先日母の病院付添いのため実家に滞在したさい、ひさしぶりにさくに会った。
地元方面に住んでいるので実家とそれほど遠くはないのだが、 さくは2児の母なので夜出るのは大変だろうなと思いつつ、ほかに取り立てて会いたい人もいないのでダメもとで、と連絡をしたところ、2時間くらいなら出られるよと返答。
少々慌ただしくはあったが楽しい時間を過ごせた。
いろんなことで脳内ぐるぐるしている仲間なのだが、今回はかなり散らかった話が多かった。
人間の性質やら合う合わないの話から高校時代の思い出話まで、まったくもってとりとめなかった。
それが面白いと思える相手がいるのはありがたいことだ。
信じる人と信じない人。
そもそも信じやすい人とそうでない人がいる、のはそうかもしれないけど、じゃあ自分が説得される人に絶対ならないかと言われると正直「相手による」。
合う人と合わない人。
どうしても生理的に合わない人、ってのはたしかにいるよね。そういう人をタイプ分けすれば相性がわかるんじゃないか。
でもタイプ外に分類された人でも不思議と合う人は合うよね。「個体差ある」。
発する人と受ける人。
発信をおもにする人と、受け取る側の人といるじゃない。
系統としてはどっちが得意ってのはあるかもしれないけど、たとえば本来受け取る側の人が何かに心酔してそれを広めることに意義を感じると不器用ながらその人は発する側になる。
そんでその話を興味深く聞けるかどうかは当然ながら「人による」。
みたいな話を延々と。
この日は全部「結局個人差なんだよね」に行きついてました。
おたがいの調子や状態で話題のセレクトや会話のテンションは多少変わるけど、基本的に話題に困ることはないし、きちんとキャッチボールも成立しているのがわかるため面白い。
いつまでだって喋っていられる気がする。
近所だったらそれこそ暇さえあればお互いの家に入り浸ってるんだろうなあ。
むしろ距離があってよかったのかもしれん。
友達と呼べる存在はわたしにとってすごく数少ないし、そもそも「友達」って単語自体に若干の抵抗がある。
いやこっちがそう思われる分にはむしろ嬉しんだけどさ、先方を勝手に友達呼ばわりして、向こうさんが「エー別にそんな仲良くないしー」みたいに気持ちに齟齬があったらどうしよう、っていつもいつもビビってるチキンだからさ。
そういう意味でも、さくはとても貴重な存在。
またときどきは会ってとりとめのない話をしたいな。それこそずっとこの先何十年も。
長い付き合いができる友人の存在はありがたいけど、言うまでもなくそれは誰でもいいわけじゃなく。
結局、人によるんだよなー。