合いかと思ったがどう見ても見覚えはない。

 

彼女は超カタコトな日本語で道を尋ねてきた。

いや、道を尋ねているのかどうかすらわからないレベルの日本語。ただひたすら通りの名前を連呼する。

しかも通りの名前もかなり怪しい。でもどうやら「どこかへ行きたい」ことだけはわかった。

 

通りの名前じゃさっぱりわからん。

辛抱強く「どこへ行きたいの?目的地はどこ?」と尋ねると、どこぞの会社の名前らしきものを口にした。発音が妙に見事でそれを聞き取るのも一苦労。

聞いたままスマホの地図アプリに入力してみる。

おお、比較的近くにその名前の工場があるぞ。これかね。

彼女にそれを示すとどうやらそれで正解のようだ。

そこへの道のりをジェスチャー付きで何度か教えると理解したのか、花が咲くような笑顔で「アリガト、アリガト」と言って走りだした。

 

っておい、車かと思ったら歩きかよ!

歩きだと結構距離あるよ?道も教えた道だと歩いていくのは大変かもよ?

追っかけようとしたが、すさまじい速さで彼女は走り去っていった。

無事に目的地に着けてるといいな。

 

 

かようにわたしは常に誰にでも道を訊かれる。

わたしの纏った雰囲気が、やさしく教えてくれそうなそれなんだろう。

もはやそのこと自体は、喜ぶべきことなのかもしれん。

わたしは見た目通り、ひとにやさしいひとでいよう。

そうやって生きていこう。

 

 

でも、ひとにやさしくするには余裕と知恵と機転が必要なんだよね。

 

 

先述の話にはもうすこし続きがあってさ。

 

家に着いてからはむぺむにその話をした。

 

「無事に着けたかな。いっそ車で送ってあげればよかったかも」

 

「それはダメ。危ないから」

 

あれっ、意外な返答。それはダメなんだ?

 

 

「そういうときは、タクシー呼んで金持たせてあげればいい」

 

 

ああ、それは最高の解決法だね!

ほんとうにやさしいひとって、彼みたいな人を言うんだ。

知恵と機転と余裕がある、模範解答だよ。

 

 

そしてそんな彼は、どうみても極悪人の雰囲気です。

 

 

 

わたしは善人面でも悪人面でもいい、「誰かに似ている」面がまえや雰囲気にはなりたくない。

発するオーラがやさしそう、で、実際愚かなほどにやさしかったとしても、はじめて出会う誰かに

「この人過去にあった誰々さんに似てるな」

って思われることがイヤだ。

 

 

歩いてきた道、これから歩く道、どこかのだれかと似た道を漫然と歩くんでなく、自分の意志で選んで自分の足で一歩ずつ進む。

そうして生きていけば、わたしはほかの誰でもない「わたし」の顔と雰囲気を纏うことができるだろうと思うからさ。

 

 

精進精進。

 

 

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