テレビで美容整形についてやっていて、珍しく熱心に見てしまった。
ちょっと前にプチ整形とかが流行って、最近はそういうのを隠さずに言うことも多いようで。
整形とひとくちに言っても、ガチでメス入れて骨削ったりするものもあれば、シミをレーザーで消すのもそれに含まれると解釈されることもある。
そうやって言うと、全然否定されるべきものではないことがよくわかる。
見た目は大事だ。
まったく知らない人と会う時の第一印象は、顔も含めた見た目で決まる。
いくら中身が魅力的な人だって、髪はボサボサ、脂で汚れたメガネをかけて3日も着倒したようなヨレヨレのスウェットで他人と会っていい印象を持ってもらおうってほうがムチャだ。
最低限清潔にしていたって、顔立ちの差ってのはたしかにある。
生まれ持った整った顔立ちの人は存在するし、男女問わずそういった人が顔立ちでトクをするシーンも少なからずある。
顔がいいからってトクをするばかりではもちろんないだろうけれど、ひとつ他人よりすぐれた武器を持っている、という表現はしても差支えないだろう。アドバンテージだ。
かくいうわたしも、イケメンがきらいなわけではない。
顔のイイ男の子を見て不愉快になるわけがない。
見てるぶんには、普通にカッコイイなあと思う。
そう、観賞用としてね。
うちは兄貴が今でいうかなりのイケメンの部類だった。親父も若い頃はいい男だったと推測できる。
彼らの存在がわたしの「男を見る目フィルター」に多大な影響を及ぼしている可能性は否めない。
顔がいい、だから何?ってなっちゃうっていうか。
振り返ってみると見た目が理由で付き合いたいと思った男なんてひとりもいなかった。
中学まではアイドルに憧れる気持ちでキャーなんとか君カッコイーみたいだったけど、見てるだけって大前提だったしね。
その後惚れた男はみんな、しゃべったときの心地よさとか、ものごとに対する姿勢とか考え方とか、とかく中身に触れてから。
そしておもしろいことに、そうして惚れると対象人物が世界一かっこよく見えてくるんだよな。
さて、整形。
見た目が大事なこの世の中、他人にいい印象を与えるために多かれ少なかれ顔をいじることをわたしは否定はしない。
多少極端ではあるが、わたしにとっては化粧も装飾品もマスクも整形もみんな似たようなもんだ。
自分の見た目をよくしたいがためにする努力、って意味では一緒じゃん。
全然悪いことない。物理的なリスクとかだけしっかり受け容れる覚悟があるなら、それこそジャンジャンやって構わないんじゃない。
でも、それをする目的をはき違えるとロクなことにならないとは思う。
ビジネスシーンで損をしない程度に、とか最初から割り切れてる人なら問題ないが、それをすることで人生が変わるかも!みたいな多大な期待を寄せるのは禁物だ。
整形でキレイになれた、自分の求める見た目に近づけた。
自信が持てたおかげで自分を好きになって、周りの人からも愛されるようになった。
ってのが理想の形だと思うけど、あくまで自分はどこまで行っても自分。
顔かたちちょっと変えたくらいで性格まではそう簡単に変わらない。
むしろ見た目キレイになったのに、なんで相変わらず人に愛されないの?みたいな苦悩が深まることも考えられる。
たとえば、このさきはむぺむが顔に大きな怪我を負ったとしよう。
ふためと見られないような顔になったとしても、わたしの彼への愛情はまるで変わらない。
そりゃ長く連れ添ってきてるんだから当たり前っちゃあ当たり前だが、そもそも見た目に重点を置いていないせいもある。
もともと顔に惚れたわけじゃない、という問題だけでなく、どう言ったらいいのかな、そりゃ見た目はイイに越したことはないよ。
だけど、それはあくまで加点される程度の要素でしかないんだ。
フィギュアスケートでトリプルルッツジャンプとか、基礎点+出来栄え加点みたいなのがあるじゃない。その出来栄え加点程度。
そもそもジャンプ自体飛べて降りて、からはじめて発生する要素っていうか。
そうやって考えると、整形ってじゃあ誰のため?何のため?っていう疑問に行きついちゃうんだよね。
だれかに愛されるため?
その誰かが愛するのは、努力して作ったキレイな顔なの?
それともそこまでキレイになろうと努力した中身なの?
人間中身がすべてとは言わない。見た目も大事だ。
だけどだれだって歳を取るのはもちろん、対象人物との関係性が深まるほどに、見た目って正直優先順位が下がって行く。
どうでもいいとまでは言わないけど、中身を知るほど人間っておもしろいもんで、独特のフィルターがかかって見えてくるからさ。
まあ、だからって見た目を磨くのをサボっていいわけじゃないんだろうけどさ!
はむぺむから見てこの先も世界一の美女でいるために、もうちょっと肌の手入れとかしたほうがいいんだろうな。
ズボラの言い訳にしちゃちょっと弱いよね、ワカッテル!