今日たぶんすごい長いです、お暇な時にでも。
ハラスメントが大流行りの昨今(←言い方不謹慎)。
セクハラだパワハラだって話について書こうと思ったら、10年くらい前に自分で書いたものを見つけたのでそのまんま載せてみる。
なんせ10年前なので文章的にも主張的にもいろいろヒドイが、根幹思想はそれほど変化はないのでとりあえずどうぞ↓
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わたしは何が何でも女性の肩を持つというタイプでは全然ないが、セクハラに苦しむ女性の気持ちはよく理解できる。痴漢も同様の考え方でいいだろうと思うのだけど、この場合は精神的セクハラの話。つまり話の内容とかで行われるセクハラつーことで、上司から言われる「色っぽい足だね」だの、元彼に言いふらされる性的な性癖やら、ということだね。
女の感情というのは、男の思いも寄らないところでひどく傷つくもので、ことに性的な話は男性の数百倍も女性は敏感である。もちろん個人差はあるが、人によってはたとえば誰々とキスをしたというハナシが広まるだけで自殺でもしようかというところまで追い込まれることもある。大袈裟に聞こえるかもしれないが事実だ。
ここらへん、正直わたしがシモ系のハナシを嫌う理由と密接に関係している。わたし自身は精神的に繊細でも弱くもないし、仮に職場で自分に対して精神的セクハラを感じるようなことがあっても対応は可能だ。だが誰もがそうであるとはいいがたい。
もちろん男性側の反論も多々あるだろうし、そちらの言い分も非常によくわかる。そんなものまでセクハラと言ったら女性と会話なんかできねえよってなるのも至極もっともだし、女はもっと図太くなるべきだとも思う。
だけど、あたりまえの事だがどうしたって女性は女であることをやめられないし、それはもちろん男性も同様だ。
ここからはちょっと極論の私論だが。
女性という性別の特徴は、男性から見ると性的欲求のはけ口の対象である、という図面は今も昔も変わっていない。
言い方は悪いがこれは風俗などの存在を見れば否定しがたい事実だろうと思う。もちろん最近ではそういったものの逆転現象が起こったりもしているが、それでも今なおその数を見れば圧倒的に女性という性別はそういうものであると言えるだろう。
これを前提にすると、本来男女雇用機会均等法などあること自体がおかしいと、わたしみたいな極端な人間は結論付ける事が出来る。男女は平等ではない。平等でないがゆえに、女性は女の権利を行使する事が出来るのだ。
なんかハナシがあちこちに飛んでまとまらないが、主張の論点は以下のとおり。
・男女は平等ではない。差別されるべきではないが区別はされてしかるべきである
・それを大前提に、女は男の想像を絶すること(特に性的なこと)で精神的苦痛を感じることがあるということを男性は知らねばならない
・女性の主張は絶対ではないしそれは必ずしも法的に守られるべきものではないが、男性は少なくともその差を理解して心遣いをすべきである
・なぜならば子孫を残すために女性は絶対必要なものであるのだから
てなところ。
性についてごちゃごちゃ書いてきたが、しかしながらセクハラ問題がそれらと密接に関係しているともあながちいいにくい部分もある。
つまりセクハラと感じるかどうかは人と人との付き合いのなかで発生するもんであって、言ってみればそれは男女の差はあまりない。たとえば喧嘩をした女友達に職場で性的特徴をいいふらされても、やっぱりそれは精神的苦痛を受けると思うからだ。
