根っからの悪人なんて世の中にはいないと思っている。
笑顔いっぱいで日々のささやかな幸せを確かめながら生きたいと思っている。
ヒトだけでなく、すべての生き物や地球にもやさしくいたいと思っている。
の、だが。
世の中すてきなひとばかり。
毎日にこやかにほがらかに暮らしてます。
環境にもやさしく、ヒトとしてできることを。
人間って、イイネ!
みたいな意見が大勢を占めてくると、どうも諸手を挙げての賛成はしたくなくなってくる。
ヒトは歪むよ、醜いよ。
日々が苦行の連続、生きるってツライ。
発展の結果が今の暮らし、環境に配慮するなら逆行しかない。
無理やり反対側に思考を振ってるわけじゃなく、常に半々の感覚なんだろうとは思うけど、要は多数派側になりたくないんだろうな。
あまのじゃく、ってやつですかね。
まったくかわいくない性格です。
ヒトそのものの本質は善だと私個人は思ってる。
もともと赤ん坊からはじまるわけで、その時点で悪なはずはないからコレは間違いないんじゃないかと。
その後の成長の過程でヒトはいろんなものに変質していく。いつまでも文字通りの無邪気でいられないからね。
のはずなのに、100人集まって同じお題目唱えて笑顔でいられるってのは、絶対どっかに無理とか嘘とかあるはずなんだよ。
ないとなればそれは洗脳とか思い込みとか、あるいは個がないか。
そういうのが心地いいのはもちろん経験済みだからわかるけどさ。
で、あまのじゃくの感覚ってのは多かれ少なかれきっと誰もが持っているもので。
っていうか当然持ってるべきもので。
バランス感覚って言葉でいいんだと思うんだけど。
それを言うか言わないか、出すか出さないか、ってことなんだと思う。
いいバランス感覚持ってても、その場では「ここで反対したら空気悪くなるかな」と判断すればにこにこ同意しておくことだってできる。
それを繰り返してると、慣れてくる。
あくまでわたし個人の感覚だけど、そうやって心にもない笑顔を浮かべて自分の感情を裏切れる人のほうが、誠がなくて信用できない。
無駄な摩擦やもめ事を引き起こしてる困ったちゃんのほーがよほどまっすぐ生きてるんじゃないか。
いやまあ、それはそれで困るんだけど。
一定の社会対応力を維持しつつ、「違う」「嫌い」「NO」とちゃんと正直に意思表示をして生きていくのって、やっぱ難しい。
ヒトのキモチをわかるように暮らしたい、とはもちろん思うが。
そういうのちゃんとわかったうえで
「人の気持ちなんざ知ったことかボケ!」と言えるだけのジコチューさは失わないでおきたい。
わたしは全然ポジティブではないが、アグレッシブであることは確かだ。
どんな環境でも、どんなに歳を取っても、攻めの姿勢は変わらないんだろうと思う。
そういう自分をキライじゃないしね。