ハラスメントの行きつく先は

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パワハラ花盛り(言い方!)の昨今。

 

まー出るわ出るわ、長年積み重なってきたおもにスポーツ界などの古い体質の世界において日常的に行われていた各種ハラスメントがジャンジャン明るみに出てきてる。

 

やってるほうもやられてるほうも麻痺しちゃってそれが当然という思考で凝り固まっていたから、今堰を切ったように流れ出してる各種の問題ってのはある意味「双方の当事者以外の第三者」が「そういやうちもそうなんじゃないの?」と妙な正義感を繰り出して、意図的に流している感じはする。

 

きっかけはどうあれ、古い悪しき風習が一掃されるのはいいことだ。

自分達が先達にぶん殴られたからって後輩や教え子をぶん殴っていいはずはない。

人間は言葉を持っているのだ。口で言ってわかることをわざわざ無意味に暴力をふるう必要はない。

 

 

の、だけど。

 

 

わたしは暴力否定主義ではない。

あたりまえだがなんだって程度モンで、不必要なほどボコボコにするような暴力は論外だが、言っても言ってもわからない人にわからせるために必要な暴力ってのは存在する。

 

たとえば、無意味に他人を殴りまくる小学生くらいの子供がいたとしよう。

その子を何十回も何百回もとっつかまえてきちゃ「他人を殴ってはいけません」と諭しても「知らねーよ、俺は痛くないし、他人が痛がってるの見てると楽しいもん」と答えるのみ。

どうするよ?

誰かが一発ぶん殴って「痛いだろ?」って知らせてやんないとやばいだろ。

この子が一度も誰にも殴られずに大人になったときのことを想像するとゾッとする。

 

もっともこれは極論だし、あくまで「しつけ」の領域の話で、最近言われているおもにスポーツにおける暴力やハラスメントとは少し異なるかもしれない。

だがこうして「ハラスメントは悪だ!」と声高に誰もが叫ぶことが当たり前になっている世の中に少し違和感を覚える。

 

 

権力をかさに着て暴力を振るったり、立場を盾にして脅迫じみた発言をすることは言うまでもないが問題外だ、いますぐ撲滅されてしかるべきだ。

だけど、根性入れるためにビンタの1発、気合い入れるために恫喝に近い大声で叱咤、ってのまで「暴力だ!パワハラだ!」って言われたら、人を指導する、特にスポーツなんかの世界で若い幼い連中を率いる人たちはなかなか困っちゃうんじゃなかろうか。

 

それでもビンタに関しては明確に暴力なので、なくなってもいいだろう。

人は世代を重ねるごとに少しずつ進化している。ぶん殴られないとわからなかった、言うことをきかなかった犬猫みたいな人間よりもいまどきの子供はもうちょっと成長しているのだろう。

そうであると思いたい。

 

 

だけど、言葉は?

威圧的、攻撃的な大声、侮蔑的な言葉、人格を否定するような発言。

それ全部ダメ?マジで?

 

 

猫なで声の優しい言葉の応酬だけで、人生経験のまるで不足している若者たちに必要な努力を強いることが可能なのか。

努力や我慢をすることができなければ、庭でそーれって言いながら羽根つきでもしてる程度にしか到達できなくなる。

おたがいにいたわり合いながら、楽しく、優しく、誰も傷つけないお花畑な世界。

 

それでいいならそれでいいけどさ。ある意味人類が求める理想の世界なのかもしれないけどさ。

ならスポーツなんてやめちまえばいいんだ。

健康を維持するためだけの、人間関係を円滑に楽しむためだけの、そういうものにすればいい。

 

もちろん優しい言葉のやりとりで必要なことを理解できる人もいるだろうし、自分を追い込んで必要な我慢や努力を出来る人はいるだろう。

だけどみんながみんなそうじゃない。

あるいは今まさに、みんながそうなろうとしている時代の変換期、なのかもしれないけど。

 

 

そしてスポーツをやめたからって生きることに我慢や努力が必要なくなるわけじゃない。

どこへ行って何をしたって努力や我慢は求められるし、仮に日本という社会全体において暴力や強い言葉で罵られることがなくなったとしても、みんなが笑顔で優しい言葉に取り囲まれて生きられるわけがない。

資本主義は、有限なモノの取り合いだからさ。

 

 

若い頃にハラスメントをいっさい経験せず、痛い苦しいこととは無縁で生きて、だれかと接するときには優しい柔らかい言葉の応酬を作り笑顔を貼りつかせて。

失敗したら毎回毎回「ごめーん」「大丈夫大丈夫、お互いさまだもん」「だよねー」みたいなやりとりで乗り切ろうってのかい。

 

無意味な暴力、無意味な暴言はほんとになくなるべきだと思うけどさ。

だって文字通り意味ないからさ。

 

それでも、ハラスメント撲滅運動花盛りのイマドキを見ると、どんどん当たり障りのないやりとりをすることだけを覚えた人たちが、その後どうやって社会を世界を築いていくのか、まっさらな子供たちをどうやって教育していくのか、なんだかちょっと恐ろしい気持ちにならないでもない。

 

 

「あーダメダメ、そうじゃなくてこう!」

「そんな強い語気で言われたら心臓に悪いです、パワハラですよ」

 

「この書類順番が間違ってるよ」

「いちいち細かいですね、モラハラですよ」

 

「若く見えるよねー、何歳?」

「その言い方セクハラですよ」

 

「仕事終わったらたまには飲みに行く?」

「そういう言い方断りにくいじゃないですか、パワハラですよ」

 

 

日常会話のいちいちまでハラスメントにあげつらわれて、なんも話せなくなっちゃんじゃないかしら。

 

あーせちがらいせちがらい。

 

 

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