・セクハラはとどのつまり性別問題でなく、人間関係のこじれの延長とも言える
というのはわたしなりのセクハラ定義の暫定結論。
ちなみに性的なハナシを極論で言えば、男女の生息区域を分けるべきだし、女はアラブの女性みたいに顔も体も隠してこっそりひっそり生きるのが正解だと、わたしみたいに極端な人間は思うのだ。あくまで極論だけど。
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うーん、差別意識や問題発言も盛りだくさんでしたね我ながら。
過去に自分の書いたものそれなりに残してあるんだけど、20代の頃に書いたやつって恥ずかしいほど尖ってんだよね。ベロベロだし。今読むのかなりキツイ。
上記の文章は30代に入ってようやく少し落ち着いてきたかなって頃に書いたものなので、まだ若干先端がチクチクするくらいの内容になってますな。
過去に書いた文章を晒すのはすんごい恥ずかしいけど、仮に書き直したら全然違うものになっちゃうのわかりきってるから仕方なく。
今でも充分恥ずかしいだろってツッコミは問答無用で却下な。アーアーキコエナーイ
閑話休題。
もう一本、ハラスメント自体について書いたもの。こちらも10年近く前の筆です↓
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なんたらハラスメントというのは今非常にたくさんある。セクハラだパワハラだドクターハラスメントにアルコールハラスメントなんつー言葉まである。もう何がなんだか。
いやがらせなんてのは古今東西枡で計って車に乗せるほどあるわけだから、今後もこうしたえらそうな名前を冠したハラスメントは増えていくのだろう。
分類分けして名前をつけて状況を把握することは確かにとても大事なことだと思う。少なくとも当事者/被害者にとっては「自分はひとりじゃない」「自分がいけないわけじゃない」「自分だけが理不尽な思いで苦しんでるわけじゃない」とかいうふうに心の支えになったりするだろうからさ。
そうして助かる人がいるいっぽうで、そういったものを悪用・濫用する人はやっぱり古今東西どこにでもいるわけで。
いや、悪用濫用なんて自覚があるのはまだマシなほう。最悪なのは「セクハラだ」「パワハラだ」と社会的に認知されている言葉を「盾」にしてメチャクチャな自己主張をするような人、結構いる。
もっともそれはハラスメントに限らない。精神的病なんかもそうだ。
外から見たらわからない精神世界のことだから、真偽の見極めは素人には到底無理。本当の病なのか、それとも自称してるだけなのか他人にはわかりっこない。
それをいいことに「わたしは病気なのよ!病気だからしょうがないじゃない!」
オールOK免罪符。病といえば誰でも何でも許してくれるから。同情してもらえるから。
そんなごく一部の勘違いドバカ共のおかげで真剣にハラスメントや精神病に悩んでいる人たちまで色眼鏡で見られてしまうってのが現在の状態といえるだろう。
さて、なんとかハラスメントというものは要するに嫌がらせのこと、という解釈でだいたい間違いないだろうと思うんだが。
健康で健全に強く暮らす老若男女のなかには、ちょっと意地悪な人や口の悪い人はいる。それはなんとかハラスメントに該当するほどのもんじゃないかもしれないが、ときには人をムッとさせたりする種類のものかもしれない。
そういう人にむかって「パワハラですよ!」「セクハラですよ!」「モラハラですよ!」って訴えたとして、その言葉に無意識に抑圧されて言葉の自由を奪われたとしたら、それもやっぱりハラスメントって言えるんじゃないのかい?
