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「~してあげる」不満を解消する思考

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「もっと~だったらいいのに」「もっと~してくれてもいいのに」 という、言葉にできない不満や鬱屈した感情は多寡にかかわらずどんな人間でも持っているはずだ、聖人君子様以外は。

 

そしてその感覚は「こんなに~してあげてるのに」の裏返しである。

言葉は悪いが人が何かするには必ずと言っていいほど見返りを必要とする。

快楽が欲しいから遊ぶ。金が欲しいから働く。愛されたいから愛する。

 

努力に見合った見返りがなければ人はなにもしないだろう。

 

例外といえそうなのは親子の情愛と盲信に基づく宗教のみだが、それらとて「結果」を見返りと考えればギブアンドテイクは成立する。

夫婦間でさえ、もとは他人同士、自分の献身に見合ったものを相手が与えてくれなければ不満も発生する。

 

ところでこの「見合った見返り」というのはあったりまえだが個人差がある。

というか、当人の秤だけがその基準で、他人のそれと比べることはかなり困難。

一般的な秤の見本というのもなかなか見つけることができない。

 

よって自身の感覚でのみ「自分の献身」と「見返り」を両天秤に乗っけるわけだが、人間という生き物はどうしたって自分にゃ甘い。

正確な計量なんざまずできないと言っていい。

 

「こんなに~してあげてるのに、あなたはどうしてもっと~してくれない」

 

この不平衡を解消するためには多分に霊的なモノが必要になる。

といって神様仏様のお膝元で人類みなハッピーみたいな思考をしろって話ではない。

まったくない。

それも言ってみりゃわかんないことをみんな神様の名を借りて押し付けて心の安静を得るギブアンドテイクだし。

 

ではなく、「~してあげる」感覚を払拭するよう努力することだ。

って言うのは簡単だがこんなに難しいことないよな。

 

「元来客の身なれば、好き嫌いは申されまじ」

聞いたことある方も多いだろう、伊達政宗の遺訓のひとつ。

何年か前に読んだ時には正直あまりわからなかったが、最近読み返したさいに(山岡荘八ver)感じるところがあった。

 

伊達政宗 (1) 朝明けの巻 (山岡荘八歴史文庫 51)

伊達政宗 (1) 朝明けの巻 (山岡荘八歴史文庫 51)

 

 

感性は変わる、というか、いくつになっても成長するものだな。

多くの本を読むが、胸に残るものを得られるのはたいてい2読目以降だ。

 

人生はこの身を借りた旅である。

どこに在っても生きている限り客である。

だからあんまり文句も言わず、なんでもうまいうまいとありがたがって食えとあの片目のオッサンは言う。

 

言葉でこの感覚を説明するのは難しいが、わたしにはその言葉がストンと臓腑に落ちた。

なるほど客だと思えばそうわがままも言うまい。

モノや金をかき集めて執着するのも無駄なこと。

招かれた身とあっては俺様が主役でなくとも仕方あるまい。

 

そうなりゃたぶん神仏を越えたなんか知らんが大いなるなにかに生かされていると感じるようになる。

 

とはいえ現実の毎日を足掻く小娘(←わたしのことだよ!)にとっちゃまだまだそこまで悟れるのははるか先のことだろう。

こういうのを日々考えては捨て、また考えては捨てを繰り返し、旅が終わるときに手元には秤ではない何かが残っているといいな、などと暇人は思っておるわけです。

 

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