努力の方向性

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よく「若いうちの苦労は買ってでもしろ」っていうじゃない。

いや、うん、もう若くはないんだけどさ。

それって結構な確率で無駄な苦労が多いよね。

 

そもそも苦労自体いろんな種類のものがあるけど、ちゃんと考えて手を打てばしなくてもすむ苦労も結構あるわけで。

そりゃ一定の苦労なり努力なりは当然必要になってくるけど、何も考えずに迫りくる不幸を耐え忍ぶ苦労と、やれるだけことをやる対処を常に心がけて受ける苦労とでは質が全然違ってくる。

 

 

たとえばA地点からB地点に重たいダンボール箱を1000個運ばなければならないタスクがあるとする。

全部自分でやらないといけない。

道具を使ったりお金を使うことは許されているが、お金を使って他人を雇うことは禁止されている、という前提があるとする。

細かい設定はツッコまずにスルーしてくれ。

 

わたしみたいな種類の人間は、すぐに取り掛かる。

バカ正直に1個1個せっせと自分の手足で運ぶ。

アホみたいに労力も時間もかかるけど、それを自分に課せられたタスクだと信じ、もくもくと目標達成までやり遂げる。

でもこれ、達成した後に何が得られたかってーと、達成感とせいぜい忍耐くらいのもん。

 

もうちょっと賢い人は、どうすれば効率的に箱を運べるかまず考える。

使える道具がなければ作ればいい、とホームセンターにでも買い出しに行き材料を買ってきて一度に10箱運べる程度の台車を作る。

これで1/10の時間で目標が達成できる。

しかも作業を効率化する思考、台車制作のノウハウと、実際に作り上げた台車そのものまでが成果として残る。

それらすべてが次回以降のあらゆる事柄に役立つことは間違いない。

スゴイ差だよね。

 

 

苦労とか努力とかってのは、全部が全部無条件で有効なわけがない。

正しい方向へ、もっとも効率的な道のりで、有用な手段でもってするからこそのちに意味を持ってくるものだ。

 

苦労をすること自体が偉いんじゃない。

そこから何か学ばなきゃ意味がない。有用ななにかを得られない苦労は文字通り無駄な苦労だ。

結果として、重ねた苦労に見合ったものがその人の中に備わるからこそ「苦労した人は違う」「苦労を乗り越えた人は偉い」と言われるのであって、苦労すりゃ誰でも偉くなれるなんてそんなわけがない。

 

 

…みたいなことを、日頃から無駄な努力ばかり重ねてる自分はふと思うわけです。

 

 

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