そうさね、ハラスメント・ハラスメントとでも呼んでおきますか。
言葉は符号として分類分けにも便利だが、使い方次第でとても不自由なものにもなる。
なんでもかんでもえらそうなお名前つけて振りかざしてるより、隣人とお天気について語っているほうが言語を持った文化人としちゃ正しい生き方じゃないかしらん。
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こっからはいまのわたくしが書いてます。
たとえば「尻を触る」という行為ひとつとっても上司と部下、客と店員、恋人同士、立場や関係性によってまるっきり意味合いが変わってくる。
そういう性質ゆえ「傷害」「殺人」などとちがって、法律で明文化して罰則を設けるのはきわめて難しい。
そりゃそうだ、かみさんの尻触って罰金とか懲役ってなんじゃそりゃって話だもんな。
そのための結婚という制度なのかな、とかもうこの手の話は痴漢とか体罰とかいじめとか性別問題とか働くこととかいろーんな要素の話と密接に関係しまくっちゃてるのでここではまとめきれないから投げておく。
いつかまとめられたらいいなとは思っているが、たぶん何十年もかかるうえに広辞苑くらいの厚さになりそうだわ。
たとえば社内パワハラでしばしばボッコボコにされるとか、社内セクハラで脅迫、恫喝などを受けて貞操を侵害されるとか、実際にあきらかな「被害」「法的な問題」が発生しているハラスメントを受けている方は、迷わずいますぐ法律専門家に相談してください。とりあえず一刻も早く。
ここらへんいじめと一緒です。自殺や退職に追い込まれるレベルまで我慢する必要はありません。味方はいます、絶対に。
線引きがあいまいだからむしろ実害を蒙っている人が声をあげにくいという現状があるんじゃないかと思う。
「立件」できれば「犯罪」。そしたらハラスメント実行者は「犯罪者」。
無理矢理キスとか胸揉まれたとか、実害に遭った場合はアナタは「自分から声をあげさえすれば」被害者です。
ただし泣き寝入りしたらそれまで。
なんも迷う余地はないだろ。
言い換えれば、立件が難しいハラスメント、つまり言葉のみの各種攻撃をいかにすべきかって話なんだよな。
そういった「曖昧な」「精神的な」モノを守ろうという向きも悪くはないと思うけど、個人的にはこうやってなんでもかんでもあげつらって囃し立てる風潮になればなるほど、人間、あるいは日本人自体のコミュニケーション能力がどんどんどんどん低下していく気がする。
いやむしろ繊細になりすぎてるといえるのか。鈍さや図太さ、図々しさとはどんどんかけ離れていく。
世代間の隔絶が深まって行くばかり、っていうか。
そうやってばっさり旧式なものを切り捨てていく新人類(死語にもほどがあるな)若者たちがどんな未来を創るのかももちろん見てみたい気はするが、急には世の中変われない。わたしも含めた旧人類をいますぐ一掃することはできないからさ。
最後に女性諸君に質問。
「おっぱい触っていい?」
と言われた相手が、誰なら笑って許せる?誰なら許せない?
わたしは旧人類なので、相手が「誰でも」笑って返すことができるよ。
言われるくらい痛くもかゆくもないもん。「ダメ」って言えばすむことじゃん。
(一応お断りしておきますが見ず知らずの男性に路上でいきなり上記のことを言われたらさすがにダッシュで逃げます。そんなんもはやコミュニケーションとかそういう問題じゃないからな)
それでダメって言ってから相手がどう出るか、ではじめて立件可能なハラスメントにつながっていくわけだろ。
拒否という明確な意思表示をしてるのに触られたら犯罪成立。
それを逆恨みして仕事やプライベートであきらかないやがらせやいじめを受けたら、そこから対応策を考えればいい。
言葉のやりとりだけの「入り口」でああだこうだ言うのって、ますます状況をこじらせるだけって気がするのだ。
もちろん「トラブルを未然に防ぐ」観点で言えば発言段階でごちゃごちゃ言いたくなるのもわからなくはないが、人と人との言語のやりとり上の関係性すべてを法律でカバーするのが難しい現状では、コミュニケーション能力を磨くほうがよほどトラブルを防ぐ効果は望めるんじゃないか。
そして男性諸君は、欲望に上手にオブラートをかける技を覚えてください。
これはもう老いも若いも問わず。
おっぱい触っていい?ってダイレクトすぎて面白くもなんともないわ。
アホか。むしろウケるわ。
やれセクハラだパワハラだって喚きたててみんなでお互いの顔色伺いながら無難な言葉をセレクトして生きていくのって窮屈じゃないかい。
表現の自由とか言葉の面白さからどんどん遠ざかってはいないかい。
冗談まじりな会話もできないような社会って、どうにも味気ないんじゃないのかい。