よく「人間関係を円滑にやっていくための魔法の言葉」みたいなもので「ありがとう」ってのがあるじゃない。
あながち間違いでもないとは思う。
ありがとうと言われて嫌な人は少ないだろうし、とにかくもプラスイメージな言葉であることは確かだ。気持ちを先方に伝えるためには実に便利な言葉だとは思う。
実際わたし自身も、「ごめんね」と「ありがとう」は多用している。
いや、大安売りしてるってくらい使ってる自覚がある。
でもさ、当たり前だけど使いすぎると価値が落ちるんだよね。
人は年を重ねるほどに自負や自信が増えていく。
そりゃそうだ、生きてるだけである意味すごいことだ。自信にならないはずがない。
そうして人の上に立ったりすると、感謝や謝罪を容易に口にはしなくなる。
ありがたいとか悪いとか思う気持ちが薄れていくからな。
そうならないように、魔法の言葉「ありがとう」。
悪いと思ったら素直に「ごめんね」。
傲慢にならないように、まわりへの感謝をいつでも忘れずに。
でもさ、ココさじ加減が難しいんだけど。
卑屈と謙虚は別物なんだよね。
単に「腰が低い」と卑屈に見える。
「自分に自信がない小人物」に見える。場合によっては嫌味にすら見える。
それがわかるから、そうはなるまいとどんどん胸張ってふんぞり返って行く。
そしていつの間にか頭を下げることを忘れる、という見事なマイナススパイラル。
自信と謙虚を同居させるのはとても大変なことに思える。
ちょっと話はそれるんだが、先日問題になっていたアマチュアボクシング協会の話。
ヤクザのボスみたいな会長さんのあれこれがスポットを浴びていた。
近頃ことにスポーツの、それも格闘技寄りのものでこういった問題がジャンジャン明らかになっていくね。
古い体質のものが多い世界なのだろう、そして世界が次のステップに進もうとしている時期なんだろうと思える。
内容自体はここでは関係ないので触れないし真偽のほども定かでないが、当の会長さんのインタビューで気になった発言があった。
「やんちゃはしたけど人に迷惑はかけてない」
もうこの発言だけで悪者認定してしまいそうになった。
人間なんて、生きてるだけで迷惑かけてるもんだ。年を取ると、偉くなると、そんなことすら忘れてしまうのか。
年を取ると傲慢になる典型だ。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」
大好きな言葉。
「卑屈でなく謙虚に」年を重ねるためには、「実らないと」いけないんだよな。
実ればその重みで自然と頭を垂れるようになる。
いい年してまだまだ「ごめんね」「ありがとう」を濫用するわたしは反省しきりなわけです。
長々ごめんね、ここまで読んでくれてありがとう!(←ホラまた濫用
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